国内の子どもの貧困と海外援助のどっちを支援すべきか?

少し前に国際協力NGOの方から驚くべきお話しを聞きました。このコロナ危機にあたって日本国内でも海外でも最も脆弱な人たち(特に子ども)にしわ寄せが行っています。そんな中でNGOスタッフの間で「日本にも貧困に苦しんでる人がいるのに、海外援助への寄付を呼びかけるのはどうか」という意見があったそうです。絶句しそうです。

世論調査では1990年代後半からODA(政府開発援助)への国民の支持率がずっと下がり続けています。失われた30年の間ずっと「国内にも貧しい人がいるのに、わざわざ海外に援助しなくてもいいんじゃないか」という意見を聞くことが多くなってきました。

また、安倍総理が外遊するたびに援助を約束するので、「日本は世界にお金をばらまいている」という誤ったイメージが広がっています。実際には国民1人当たりのODA供与額は先進国で最低レベルです。世界第3の経済大国であるにもかかわらず、ODA供与額は世界で5位前後に低迷しています。

大雑把にいえば、人口が半分のイギリスの半分のODAしか供与していません。つまり国民1人あたりの金額で見れば、イギリス国民の4分の1しか日本国民はODAにお金を出していません。国民1人あたりのODA供与額では、自国中心主義のアメリカと同じ水準です。日本も実は自国中心主義に陥っているとも言えるでしょう。

しかし、まさか国際NGOの身内のスタッフから「海外援助よりも国内の貧困を優先すべき」という声が出るのは意外です。

私は国内の貧困対策も海外援助もどちらも大切だと思います。「国内の貧困対策と海外援助のどちらが大切か?」という課題設定は、「消防と警察のどっちが大切か?」とか、「障がい者福祉と子どもの虐待防止のどっちが大切か?」といった問いと同じくらい無意味です。答えは「どっちも大切に決まってる」しかあり得ません。

あるいは「お寿司とチーズケーキのどっちがおいしいか?」という問いと同じくらい馬鹿げているとも言えます。比べられないものを比べるのは誤りです。

もちろん予算配分上のプライオリティはありますが、それは対象者の人数とか、緊急性とか、対策にかかるコストとか、さまざまな要素を検討したうえで決まることであり、「どっちが大切か?」という単純な問題設定で決まることではありません。

日本ではコロナの感染拡大はいったん収まっていますが、海外(特に発展途上国)での感染拡大は止まりません。感染者数は世界で1000万人を超えました。コロナ危機以前から医療や公衆衛生の水準の低い発展途上国では、国際機関や先進国からの国際援助が不可欠であり、さもないと多くの命が失われます。

また、日本国内で感染者がゼロになっても、海外でコロナ感染拡大が止まらず、海外からやって来る人たち(あるいは海外から帰国する邦人)がコロナを日本に持ち込む危険性が続く限り、ずっと安心できません。鎖国するわけにもいかないので、海外のコロナ感染拡大も防ぐ必要があります。

世界全体のコロナ終息を実現しない限り、来年の東京オリンピック・パラリンピックも不可能でしょう。そう考えると海外のコロナ感染拡大防止のために援助することは、我われ日本人の利益でもあります。

自国中心主義的な発想では、国内外のコロナ感染拡大は防げません。「日本国内にも困っている人がいるときに、海外援助なんてとんでもない」という発想は捨てる必要があります。日本も一員である国際社会全体のコロナ対策に貢献することが、同時に日本に海外からコロナが入ってくるのを防ぐために重要です。グローバルな感染拡大に対処するには、グローバルな協力が必要です。視野狭窄にならず、広い視野で冷静に考えることが大切です。