「STEM教育は間違い」という生物学者

ハーバード大学名誉教授で生物学・昆虫学の世界的な権威のエドワード・O・ウィルソン氏は、最近よく聞く「STEM(ステム)教育」を次のように批判しています。おもしろかったので引用します。

アメリカには「STEM」という教育システムがあって、すべての若い人たちは、サイエンス(S:Science)、テクノロジー(T:Technology)、エンジニアリング(E:Engineering)、数学(M:Mathematics)のすべてについて多かれ少なかれ必ず学ぶ必要があると言われてきました。経験豊富な学校の先生に聞いてみればわかりますが、世界に貢献できるような優れた人間になりたいんだったら、「生物学者になりなさい。しかし、生物学者になりたいんだったら、その前にその基礎となる化学について学ぶ必要がある。そして化学を学ぶのであれば、その前に化学の基礎となる物理学について学ぶ必要がある。そしてサイエンスやエンジニアリングの世界では数学的な言葉が使われているので、数学についてもかなり学ぶ必要がある」というふうに言うんですね。それらの基礎を学んでから、生物学に入っていくんだと。
しかし、これは間違っている! まったく逆なんです!

たとえば10歳から18歳くらいまでの若い人たちについて考えてみると、大学に入る前のこの時期にこそ、「若い科学者」が生まれるのです。音楽家やスポーツ選手になる代わりに、この時期に大いに意欲をかき立てられてサイエンスやテクノロジーの分野に引き込まれ、自分が好奇心に駆られて、興奮して、何より好きだからやるようになる。そして生物学がいかにエキサイティングであるかを学び、生物学分野で何を研究しなければならないかを学ぶわけです。

その際に、最も適した場所のひとつはフィールドワークです。自然世界に対して興味と好奇心と情熱が自然に沸き起こってきたら、あとは簡単です。自然に対する興味からサイエンスの世界に入っていったら、その後で、数学でもエンジニアリングでも化学でも物理でも、自然世界を研究する過程で必要に応じて学んでいったらいい。サイエンスが急速に進化しつつある生物学の分野を研究するにあたって、あとで何らかの役に立つはずだということで、基礎の部分にたくさんの時間を使うのは無駄です。

万人に当てはまるとは思いませんが、私は納得しました。私の印象論にすぎないかもしれませんが、STEM教育推進派は「役に立つ」という観点で教育や学問をとらえ、万人にSTEM教育を施すことを強調しすぎているように感じます。

日本はITやAIの分野で出遅れているという認識のもと、理工系人材を増やすためにSTEM教育が重要だ、という流れがあるのでしょう。何となく戦時中の政府が理工系の大学生を優遇し、人文社会科学系の学生を冷遇したのと通じるものを感じます。ICTやAI、バイオなどの最先端技術を学ぶ人材を育てることだけが、教育の価値ではありません。

さまざまな分野で人材は求められます。優秀なエンジニアも必要ですが、優秀な教員やソーシャルワーカーも必要です。政治の世界だって、世襲議員ばかりが出世するよりも、優秀な人材が入ってきた方がよいでしょう。STEM教育ばかりを強調しすぎるのはどうかと思います。

もちろんSTEM教育を受けたい子どもに、その機会を提供することはよいと思います。しかし、STEM教育を万能視するのはどうかと思います。

生物学に興味があったり、コロナの治療薬の開発者をめざしたり、AIに興味を持ったりと、先に目的があって、そのためにSTEM教育を受ける、というパターンが健全だと思います。「すべての子どもはとりあえずSTEM教育を受けるべきだ」という発想は問題だと思います。

もちろん「読み書きそろばん」的な基礎知識は大切ですが、子どもの知的好奇心を大切にして、夢中になって取り組めるものを自ら見つけ出すのをサポートする教育が望ましいと思います。

最近は、プログラミング教育だの、金融教育だの、消費者教育だの、小学校英語だの、いろんなものを教育に詰め込みすぎだと思います。「読み書きそろばん」を基本にして、子どもの知的好奇心を育み、子どもが「学び方を学ぶ」教育をめざすべきだと思います。

また、STEM教育は「役に立つ」教育をめざしているのだと思いますが、よく言われるように「すぐに役に立つ知識は、すぐに役立たなくなる」ということもあります。実学に走り過ぎる教育よりも、すぐに役立ちそうに見えないリベラルアーツ教育の方が長く役に立つことも多いと思います。私のように古い思考の人間は、STEM教育やプログラミング教育よりも、好奇心やフィールドワークを重視する教育に期待してしまいます。

*吉成真由美編 2020年「嘘と孤独とテクノロジー:知の巨人に聞く」集英社インターナショナル