困窮学生支援は「財政負担」ではなく「公共投資」

コロナ危機でアルバイトがなくなったり、親の所得が激減したりで、多くの学生が授業料や生活費の負担で困っています。その状況を何とかするために立憲民主党を含む共同会派で、大学生・専門学校生等を支援するための議員提出法案を用意しています。

法案の骨子は、(1)大学等の授業料の半額分を国が負担(1兆964億円)、(2)アルバイトができなくなって減収した学生への一時金支給(1人20万円:総額2,160億円)、といった内容になる見込みです。本日中には衆議院に提出される見込みです。

学生への支援を議論するときにどうしても「学生がかわいそうだ」という情緒的な意見に流されがちです。私はそれだけでは1兆円を超える予算を正当化することは難しいと思います。

感情的な「かわいそう」という理由では、財政当局を説得できないし、一部の納税者の納得しか得られません。たとえば、「大学に行かずに働いている18~22歳の人たちと比べて、不公平ではないか」という反論に対して、説得力のある答えになりません。

そこで、コロナ危機が引き起こした経済的困難に直面する学生を支援することは、単なる「財政的負担」ではなくて、将来に向けた「公共投資」であると明確に位置付けるべきだと思います。

もちろん教育は経済的価値だけで測れるものではありません。教育には、民主的な社会をつくる、潜在的な能力を発揮して充実した人生を送る、責任ある市民を育てる、といった様々な重要な役割があります。それだけでも十分に教育には価値があるといえます。

しかし、財政負担を気にする財務省や経済界、国民も大勢いるはずです。あるいは大学に進学しなかった人にとっても納得できる理由が必要です。それは「公共投資としての高等教育」という視点です。

大学教育を「投資」と見なすと2つの「収益」があります。ひとつは「社会的収益」で、もうひとつは「私的収益」です。

先に大学教育の「私的収益」について説明すると、まず「学びたい」という欲求を満たし、自己実現につながるというメリットがあります。また大学教育を受けることにより、より生産性が高い仕事に就き、より高収入を得られる可能性が高まります。しかし、「私的収益」だけに着目するなら、大学への税金の投入は正当化しにくいです。「そんなに大学に行きたかったら自腹を切れ」となります。

次に大学教育の「社会的収益」としては、労働者の質を高め経済成長に貢献するという側面、高所得の仕事に就くことで税収増に貢献するという側面があります。

国際競争力を高めるためには、労働者や経営者となる人材の質が重要なことは、説明するまでもありません。人材育成における大学や専門学校の重要性は自明といってもよいでしょう。知識経済化、経済のソフト化が進むなかで、高等教育の重要性は増すばかりです。その価値を金銭的に測定することは難しいですが、「大学教育への投資は日本経済の成長にとって不可欠である」という点はご理解いただけると思います。

次に「大学教育を受けることで税収増につながる」という側面は、統計的にある程度は把握できます。2014年の大卒(男性)の生涯賃金は2億6000万円です。一方、高卒(男性)の生涯賃金は2億700万円です。その差額は5300万円です。

この5300万円に課税される所得税の差は、税収増といえます。しかも所得税は累進課税なので、平均的な大卒(男性)の方が、多めに納税します。さらに増えた所得の分だけ、余分に消費するでしょうから、それに消費税(10%)も課税されます。

他にも相続税他のいろんな税金がありますが、わかりやすいので所得税と消費税の税収増だけをざっくり計算してみます。所得税を大雑把に20%とすると1060万円の税収増。可処分所得の10%に消費税がかかると仮定すると、だいたい400万円の税収増。大雑把にいえば、大卒(男性)の平均は高卒(男性)の平均よりも1500万円は多く税金を納める計算になります。これは少なく見積もった金額です。

経済的理由で大学を中退すると、中退者1人あたり1500万円の税収減ということになります。中退者が出るのを防ぐために一定の税金を投入することは、将来の税収減を防ぐという観点から十分に正当化されます。

少し専門的になるので詳しい説明は省略しますが、2014年のデータに拠ると日本の大学教育の社会的収益率は次の通りです(中澤渉、2018)。

国立大学(男) 6.2%

国立大学(女) 8.3%

私立大学(男) 8.2%

私立大学(女) 10.9%

なお、私立大学の方が社会的収益率が高いのは、授業料の私費負担が大きいためです。国立大学は、学生一人当たりの税金投入額が大きいため、社会的収益率が低く、私的収益率が高い傾向になります。

いちばん低いのが国立大学(男)の6.2%の社会的収益率ですが、それでもコンクリートの公共事業に比べて収益率は格段に高いです。しかも、大卒後40年近くも効果が持続します。高度経済成長期は道路や港湾、新幹線に投資するのが効率的でしたが、知識経済化が進む現在では高等教育や職業教育(専門学校教育)への投資の方がずっと効率的な投資です。「建設国債」ならぬ「教育国債」を発行しても教育や職業教育へ投資すべき時代です。

今回のブログは大学教育の経済的側面ばかりを強調しましたが、民主主義と教育という側面も重要です。個人的にはそちらの方がより重要だと思います。本音をいえば、教育は無条件に尊いと思っているので、「教育の経済的価値」なんて議論はしたくないのですが、財務省の歳出削減圧力に抗するための必要悪の議論だと思っています。

親の所得で子どもの教育機会が決まる社会が、民主的で公正な社会であるはずがありません。親の所得格差が子どもの教育格差につながらない制度・政策こそ最重要だと思います。民主主義のインフラである教育の機会が不平等なのは、不正義です。本当は銭カネの話ではありません。

最後に大阪大学の中澤渉教授がドイツの社会学者マンハイムについて書いた一文をご紹介して終わりにしたいと思います。

民主主義の確立と教育は、今から半世紀以上前に、社会学者カール・マンハイムによって問われてきた。(中略)1930年に、マンハイムはドイツのフランクフルト大学教授に就任した。しかし、その後のナチスの政権奪取があり、ユダヤ系だった彼は、イギリスへの亡命を強いられた。ドイツは当時としてはもっとも先進的で民主的とされる憲法(ワイマール憲法)をもっていた。だが、民主的な仕組みや制度を有していたはずのドイツ国民が成立させたのは、ヒトラーによる最悪の独裁政権であった。マンハイムは、民主主義という仕組みに限界を感じ、悲観的な感情を抱いてイギリスに渡ったのである。

しかし亡命したイギリスでは、大枠として自由を重視する民主主義が存続し、機能していた。そこで彼が目を向けたのは教育である。個人の自由を前提にした民主主義は、制度のフレームワークだけを整えて、放置しておけば成立するわけではない。彼は、その制度と理念をともに理解し、維持に努める人間の養成が重要だと考えたのだ。それを彼は「自由のための計画」とよんだのである。

彼は、民主主義の確立のために教育が不可欠と主張し、1964年、ロンドン大学教育研究所(IOE)の最初の社会学教授となった。残念なことに、翌年、53歳の若さで急逝するが、彼の理念はその後のIOEの運営に引き継がれている。

*蛇足ながら、ロンドン大学教育研究所(IOE)は私の母校です。

*参考文献:中澤渉、2014年『なぜ日本の公教育費は少ないのか』勁草書房

中澤渉、2018年『日本の公教育』中公新書

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