国民負担率より国民受益率

いま多くの人が何の疑問もなく使っている「国民負担率」という言葉があります。「国民負担率」とは租税負担の割合と社会保障経費負担の割合を足したものです。新聞などでは、そういった説明すらなく、ふつうに使われています。

しかし、盛山和夫教授によれば、「国民負担率」という言葉は、日本でしか通用しない専門用語だそうです。英語では「国民負担率」に相当する用語はないそうです。タガログ語やインドネシア語にもないと思います(たぶん)。

「国民負担率」という用語は、経済学や財政学の専門用語ではなく、中曽根臨調のときの官僚の造語であり、「官庁用語」だそうです。今では経済学者や財政学者もこの言葉を使うようになってきたかもしれませんが、もともとも役所の政策的な意図に基づいて造語されたそうです。この言葉を造った人は、とても優秀な役人です。お見事。

中曽根臨調の「増税なき財政再建」という方向へ議論を誘導する意図をもって、社会保障費負担の大きさをアピールするために造られたのが「国民負担率」という言葉です。歳出削減のために社会保障費を抑制する意図で「国民負担率」という言葉が導入されました。

そして「国民負担率が高いと経済成長にマイナスである」というイメージをふりまき、社会保障費の抑制の流れをつくり出してきました。しかし、国民負担率が高い北欧諸国の方が、日本よりも経済成長率が高く、一人当たりGDPも高いことから、このイメージは誤りであることは明らかです。

ちょっと前にブログで「分断社会を終わらせる」という本をご紹介させていただきました。同書は「広く負担を求め、広く受益する」という発想により社会全体でリスクに備え、不安な自己責任社会から転換することを訴えました。国民負担率が高くても、手厚い社会保障によって安心して暮らせるのであればよい、またそのことが経済成長にもつながる、という主張でした。いまの日本に必要な発想だと私も思います。

国民負担率が高いのに、社会保障が不備なのは問題です。しかし、国民負担率が高くても、社会保障が充実していて安心して暮らせて、かつ、経済成長にもつながるのであれば、その方がよいと私も思います。

そこで必要になるのは「国民受益率」とでもいえる概念です。グーグルで検索したら「国民受益率」という言葉はヒットしませんでした。私のオリジナルの造語なので、勝手に定義します。「国民受益率」とは、年金、医療、公教育、保育、子育て支援、介護、障がい者福祉、生活保護に投入される費用(原資は税金や社会保険料)がGDPに占める割合です。これらの指標は、さっき私が決めました。どれくらいの数値になるのか興味深いです。

この「国民受益率」と「国民負担率」を比較検討すれば、受益と負担の望ましい割合を冷静に議論できるようになると思います。

ざっくり言えば、この50年くらいの自民党政権(民主党政権や細川政権の断絶が数年ありましたが)は、「低負担・中福祉」の制度をつくってきました。国の借金が増えた一因は、「低負担」なのに「中福祉」を維持してきたことです。

景気のことを考えれば、「いますぐ消費税増税は難しい」という岡田代表の判断は正しいと思います。しかし、ずっと増税から逃げ続けるのはムリがあります。「税金の無駄遣いをなくせば、増税しなくて済む」という段階は過ぎました。いつかは消費税増税もやむを得ないと思いますが、同時に納税者が納得できる水準の受益を確保する必要があります。すべての人が受益者になる財政戦略をとり、「国民負担率」だけでなく、「国民受益率」も考慮に入れて、制度を設計していく必要があると思います。

「国民受益率」の高い社会は、安心できる社会です。子どもの貧困が深刻になり、所得格差が拡大するなかで、自己責任だけでは問題は解決しません。社会全体でリスクを共有し、子どもの貧困等の問題を社会全体で解決していくためにも、「受益」と「負担」についてしっかり考えなくてはいけない時期だと思います。

そういうときに私の造語の「国民受益率」は、けっこう便利な概念だと思うんです。どなたか研究して論文に書いてくれませんか? あるいは厚生労働省の審議会あたりで議論してくれませんか? 負担と受益の理想的なバランスを議論するためには、ぴったりの概念だと思います。

*ご参考:盛山和夫、2015年、「社会保障が経済を強くする」光文社新書