ポピュリズムとカリスマ指導者

ここ数年間いちばん気になっているテーマは「ポピュリズム政治」です。トランプ大統領誕生以来、ポピュリズム政治の弊害や危険性などについて考え続けています。イタリアの五つ星運動、ウクライナのお笑い芸人出身の大統領など、世界ではポピュリズム政治の波が来ている感じがします。世界に広がるポピュリズム政治の波が日本にも来ているのかもしれません。だとすれば、ポピュリズム政治とどう向き合うべきなのかを真剣に考えなくてはいけないと思います。

ポピュリズム政治は必ずと言ってよいほど、カリスマ政治家がリードします。それもアウトサイダー的な立ち位置のカリスマ指導者が現れると、ポピュリズム政治が本格化します。

政治にカリスマを求める人は多いです。閉塞した時代には、カリスマ願望、あるいは、強いリーダー願望が出てくることが多いです。カリスマ的な強いリーダーをもてはやすということでいえば、少し前だと小泉純一郎総理、大阪維新の会の橋下徹市長などが、その例といえるのかもしれません。

しかし、カリスマ的指導者や強いリーダーは、歴史をひも解くと危険なケースもあります。国家を救ったカリスマ的指導者もいるでしょうが、むしろカリスマ的指導者が国家を破滅に追い込むケースの方が多いかもしれません。

たとえば、第二次世界大戦においては、国家を破滅させたカリスマ指導者がヒトラーで、国家を救ったカリスマ指導者がチャーチルかもしれません。

もっともチャーチル首相は、最初から国民的な人気があったわけではありません(=ポピュリズム政治家の要件を満たしていません)。チャーチルは戦時指導者として頭角を現したおかげでカリスマになり、戦争の勝利が確定するとすぐに総選挙で負けて下野しました。英国の有権者は「チャーチルは戦時指導者には適しているが、平時指導者には向いていない」という絶妙の判断を下しましたが、あっさり選挙に負ける指導者は「カリスマ的」とは言えません。すると第二次世界時の最大のカリスマはヒトラーで、それに続くのがスターリンや毛沢東という感じになるかと思います。

日本では「マネジメントを発明した人」として有名なピーター・ドラッカーが、最初に有名になったのはファシズムについての著書でした。ユダヤ人のドラッカーは、ナチスの迫害が始まってドイツから英国に移り、その後に米国に移住しました。ドラッカーは1939年に著書の「経済人の終わり」で、「全体主義はなぜ生まれたか」について書きました。同書はチャーチル首相に激賞され、陸軍士官学校の卒業生の必読書とされました。そのドラッカーは次のように言います。

真の指導者はカリスマで導くのではない。カリスマほど胡散臭いものはない。真に力のある指導者は献身と勤勉によって導き、すべてを掌握しようとせず、チームをつくる。手練手管ではなく誠意で支配する。真の指導者は利口ではなく、純粋で誠実である。

チャーチルの戦時内閣は超党派で構成され、「強引な指導者」という印象が強いチャーチルですが、実は上手にコンセンサスをつくる才能もありました。歴史を俯瞰する大局観と使命感を持ち、言葉の力で国民を説得し指導しましたが、チームプレイヤーとしても優秀だったと思います。

偉大なリーダーやカリスマといった呼び方がもてはやされてきたが、すべて危険で馬鹿げた考えだ。誰もがリーダーを望むが、ヒトラーやスターリン、毛沢東らを持ち出すまでもなく、過去100年間の歴史の中で、誤ったリーダーの例を数えきれないほど見てきた。われわれに必要なのは、リーダーを待望する姿勢ではなく、リーダーの登場を恐れることである。「彼らが象徴しているもの」や「彼らが代弁する価値」が信頼に値するか、それを見極めることである。カリスマ性というものに対しては、不快感を抱くべきである。

高校時代からドラッカーファンだった私は、ドラッカーの教えに従い、カリスマ指導者に警戒感を持つようになりました。また、ポピュリストのカリスマ政治家は、多くの場合、シンプルなメッセージで国民に訴えます。シンプルなメッセージの方が、伝わりやすく、広げやすいのは間違いありません。

単純なシングルイシュー的なメッセージほど、簡単に伝わり広まります。シンプルなメッセージや主張には眉唾で臨むのが正しい態度だと思います。

私の好きなジャレド・ダイアモンドは次のように言います。

人生は複雑である。誰かが単純な答えを出してきたら、それは間違った答えだ。複雑さを恐れずに答えを探せ。

これを政治の文脈で言い換えて;

政治は複雑である。誰かが単純な答えを出してきたら、それは間違った答えだ。複雑さを恐れずに答えを探せ。

と言ってもよいでしょう。

政治や社会、経済は、とても複雑です。わかりやすいメッセージには警戒が必要です。むかしから「数字のウソ、統計のウソ」と言います。単純なメッセージに具体的な数字を入れて、本当っぽくする手法にも注意が必要です。カリスマ政治家に期待するのはやめ、単純なメッセージを警戒し、複雑な社会や経済を単純化しすぎないことが大切だと思います。複雑さから逃げずに、複雑な事象を複雑なままに把握する自制心が、政治には必要だと思います。

ちなみに 私、カリスマ性ないですけど、何か?