「閾値」を超えた安倍政権への不信

1年ほど前に「安倍政権の高支持率の背景」というブログを書きました。その趣旨を要約すると以下の通りです。

  1. 世の中のさまざまな事象は複雑であり、一般市民が複雑な事象をいちいち調べて判断することはない。その代わりに「とりあえず自分に理解できないことがあっても、必要なときは誰かが説明してくれるだろう」という「順応の気構え」が生まれる。複雑な世の中を理解するためにエネルギーと時間を割くことなく、テレビのコメンテーターなどの説明に納得する。
  2. テレビのコメンテーターや新聞に出てくる有識者を一度信頼すると、その後に多少裏切られるようなことがあっても、しばらくの間は信頼し続ける。信頼が裏切られたことを認めると「こんな人を信じてしまった自分がなさけない」とみじめな思いをするので、多少裏切られてもしばらくは信頼し続ける。
  3. しかし、信頼を裏切られる回数が増えて、ある一線(ある閾値)を超えた瞬間、裏切られたことへの怒りが生まれ、忌避されるようになる。「順応の気構え」にも限界がある。

*ご参考:2016年7月6日付けブログ「安倍政権の高支持率の背景」

安倍政権の高支持率の背景
共同通信社の電話世論調査によると、自民、公明、おおさか維新の会などの「改憲勢力」は、参議院の3分の2の議席に届く見込みです。自民党は60議席前後で、参院で単独過半数となる見込みです。安倍政権の勢いは続いています。

このところ安倍政権の支持率は急激に低下し、都議選では自民党が歴史的な敗北をしました。自民党内で安倍総理への不満が公然と語られるようになってきました。どうやら安倍政権への不信感は、限界点つまり「閾値」を超えたようです。

これまで多くの国民が思っていたことは、こんな感じではないでしょうか。

民主党政権はひどかった。それに比べれば、安倍政権はまだマシだ。株価も上がったし、何となく景気もよくなりそうだ。しばらく安倍総理でいいだろう。

安倍政権を積極的に支持しているわけではないが、「順応の気構え」によって「とりあえず民主党政権よりマシそうだから、安倍総理を信頼してみよう」という国民が多かったと思います。

4年半を超えた安倍政権とアベノミクスのもとで、富裕層がより豊かになり、輸出産業を中心に企業収益が改善し、失業率は下がりました。しかし、多くの庶民・中間層にとっては、実質賃金はさほど上がっていません。増えた企業収益は内部留保の増加につながるだけで労働者への分配には回りません。不思議なことに失業率が下がっているのに賃金はさほど上がりません。そもそも失業率の低下は人口動態の変化で説明できる部分が多く、アベノミクスの影響は少ないです。非正規雇用が増えており、格差拡大・二極化の傾向も変わりません。

安倍総理は「アベノミクス、この道しかない」と言ってきましたが、本当に「この道」でいいのかと、多くの国民も疑問に思い始めていることでしょう。

また、安倍総理は外交が得意だと自負しているようですが、安倍外交がほんとうにうまく行っているのか大いに疑問です。たしかに海外出張の回数は突出して多いです。外遊するたびにマスコミが同行し、派手に宣伝してくれます。しかし、その中身は疑問です。北朝鮮の暴走は止められず、中国や韓国との関係は悪化したまま。安倍総理の肝いりのTPPは、トランプ大統領の誕生でとん挫しました。トランプ大統領と良好な関係ですが、それ自体が疑問です。安倍外交でどの点がうまく行っているのかわかりません。国民の多くも、安倍政権の外交・安全保障政策に疑問を抱き始めていると思います。

そんな中で森友学園・加計学園の問題により、安倍総理の信頼性に大きな疑問符が付くことが明らかになってきました。以前に安保法制で一時的に下がった政権支持率は、なぜかその後持ち直しました。

政策への反発は忘れられやすいのかもしれません。しかし、信頼を裏切ったことへの反発は、なかなか消えません。信頼を回復するのはむずかしく、二度と回復しないかもしれません。後で振り返ると「安倍政権の終わりの始まりは、森友・加計学園だった」と言われるかもしれません。