マクマスター「戦場としての世界」【書評】

米国の国家安全保障担当大統領補佐官だったハーバート・マクマスター(H・R・マクマスター)氏の「戦場としての世界:自由世界を守るための闘い」(2021年)を読みました。500ページ超の大部の本ですが、ロシア、中国、南アジア、イラン、北朝鮮など地域別に章が分かれていて、近年の米国の外交安全保障政策を振り返るにはよい本です。

マクマスター氏は陸軍士官学校(ウエストポイント)出身の軍人で、湾岸戦争に戦車部隊の指揮官として従軍し、イラクでも最前線で部隊を指揮し、実戦経験も豊富です。それでいて、歴史学の博士号を持ち、シンクタンク出向などをへて、トランプ政権の大統領補佐官に就任しました。現在はシンクタンクのハドソン研究所の日本部長です。

マクマスター補佐官は、トランプ大統領とはうまく行かず(本書でもトランプの無茶苦茶ぶりが少し出てきます)、短期間で辞任しました。本書の記述によると、北朝鮮問題でトランプとぶつかったのが補佐官を辞めた理由のように思われます。ふり返るとマクマスターが補佐官をやっていたときのトランプ外交はまだマシだったかもしれません。

アメリカ版のネトウヨみたいな「オルトライト」と呼ばれる極右過激派は、マクマスター補佐官は「ディープ・ステート(闇の国家)」の一員だと批判し、マクマスター退任キャンペーンをはりました。反知性主義者のネトウヨにとっては、歴史学の博士号を持つ学究肌の軍人は、トランプ大統領の足を引っ張る存在に見えるのでしょう。

マクマスター氏の文章は、歴史家らしく、過去の経緯や文化的背景などが詳しく書かれています。たとえば、イラン情勢を議論するときに、イラン革命前の王制を振り返るだけでなく、18世紀のガジャール朝の時代のことから、大英帝国とロシア帝国のグレートゲームのことまでふり返ります。

そんなわけで、この本は大部の本になっていますが、それぞれの章のまとまりがよく、世界全体の情勢を俯瞰するには良い本です。本のタイトルが「戦場としての世界」ですが、軍事的な側面だけでなく、外交や各国の内政まで書かれているので、現在の世界情勢をよむテキストとしてよいと思います。パキスタン軍政幹部のずる賢い外交術、イランの宗教指導者の思考パターン、プーチンの手口、中国共産党指導部とのやり取りなど、興味深い記述がたくさん出てきます。

マクマスター氏の姿勢でいちばん感銘を受けたのは、イスラム社会との向き合い方です。マクマスター氏は、イラクやアフガニスタンでアルカイダやISILといったテロ組織と命がけで戦ってきた軍人です。しかし、イスラム教やその文化に敬意を払い、軍内で「イスラム過激派」という言葉を使わせないように努力しました。アルカイダのやっていることは「単なるテロ」であり、「単なる犯罪」であるとし、罪のない市民を自爆テロで殺すような行為は「そもそもイスラム的ではない」と断罪します。

私もアフガニスタンやインドネシアにNGOスタッフとして駐在していたときにイスラム教徒の皆さんとお付き合いがありました。ふつうのイスラム教徒はおだやかで親切な人が多いです。とくにインドネシアにいたときには、そんなに豊かでないはずのドライバーや現地スタッフが孤児院などによろこんでポケットマネーを寄付するのを見て感動しました。イスラム社会では日本以上に寄付文化が根付いています(「寄付」というより「喜捨」かもしれませんが)。

マクマスター氏が、イスラム教やイスラムの文化を理解して敬意を払うのは、歴史学のバックグラウンドが影響していると思います。テロとの戦いを、イスラム教世界とキリスト教世界の文明間宗教戦争にしないためには、マクマスター氏のような冷静な姿勢が重要です。イスラム世界の穏健派やサイレントマジョリティーを味方にすることが、西側世界の対テロ戦争の軸であるべきです。

マクマスター氏の歴史学の知識や地域社会への理解が戦場で役立っていることがわかるのが、マクマスター氏が第三機甲騎兵連隊を指揮して、イラク北部のタルアファルという都市に駐屯していたときの成功例です。当時のタルアファルはアルカイダの拠点になっていました。シーア派のトルクメン人、スンニ派アラブ人、クルド人、ヤジディ教徒と多様な住民が住む都市で、シーア派の警察部隊とスンニ派のアルカイダが激しく戦う戦場でした。シーア派の警察はスンニ派住民を弾圧し、アルカイダはそれに対抗する形で地域のスンニ派住民の協力を求めました。そこでアルカイダは少年に宗教教育を施して戦場に送り出していました。

そのタルアファルにマクマスター指揮下の第三機甲騎兵連隊が派遣されました。マクマスター氏は地元選出のイラク国会議員と連携して、シーア派寄りの暴力的な警察署長を更迭してもらい、穏健なスンニ派の警察署長を就任させました。新しい警察署長は、宗派的な闘争を終わらせ、住民の安全を守るという警察本来の役割を果たすようになりました。

米陸軍の第三機甲騎兵連隊は、イラク陸軍の第三師団と一緒にアルカイダの拠点を攻撃し、外部からの武器や外国人戦闘員の流入を止め、住民の保護を強化しました。米軍兵士もイラク軍兵士と共に地域コミュニティに入り込み、地域住民との信頼関係を築くことに努めました。住民を潜在的テロリストと見なして敵視するのではなく、シーア派とスンニ派の双方の過激派から住民を守ることに全力を尽くしました。あわせて現地の有力者たちは、宗派間の争いを止めるための対話の場を設け、民族・宗派間の相互理解を促進しました。

その結果、タルアファルの治安は劇的に改善して、閉鎖されていた市場や学校は再開し、米軍とイラク軍による治安維持とテロ対策の成功のモデルケースになりました。タルアファルの多くの市民は、スンニ派のアルカイダの暴力もシーア派の警察官の暴力もどちらも苦々しい思いで見ていました。腐敗した警察署長やテロリストが、宗教間や民族間の対立感情をあおり、街を戦場にしてしまいましたが、サイレントマジョリティーは平和志向だったのだと思います。

マクマスター氏は、スンニ派とシーア派の争いでどちらかに肩入れすることを慎重に避けつつ、宗派間の暴力をあおる過激主義者と一線を画すように各宗教の権威者たちに働きかけました。きわめてまっとうなアプローチです。「イスラム教徒はみんな野蛮なテロリストだ」みたいな世界観を持っていたら、ぜったいにイラクやアフガニスタンの戦争で米国は成功しません。マクマスターのような指揮官が多ければ、米軍の占領統治はもう少し成功したと思います。

マクマスター氏が本書で強調する2つのポイントは、「戦略的ナルシシズム」と「戦略的エンパシー(共感力)」です。「戦略的ナルシシズム」とは、世界をアメリカとの関係だけで見て、これから起きる出来事はアメリカの決定ないし計画にかかっていると想定する傾向です。戦略的ナルシシズムは、あるときは自信過剰、あるときはあきらめの見方をもたらす、と言います。

次に「戦略的エンパシー」とは、何が対立する相手を駆り立て、あるいは制約しているかを理解するスキルであり、戦略的ナルシシズムを正すものであるとマクマスター氏は定義します。政策決定者が戦略的ナルシシズムに陥ると、複雑な問題に対して単純に割り切り、短期的な解決策をとりがちです。長期的なアプローチを避ける姿勢は、戦略的エンパシーの欠如から生まれるとマクマスター氏は言います。

マクマスター氏がタルアファルで成功したのは、「戦略的ナルシシズム」に陥ることなく、「戦略的エンパシー」をもって独りよがりにならず、現地情勢を冷静に分析した上で実行可能なプランを立て、現地の関係者を尊重し連携しながら行動したおかげだと思います。それができたのは、歴史学のバックグラウンドがあったおかげだと思います。マクマスター氏の次のように言います。

私は国家安全保障をめぐる現代的な課題の位置づけを論じる際に、歴史を理解し、活用することが役に立つと考えている。過去がどのように現在とつながっているかを把握すること、これが政策や戦略の取りまとめにあたって重要な最初のステップだと信じていた。私は、歴代の大統領や閣僚、国家安全保障会議のスタッフがどのようにして意思決定を行い、政策を立案し、戦略を練り上げてきたのかという歴史が、これから大統領に最良の助言と理にかなった選択肢を提示する上で教訓になると確認していた。私にとって歴史に触れることはもう一つの本業だった。

まったく同感です。さらに軍人は歴史を学ぶべきだと次のように述べます。

軍隊の指導者にとって歴史を読み、歴史について考えることは、国家と仲間の兵士たちに対する神聖な義務の不可欠の一部である。戦争は生死を分けるものであり、自分の個人的な経験だけに学ぶと決めている戦闘のリーダーの姿勢は無責任と言える。

本書の「おわりに」では、「現代の課題を理解し、対処するには歴史に学ぶことが重要だという主張こそ本書の要点である」とあります。マクマスター氏は歴史を重視し、歴史を「実学」と見なしています。政治家や自衛隊の幹部は、歴史を学ばなくてはいけません。防衛大学は人文社会科学系の教養教育をちゃんとやっているのだろうかとちょっと心配になります。

*参考文献:H・R・マクマスター「戦場としての世界」 2021年、日本経済新聞出版