歴史にまなぶ産業の盛衰

地元支援者の方から早良区のある集落の郷土史の本をいただき、おもしろくて一気に読み終えました。実家の筑紫野市原田から山を越えればそんなに遠くない土地ですが、似ているところも似てないところもあります。方言などはほとんど同じですが、微妙に異なっているところもあります。大正から昭和の半ばまでの聞き取り調査や文献調査に基づく本ですが、初めて知った事実も多くて勉強になりました。

その本のなかで、早良区ではかつて犂(すき)作りが重要な産業であったことを知りました。犂(すき)とは牛や馬にひかせて田畑を耕す農具ですが、1960年代までは使われていたそうです。早良区には犂(すき)の製造工場があり、戦後の食糧難の時代には食糧増産のために犂(すき)の売り上げが好調で、1950年代に生産量のピークを迎えたそうです。

しかし、1960年代にトラクターや耕運機が普及し始めると一気に犂(すき)産業は衰退し、消滅してしまったそうです。何十年もゆるやかに成長してきた産業が、そのピークからわずか10年ちょっとで消滅をむかえました。ゆるやかな成長には何十年もかかったのに、消滅はわずか10年です。恐ろしく早い産業転換です。技術革新が産業の盛衰に与える影響は破壊的です。AI時代だから産業の盛衰のスピードが速まったということではなく、犂(すき)産業に見られるような破壊的な技術革新は昔からしばしば起きてきたのでしょう。

日本のIWC脱退で捕鯨が話題ですが、アメリカの捕鯨産業の盛衰も劇的でした。1850年頃のアメリカのほとんどの家庭は鯨油ランプを使い、鯨油をとるための捕鯨産業は当時のアメリカで5番目に大きな産業でした。1853年にペリー提督率いる黒船がやって来たのは、捕鯨船に薪や水、食料を補給する場所の確保が目的でした。高校の日本史でペリー来航について習った時に「なんでアメリカ人はたかがクジラ漁のために艦隊を派遣したんだろう」と素朴な疑問を持っていました。捕鯨産業が当時のアメリカ経済に占める割合を考えれば、当然のことだったと今は納得できます。

ところが1859年に石油の機械掘りが始まり灯油が安くなると、鯨油産業は一気に衰退します。さらに1879年にエジソンが電灯を発明したことで、鯨油産業は壊滅しました。アメリカで5番目の規模の捕鯨産業が30年ほどで壊滅したわけです。新年のあいさつ等で「今は変化の激しい時代だ」という人がよくいますが、変化が激しいのはいつものことです。少なくとも最近200年くらいは変化の激しい時代がずっと続いています。

たとえば、電気自動車が普及するとガソリンスタンド業界は壊滅的な打撃を受けることでしょう。自動運転が普及するとバスやタクシー業界のあり方も一気に変わるかもしれません。過疎地の公共交通のあり方に劇的なインパクトを与えるかもしれません。自動翻訳機が高性能化して安価になれば、英語教育(外国語教育)のあり方も変わることでしょう。少なくとも簡単な英会話は勉強する必要がなくなるかもしれません。

どんな産業が成長するのか、あるいは、どんな産業が衰退するのかを予測はむずかしいです。しかし、小さな兆候に早く気づいて早く手を打つのが政治や政府の役割だと思います。急速な変化に柔軟に対応し、失業や社会不安といった危機を招かないようにしなくてはいけません。目先のことに捉われて、長期的な視点を失わないために、政策決定に関わる人間には歴史的な視点が必要だと、郷土史を読みながら思いました。