OECD加盟国で最低の教育支出

OECDが9月12日に発表した教育機関への公的支出のGDP比は、OECDの34か国中で日本は最下位でした。GDPに占める公的な教育支出の割合は3.2%ですが、OECD平均の4.4%を下回っています。

OECDの平均よりもGDPの1%分くらい政府の教育支出が少ないわけです。GDPの1%分の支出というのはかなりの金額です。防衛費がGDPの1%で約5兆円ですから、1%の差は大きいです。つまり日本政府は教育支出をあと5兆円くらい増やさないとOECD平均に届きません。かなり思い切った教育支出増をやっても、やっとOECD平均に届くという程度です。

「人づくり革命」を打ち出した安倍政権は、まず教育支出を増やすことに力を入れてほしいと思います。へんな道徳教育や愛国教育よりも、学校現場の非正規雇用の教員を正規化したり、教員養成に力を入れたり、やるべきことはたくさんあります。にもかかわらず、安倍政権は国立大学の教員養成課程を削減しようとしています。やっていることが真逆です。

大学教育に関しては、公的支出の割合はOECD平均70%ですが、日本は34%です。つまり日本では大学教育にかかる経費のうち66%は、家計が負担しているということになります。家計負担はOECD平均の2倍です。

幼児教育についても、公的支出の割合はOECD平均で82%ですが、日本は46%です。日本では54%もの幼児教育の費用を家計が負担しています。他の先進国では幼児教育のコストのほとんどを政府が負担しています。

特に大学教育と幼児教育に関しては、日本の家計の教育費負担が重くなっています。政府が教育支出をケチった結果として、家庭の教育支出が増えています。政府に代わって、家計が重たい教育費負担に耐えているのが、日本の現状です。

たとえば日本では「大学教育の費用は、親や本人が負担するのが当たり前」という考え方が強いですが、欧州諸国では当たり前ではありません。

大学教育のメリットは、もちろん本人も享受します(「私的リターン」と言います)。他方、大学教育を受けた人が増えれば、労働者の生産性も高まり、社会のさまざまな場面でリーダーシップを発揮する人材も増え、社会全体にメリットが及びます(「社会的リターン」と言います)。社会全体にメリットがあることなので、大学教育の費用を政府がある程度まで負担するのは当然といえます。

もちろん一気に大学教育の無償化を進めるのは難しいでしょう。現実的には、段階的に大学授業料の低負担化をはかることになるでしょう。最終的には、厳しい基準を満たした大学と学生については無償化という道筋になると思います。ぜんぜん勉強せずに、遊んでばかりでも卒業できる大学まで無償化しようとしたら、納税者の支持は得られません。安易な大学の無償化にはデメリットもあるので、段階的に授業料負担を減らし、かつ、大学教育の質を担保する手段を考えながら、時間をかけて大学無償化の道筋を考えていくのが妥当だと思います。裏を返せば、大学教育の無償化を実現しようとすれば、大学教育の名の値しない大学は、淘汰せざるを得ないかもしれません。「大学無償化」には相当の覚悟が必要になるでしょう。

家計の教育負担が重いことが、教育格差の原因になります。親の所得格差が、そのまま子どもの教育格差につながります。塾や家庭教師、私学の高い授業料などの負担が、家庭の教育力格差を広げています。政府の教育支出を増やすことが、教育格差の是正に不可欠です。親の所得に関係なく、すべての子どもが質の高い教育を受けられるようにするために、公教育の質を向上させることが重要です。

21世紀の知識社会、成熟した知識経済のもとでは、教育の質が人材の質を決定し、国際競争力を左右します。コンクリートのインフラ整備よりも、教育環境の整備こそが、21世紀にふさわしい投資であり、それが民進党の訴える「人への投資」です。

*ご参考:2017年4月5日付けブログ「なぜ日本の公教育費は少ないのか」

なぜ日本の公教育費は少ないのか【書評】
久しぶりに書評ブログです。今日のおすすめは「なぜ日本の公教育費は少ないのか」という本。2014年度の「サントリー学芸賞(政治・経済部門)」を受賞した名著です。著者は、私と同世代の教育学者で大阪大学准教授の中澤渉氏です。 この本の要旨...