
はじめまして、山内康一(やまうちこういち)です。
2005年のあの熱い夏、一介の公募候補から多くの皆様の信任を頂いて初当選、それから約4年間、自由民主党所属として衆議院議員を1期務めさせて頂きました。
自民党からの離党を決意するに至った経緯と苦悩はこちらの記事に述べさせて頂きましたが、何よりもこの国と社会と、そこで生きる皆様にとって必要なこと正しいことを追求してゆくため、自分の信念に従わせて頂きました。
このページでお伝えできることには限りがありますが、馬車に立ち向かう愚かな蟷螂(カマキリ)の如く、政治という厳しい世界にて生身で奮闘する私という人間の一端を知って頂きたく、以下に自己紹介をさせて頂きます。

- 1973年8月25日生まれ(35歳)
- 1996年 国際基督教大学(ICU)教養学部(国際関係学科)卒業
- 1996年 国際協力事業団(JICA) 入団
- 2000年 NPO法人ピースウィンズ・ジャパン 他のNGOに勤務
- 2004年 ロンドン大学 教育研究所 修士課程修了(教育と国際開発)
- 2005年 公募により22名の応募者から衆議院議員候補者に選ばれる。初当選。
- 2005~09年 衆議院外務委員会、安全保障委員会、青少年問題特別委員会など。

- 非世襲、非官僚出身で、「市民の視点と草の根ボランティア魂」を持っています。
- アフガニスタン、インドネシア、東チモールと、過酷な紛争地や被災地で難民支援や災害支援の第一線で働いてきました。見かけによらず「タフ」です。
- NPOでのボランティア活動・市民活動、中央省庁向け政策提言などの経験から、市民の視点での政策づくりや行政とNPOとの協働を推進できる「実務」を知り尽くしています。
- ロンドン大学の教育研究の専門機関で修士取得しました。感情論や印象論に流されず、教育政策の専門家としての「しっかりした知見」で、日本の教育政策をリードできます。
- 各党が党議拘束を外して成立した臓器移植法の改正には、当選直後から3年9ヶ月あまりずっと事務局の中心的立場で関わってきました。政治家としての人気取りや票田への利益誘導とは無縁の地味な分野ですが、政策立案、議員間の連絡調整、法案審議における答弁、マスコミ対応などを推進できる「霞ヶ関の役所に頼らない議員立法の担い手」です。
- 初心を忘れず、スタンドプレーに走らず、保身に傾かず、世界の中の日本と国民の皆様にとっての日本の将来を切に考え、「まっすぐな信念を貫き通す覚悟」を持っています。

私は 2005年9月の総選挙で初当選しましたが、立候補のきっかけは自民党神奈川県連が実施した候補者公募でした。当時の神奈川県連会長の河野太郎代議士の メールマガジンでたまたま候補者公募を知り、2005年3月末に応募しました。論文審査と2度の面接を経て、22名の応募者の中から2005年6月末に候 補者に選ばれました。神奈川9区は小選挙区制度発足してから一度も自民党の候補者が勝ったことのない(比例復活すらない)選挙区でした。民主党の強固な地 盤であり、郵政解散・小泉ブームが予期できない時期だったので、無謀なチャレンジだと周囲から同情されたものでした。しかし、小泉ブームのお陰もあって、 初当選を飾ることができました。
そもそも国会議員になろうと思ったきっかけは、 JICA(独立行政法人国際協力機構)や国際協力NGOで働いていた時に感じた問題を解決するには、政策形成の上流部門にあたる国会や政府(外務省)を変 革しなくてはいけないと思ったことでした。外務省系の政府機関で働いてみて、天下り問題、単年度主義の弊害、非効率な調達システム、政治家のODAプロ ジェクトへの介入など、さまざまな問題に気付かされました。次に、JICAから国際協力NGOに転職してみて、官から民への構造改革が進む中で、NGO/NPOという新しいプレーヤーの果たす役割の大切さに気付きました。 また、国の 難民政策や ODA政策をより良い方向へ変えるためNGOスタッフとして国会議員へのロビイング活動に関わってみて、社会を変えるためには、政治を変えなくてはいけ ないということを実感しました。国会議員を思った方向に思ったとおりに動かすのは非常に難しかったです。むしろ自分が国会議員になって政策をつくる方が早 いのではないか、と思いました。
アジアの発展途上国の貧困層や難民のために JICAやNGOで働いた経験、行政の仕組みを中から見た経験、NGO/NPOの運営に関わった経験、インドネシアやアフガニスタン等に滞在した経験、国 会議員や省庁にロビイングした経験等、さまざまな経験をいかして、国政の場で外交や行政改革に携わりたいと思い、公募に応じました。

- 1973年 - <子供時代>
- 福岡県筑紫野市で生まれました。小さい頃は田んぼがたくさんあって、庭で蛍が見られるような田舎でしたが、最近は福岡市のベッドタウンとして新興住宅地になりつつあります。今住んでいる川崎市多摩区や麻生区に似た状況かもしれません。家庭は兼業農家で、父は旅行会社に勤めるサラリーマンをやりながら、土日で米をつくっていました。小学校・中学校とマイペース人間で、本を読むことが特に好きでした。
- 1989年 - <高校時代>
- 福岡県立筑紫丘高校に進学しました。このころから途上国の貧困、難民や環境保全に関わる仕事に憧れていました。第一志望の大学は国際基督教大学(ICU)の国際関係学科で、国際関係論(国際政治)や国際経済を勉強して、途上国援助の仕事に就くのが夢でした。
- 1992年 - <大学時代>
- 両親の反対を押し切って国際基督教大学(国際関係学科)に進学しました。九州の片田舎では国際基督教大学 (ICU)の知名度は低く、周囲の人達からは「牧師になるのか?」と聞かれたり、「人生いろいろあるさ。」と慰められたりしました。1年生の1学期に張り 切ってとった授業は、「平和研究」と「環境と開発」でした。
- 1994年 - <フィリピン交換留学時代>
- 大学では途上国の経済開発を専攻することにしましたが、机上の理論だけではなく、途上国の生の現実を自分の 眼で見てみたいと思って、フィリピンの大学に留学しました。百聞は一見にしかずと言いますが、非常に学ぶことの多い1年間でした。また、外から日本を見て みることで、いろいろと日本の良さをあらためて認識しました。
- 1996年 - <JICA時代>
- 第一志望の国際協力事業団に就職し、インドネシア、フィリピン等のアジア諸国への技術協力プロジェクトや専門家派遣の仕事をやりました。特に途上国における教育問題と保健医療の問題に関心を持ち、教育や保健に関する職場の外の勉強会にも参加していました。
- 2000年 - <国際NGO時代>
- 前々から難民問題に関心があり、NGO・NPOの海外の現場で働いてみたいという思いが高じ、JICAを辞 めNPO法人ピースウィンズ・ジャパン等の複数のNGOで働きました。インドネシア、東チモール、アフガニスタン、インド等いろいろな国で、難民や地震・ 洪水の被災者のための緊急人道援助活動や、学校建設・農村開発等の開発支援活動に従事しました。国内ではNPOのネットワークづくり、調査研究、政治家へ のロビイング等の仕事をしていました。この頃、初めて自民党の国会議員の方々との接点が生まれました。自民党には予想以上にNGOシンパがいて、それまで の自民党イメージが大きく変わりました。
- 2003年 - <ロンドン留学時代>
- ずっと関心のあった途上国の教育問題について勉強するため、ロンドン大学教育研究所(Institute of education,University ofLondon)の修士課程に留学しました。勉強は大変でしたが、イギリス人の発想やイギリスの制度を知るいい機会でした。また、日本とは異なる教育制 度を勉強することで、日本の教育制度を客観的・相対的に見られるようになったと思います。







