政治学の法則からみた新党の意義

民主党と維新の党が合流して、新党になるようです。
報道ベースの情報しかないので、詳しいことはわかりません。しかし、政党名が変わると、印刷物や広報資料もデザインを変えなくてはいけません。選挙管理委員会に届け出る書類も変更しなくてはいけません。いろんな実務的な影響が出てきます。

個人的には「大阪維新の会」の橋下徹氏の政治手法や政策に疑問を持っていたので、橋下氏と合流した人たちに、親近感はありません。もっとも後になって橋下氏と絶縁して「維新の党」になったということは、共感できる部分もあるのでしょう(そう信じたいと思います)。

二つの組織がいっしょになるには、時間をかけて信頼関係を築いていくプロセスが必要です。食わず嫌いなのかもしれないので、私も維新の党出身の人たちと信頼関係を築くために努力したいと思います。

民主党と維新の党の合流は、反自民勢力がまとまるという点で、政治的に意義があります。小選挙区制のもとでは、必ず二大政党化(公明党も自民党の一部のように機能しつつあります)が進みます。この現象は、フランスの政治学者の名前をとって「デュヴェルジェの法則」と呼ばれ、政治学の世界では初歩的知識です。

個人的に私は、みんなの党という第三極の新党を立ち上げて、「デュヴェルジェの法則」に逆らおうとしましたが、失敗しました。みんなの党の党内はバラバラになり、支持は広がらず、第三極新党の試みは挫折しました。

政治学の法則には逆らえないことを、経験を通して体で学びました。最終的に二大政党のうち、自分の考えにより近いのは民主党だと判断して入党しました。これからは政治学の法則には逆らいません(逆らってもムダでした)。

「デュヴェルジェの法則」の観点からも、二大政党の一角を担う政党をつくるため、民主党と維新の党の合流は必然だったのかもしれません。

新党をつくっても期待感は出ないと批判されますが、期待感があるかないかは重要ではありません。重要なのは、自民党に対抗する勢力がバラバラに戦うと不利になるという事実です。少なくとも、民主党と維新の党が、野党間でつぶし合うことは避けられ、野党がつぶし合って自民党を利することが少なくなります。それだけで十分意義があります。

自民党による「野合批判」など聞く耳を持つ必要はありません。政治哲学も支持層も異なる公明党と長年にわたって連立政権を維持してきた自民党が、野合批判とは恐れ入ります。社会党やさきがけと3党連立政権の頃に現職議員だった自民党幹部も多いことでしょう。社会党との連立は理念が一致していたのでしょうか。社会党との連立政権が「野合」ではなかったとすれば、その理由をおうかがいしたいものです。

確かに安倍総裁のもとで自民党は右派的イデオロギーで純化しつつあります。イデオロギー的に純化している点は、政党のあり方として潔く、誇っていいかもしれません。しかし、平和と福祉を重視するはずの公明党と連立している以上、民主党と維新の党の合流を「野合」などと批判する資格は、自民党にはありません。

新党は、二大政党のひとつの政党としては、ある程度は政策の幅が求められます。社会民主主義のリベラル勢力と穏健な保守(リベラル保守)勢力が結集する新党という立ち位置が、自公政権に対抗していくために不可欠です。

安倍政権が右に偏っている状況を考えると、民主党と維新の党が合流した新党は、穏健な保守層の支持を広げられる可能性があります。社会民主主義と中道保守による中道連合政権をつくるための一歩として、民主党と維新の党の合流には積極的意義があります。