政治家の虚像と実像:従僕の目に英雄なし

政治学者の清水唯一朗教授の「原敬:平民宰相の虚像と実像」(中公新書)を読みました。明治から大正にかけての政治の実態がよくわかる名著だと思います。

同書によると、原敬も同時代の政治家の間では「食えないヤツ」と評価され、「憲政の神様」の尾崎行雄も議会のルールを踏みにじるえげつない奇策もやっています。

歴史教科書に出てくる偉大な政治家のイメージとは合いません。「従僕の目に英雄なし」という言葉がありますが、同時代の人たちの目で見ると欠点のない政治家などいないかもしれません。

しばしば私たちは過去の偉大な政治家と現在の政治家を比較して、「最近の政治家は小粒になった」とか「最近の政治家は劣化した」と嘆きます。たぶん公平な評価とは程遠いのでしょう。

またイギリスの首相やアメリカの大統領と自分の地元選挙区の議員を比較して「日本の政治家はダメだ」と評価しがちです。欧米の政治家の回顧録や議会制度の本を読むと、イギリスやアメリカにもダメな政治家がたくさんいることがわかります。トランプ大統領の例を持ち出すまでもありません。

知り合いの国際政治学者はヨーロッパの多くの政治家にインタビューしていますが、彼は「日本の平均的な国会議員が無能ということはない。若い政治家の中には優秀な議員もたくさんいて、よく勉強している」と感心していました。

昔の政治家と比較するなら、「昔の平均的な政治家」と「今の平均的な政治家」を比べる必要があるかもしれません。あるいは昔の首相や大臣をつぶさに検証したうえで、今の首相や大臣と比較する必要があるでしょう。

国際比較するときも、イギリスやアメリカの平均的な国会議員と、日本の平均的な国会議員を比べる必要があるでしょう。イギリスの首相と地元の代議士を比べるのは無意味です。たとえるならイギリスの名門パブリックスクールと日本の平均的な県立普通科高校の比較は無意味です。多少なりとも意味ある比較をするなら、イギリスのパブリックスクールと灘高校や開成高校を比べた方がマシでしょう。

原敬の手練手管ぶりや権力への固執といったネガティブな面を見たからといって、それで原敬の偉大な実績がかすむことはありません。やはり原敬は歴史上もっともすぐれた首相のひとりだと思います。「従僕の目に英雄はいない」かもしれませんが、歴史家の目には英雄はいます。政治家を評価するときは欠点だけではなく、その実績を冷静に見ることが大切だとこの本を読んで思いました。

*参考文献:清水唯一朗 2021年「原敬:平民宰相の虚像と実像」中公新書