中国の台湾侵攻リスクは高まったのか?

ロシアのウクライナ侵攻を受けて「次は中国が台湾に侵攻する」と騒ぐ人たちが多く、「日本も防衛力を強化すべき」という論調が広がっています。本当にそうでしょうか?

東アジアの安全保障環境を考えれば、一定程度の防衛力が必要なことはわかります。日本にとって米国との同盟が引き続き重要なことも理解します。しかし、すぐに「中国が台湾に攻めてくるから防衛費を大幅に増やせ」と騒ぐことはないと思います。

ロシア軍のウクライナ侵攻の停滞とロシア経済の悪化を見た中国共産党幹部は、おそらく「小国だと見くびって軍事力を行使すると痛い目にあう。西側諸国の結束は思ったよりかたい。慎重に行動しないと国内で権力を失いかねない」と思っているのではないでしょうか。

ロシア軍は実戦経験が豊富です。中国軍とは比べ物になりません。ロシア軍は、シリア内戦、グルジア戦争、チェチェン紛争とごく最近の実戦経験も豊富です。それでも軍事的にはウクライナでこれだけ失敗しています。

中国人民解放軍の最後の実戦経験は何十年も前です。しかもベトナム軍を相手にコテンパンにやられました。中国人民解放軍には海戦の経験はほぼありません。日清戦争以来ほとんど海戦を経験していません。そんな人民解放軍が海をわたって冒険的な侵攻を行うのはかなりのリスクです。中国の首脳部はそこまで愚かではないと思います。

私と同じ見立ての米国の戦略家がいることがわかって、ちょっと安心しました。「月刊Hanada」2022年5月号にエドワード・ルトワック氏の「戦争終結の唯一のシナリオ」というインタビュー記事が出ていました。興味深いコメントを抜粋します。

ちなみに私は前回プログ(2022年3月16日付)で「プーチンのウクライナ侵攻は最終的には失敗する」と予想しました。以下のリンクをご参照ください。

不寛容な米国がプーチン独裁を生んだ:ウクライナ戦争後に向けて
フランスの人口学者・歴史学者のエマニュエル・トッドは、人口動態からソ連崩壊を予測して的中させたことで有名です。今回のロシアのウクライナ侵攻の背景を理解する上でも、エマニュエル・トッドの意見は参考になると思います。 2019年10月9...

恥を忍んで申しあげると、私は「ロシアはウクライナに侵攻しない」と予想していました。その予想は外れました。それはプーチンが予想以上に判断を誤ったからだと思います。プーチンを過大評価していました。ルトワック氏は次のように述べます。

今回のプーチンの侵攻は理解しがたい失敗と断言する。彼自身の「劣化」とも言える。単独の支配者としてこれだけ長年君臨してしまうと、必然的にその判断力や能力は劣化せざるを得ない。

まったく同感です。以下のとおり私のブログからも引用します。ルトワック氏と私は同じポイントを指摘しています。

【私の3月16日付ブログより引用】
ロシア軍はウクライナ侵攻に19万人の部隊を用意していましたが、広大なウクライナを占領するには十分ではないでしょう。中東から外人部隊を呼ぶのも兵力不足への対処でしょう。

第二次世界大戦中のソ連軍の動員兵力は1500万人くらいだったといわれます(当時の米軍の動員兵力は1200万人くらいだったと思います)。それに比べると現代のロシア軍の動員兵力は少なく、兵力で圧倒するのは簡単ではありません。

チェチェン紛争でロシア軍は苦戦しましたが、チェチェンの人口は100万人を少し超える程度だし、アフガニスタン侵攻時のアフガニスタンの人口は1500万人くらいです。いまのウクライナの人口が4300万人であることを考えると、占領統治は簡単ではないでしょう。最終的にロシアはウクライナから出ていかざるを得ないでしょう。最後はロシアが負けると思います。

ルトワック氏も同じ趣旨のことを言っています。

1986年、私は「プラハの春」の真っ只中のチェコスロバキアの首都プラハにいた。当時、ソ連はこの細長くてウクライナよりもはるかに小さな国に対して、80万人の兵力をつぎ込んでいた。(中略)

いまロシアが侵攻しているウクライナは、チェコスロバキアよりもはるかに大きな国だ。占領するには最大で約100万人の兵力が必要だろう。現在のロシア全軍の規模よりもはるかに大きい。

ルトワック氏も私もウクライナほど大きな国を少数の軍隊で侵攻して占領するのはムリだと考えます。ルトワック氏は次のように述べます。

注意すべき要素がある。それは、ロシアの戦争遂行能力のほうが中国のそれよりも高いという点だ。最近の習近平は、たしかに戦争プロパガンダを続けている。人民解放軍や武装警察の幹部らを前に「戦争に備えよ」と騒いでいる。

ところが、中国国民の戦争を行う意欲は低い。彼らは以前よりも、台湾への直接侵攻には意欲的ではなくなっている。もし侵攻したら、西洋諸国から孤立するというロシアの例を目の当たりにしたからだ。

それだけではない。中国人民はロシア国民と違い、自分たちが世界からの資源や物資の供給に頼っていることを確実に実感している。ロシアは資源や原料などを輸出する側だが、中国は逆にそれらを輸入する立場にある。原料からエネルギー、果物に至るまで、ありとあらゆるものを中国は輸入している。

ロシアは世界最大級の石油と天然ガスの輸出国です。しかも小麦の輸出も世界一でした。エネルギーと食料を自給して輸出までできるのがロシアの強みです。経済制裁を受けたとしても、国民が飢えることはないし、エネルギー不足にもなりません。

他方、中国は世界最大級のエネルギーと食料の輸入国です。経済制裁に弱い構造があり、海上封鎖されると死活問題です。米国海軍と海上自衛隊は世界最強の潜水艦戦力を有し、ペルシア湾からマラッカ海峡を越えて南シナ海までの中国のシーレーンはきわめて脆弱です。ロシアよりも中国の方がずっと脆弱だと言えるでしょう。

さらにルトワック氏は次のように言います。

ロシアのウクライナ侵攻が中国に与えている教訓は、中国の台湾侵攻がいかに難しいか、ということだ。いざ軍事力を使ったら、世界から大変な反発が起きる。(中略)

習近平らはプーチンの例を見て、自分たちも同じような制裁を受けたらどうなるかを想像して、ゾッとしていることだろう。

まったく同感です。「次は中国の台湾侵攻だ」と騒いでいる人たちは、ルトワック氏の洞察に耳を傾けてほしいものです。ルトワック氏の見立ては「中国の台湾侵攻リスクはむしろ低下した」というものです。

私はそこまでは言いません。私の見立ては「中国の台湾侵攻リスクはウクライナ侵攻の前後でさほど変化していない」というものです。引き続き中国の動向には注視すべきですが、「すぐに台湾で戦争が始まる」と騒ぎ立てる必要はないと思います。

*参考文献:飛鳥新社「月刊Hanada」2022年5月号、エドワード・ルトワック「戦争終結の唯一のシナリオ」