なぜ日本の公教育費は少ないのか【書評】

久しぶりに書評ブログです。今日のおすすめは「なぜ日本の公教育費は少ないのか」という本。2014年度の「サントリー学芸賞(政治・経済部門)」を受賞した名著です。著者は、私と同世代の教育学者で大阪大学准教授の中澤渉氏です。

この本の要旨は「日本で公教育費の負担が少ないのは、教育の公共的意義が軽視され、教育が個人の私的利益と見なされてきたから。」というものです。公教育費が少ない理由を解き明かし、公教育費を増やすことの意義とそのための方策を述べています。

ハードカバーの学術書で3,800円もする硬い本なのでお手軽ではありませんが、「人への投資」を柱とする民進党関係者には必読書です。以下おもしろいと思った点を箇条書き的に要約したり引用したりしつつ、コメントを添えさせていただきます。

*参考文献:中澤渉著, 2014,「なぜ日本の公教育費は少ないのか」, 勁草書房

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日本は戦後すぐに中学校教育を義務化した。当時の厳しい財政事情を考えれば、かなり思い切った決断だった。中学校教育の義務化にともなって、教育財政はより厳しくなり、大学教育(高等教育)に回す予算の余裕がなくなった。

大学教育の公的支出は抑えられたが、大学進学のニーズは高かった。その結果、大学進学率の上昇は、主として私学セクターに依存した。日本の大学教育の拡大は、公的助成が手薄なため、家計負担(授業料収入)に依存した。

先進国(OECD加盟国)の中でも日本はGDPに占める公教育費負担がもっとも少ない部類に入る。しかし、初等中等教育(小学校、中学校、高校)の支出は、先進国の平均に近い。大学教育(高等教育)における公的支出が極端に少なく、そのことが公教育費の負担率のきわだった低さにつながっている。

日本育英会(現:日本学生支援機構)の「奨学金」拡充は、低所得家庭の子どもの大学進学率の向上に貢献し、大学進学の所得階層による格差縮小に効果があった。しかし、「奨学金」といっても返済が必要な融資であるため、個人の負担は重い。

なお、英語の「scholarship」は「奨学金」と訳されることが多いが、ふつう英語で「scholarship」といえば給付型奨学金のことを指す。日本育英会の貸与型「奨学金」のことをOECD統計では「student loan」と表現する。日本人の多くが「奨学金」だと思っているものは、国際標準では「ローン(貸し付け)」でしかない。

大学授業料の個人負担の割合が高く、かつ、奨学金制度が未整備である背景には、日本人の大学教育に対する認識がある。世論調査によれば、日本人の約8割は大学教育の費用は個人が負担すべきと考えている。

日本のペーパーテスト重視の教育システムは、選抜のプロセスが透明化され、競争の公平性をイメージさせ、人々を納得させる。実際には教育機会の階層間の不平等が存在するにもかかわらず、それを意識しにくくさせ、「自己責任論」を強める結果となっている。つまり大学教育の選択は「私事」であり、教育に対する公的なサポートの必要性を感じにくくさせている。「私事」である以上は、「受益者負担」の原則にしたがい、個人が授業料を負担するのが当然という発想につながる。

しかし、教育の成果は、個人の私的利益だけでなく、広く社会全体が受益する。教育を受けた労働者は、生産性が高くなり、経済成長に貢献する。公教育は、子どもたちに共通のルールや価値観を身につけさせ、コミュニティの基盤を形成するという重要な役割も担っている。教育は「私事」や「私的利益」だけのためではなく、教育を公費で負担することには意義がある。

大学入試は形式的には平等であるが、育った家庭環境や階層による格差を勘案しないと、結果的に不平等を招く。教育現場においては単に「だれにでも同じような扱いをする」ことが必ずしも平等ではない。不利な状況におかれた子どもたちに十分な機会を保障する何らかの援助が必要になる。

現代社会を生きるにあたり、教育機会が平等に提供されることは決定的に重要である。家庭環境などにより進学の機会が閉ざされてしまうのは非民主的であり、不公平かつ不条理である。教育機会の不平等は、解決すべき問題である。

戦後の日本は「小さな政府」路線でやってきた。公的な教育支出が少ないことも「小さな政府」路線の結果である。義務教育は無償という建前ではあるが、保護者からPTA費や学級費、学校行事の費用などの名目でお金や寄付を集め、学校運営の費用の一部をまかなっている。こういったお金も低所得の家庭には重い負担になる。

就学前教育(幼稚園や保育園)の家計負担も重い。他の先進国に比べれば、就学前教育への公的負担は少ない。大学教育と就学前教育に関する公的支援が少ないのが、日本の教育財政の特徴である。

選挙にあたって、自民党は道徳教育の強化などの理念的な教育関連の項目を掲げることが多いが、教育財政について触れることは少なかった。それに対して2009年の衆議院選挙で民主党が、高校無償化や子ども手当といった教育財政に関する項目を公約に掲げ、政権を獲得したことの意味は大きい。民主党政権は、少なすぎる公教育費を増やす方向へ舵を切り、2010年度予算では過去30年間で最高の教育予算の伸び率を示した。

日本では「保護者が教育費を負担するのは当然であり、親の役目だ」とする意見が広く浸透してきた。しかし、大学に対する財政支出は、効率的な公共投資である。大学教育を費用対効果の高い公共投資と見なせば、公費で大学教育にかかる費用を負担することは正当化できる。教育の社会的便益への理解が低い日本では、教育の私的利益の側面ばかりが強調されるが、その状況を変えなくてはいけない。

日本人は、教育があまり公的な意味を持つものと認識していない。親が子どもの教育費を負担するのが当然とみなす。また教育達成は個人の努力によって獲得された私的利益と見なされる。教育の公共的意義を国民に納得させ、教育費を公的に負担すべしという理念を社会的に浸透させなければならない。

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まとまりのないまとめで恐縮です。著者の考えに全面的に賛成です。

教育には個人的便益と社会的便益の両方があります。個人(親や本人)の負担で教育を受けなければならない社会では、親の所得格差が子どもの教育格差に直結します。それは明らかに不公平です。教育機会の不平等は、個人の問題であるだけでなく、民主主義の問題であり、社会的な公平性の問題です。

教育経済学的に見れば、教育の供給を個人負担だけに頼れば、供給が過小になります。大学で学んだ方が生産性は上がるはずなのに、学費が払えなくて大学進学をあきらめる人が多くなれば、社会全体の生産性が低下します。経済の成長や生産性の向上という観点からも教育の公費負担増は正当化できます。知識経済社会においては、ハコモノ公共事業の収益率よりも、大学教育の収益率の方が高いのは、すでに広く知られている事実です。

民進党は「人への投資」を政策の柱にしていますが、その根拠を示してくれているのがこの本です。だれにでも薦められる本ではありませんが、少なくとも現職議員や政策立案担当者には読んでほしい本です。

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