子どもの貧困への無関心

今朝(7月31日)西日本新聞の一面トップは「子の貧困 実態把握進まず」という記事でした。子どもの貧困の実態調査を進めている九州の市町村は、わずか4%だそうです。子どもの貧困に真剣に取り組んでいない自治体が多いということなのでしょう。悲しいというより、憤りを感じます。

近年、子どもの貧困問題が注目されるようになってきました。子どもの貧困が深刻化した結果、可視化されたということでしょう。OECDの国際比較などでも日本の子どもの貧困が深刻な状態であることが数字で確認できます。日本の子どもの6人に1人は貧困状態に置かれ、そのなかで育っています。異常な事態です。緊急事態といってもよいと思います。

貧しいために十分な教育を受ける機会を奪われることは、その子の一生にとって大きな損失ですが、社会全体で見ても重大な損失です。教育経済学では、教育の便益を2つに分けて考えます。教育を受ける個人の直接的便益(個人的リターン)と社会全体が受ける間接的便益(社会的リターン)の2つです。社会的リターンは「教育の外部効果」ともいわれます。教育を受けた個人が、より良い仕事に就き、知的な満足を得るといった個人的リターンも大事です。同時に、国民全体の平均的な教育水準があがれば、労働生産性があがり、公共心の高い市民が増え、犯罪の発生率が下がるといった効果があり、社会全体に広く受益します。古い言葉でいえば、教育レベルがあがれば「民度が上がる」ということです。

教育は、投資をしてから、その効果が出るまでに時間差があります。小学校教育の成果は、その子が社会人になった頃に出るので、何十年先まで見すえて教育投資を考える必要があります。そのため教育を市場(マーケット)だけに任せることはできません。教育を市場に委ねれば、供給が過小になります。だからこそ教育における政府の役割はとても重要です。

教育の質は、国の生産性に直結します。いま教育投資を怠れば、将来の経済成長の足を引っ張ります。貧困を理由に十分な教育を受けられない子どもが増えることは国家的損失です。子どもの貧困を放置すれば、将来の経済成長が犠牲になります。

また、公教育の支出が少ないということは、家計の教育支出が大きいことを意味します。家計の教育支出に頼れば、家庭の所得が子どもの教育機会を決めることになります。豊かな家庭の子どもは質の高い教育を受けられて、貧しい家庭の子どもは十分な教育を受けられないという事態を招きます。親の所得格差が、ダイレクトに子どもの教育格差につながります。お金持ちの子どもがお金持ちになり、貧しい家庭の子どもは大人になっても貧しいまま、という世代を超えた格差の連鎖を生みます。

私が社会問題に関心を持ち始めたのは、高校生くらいのことでした。当時(1980年代後半)はバブル経済の真っ盛りでした。アメリカの学者が書いた「ジャパン・アズ・ナンバーワン」という本が売れ、一人当たりGDPでも世界最高水準にあり、貿易黒字が大きすぎることが問題だった時代です。日本全体が好景気で浮かれていて、「子どもの貧困」などという言葉は存在しなかったと思います。もちろんそんな好景気の時期であっても、恵まれない家庭や個人はいたはずですが、目立たず、可視化されなかったのだと思います。しかし、高校生の私には、国内の貧困問題への関心は芽生えませんでした。

10代の頃の私は、豊かな日本ではなく、発展途上国の子どもの貧困に関心が向かいました。アジアのスラム街の貧しい子どもやアフリカの難民キャンプの子どもなどに関心を持ち、ユニセフやJICAにあこがれて、途上国支援の仕事に就きたいと思っていました。大学では途上国の貧困問題を学ぼうと思い、「開発経済学」という途上国の経済に関わる勉強をしました。フィリピンの大学に留学し、アジアの貧困の現実を自分の目で見てきました。そしてJICAやNGOで働き、途上国の子どもの貧困や教育問題にも関わりました。

しかし、いまや遠く離れたアジアやアフリカのスラムや難民キャンプに行かなくても、日本の子どもの貧困が大きな問題になってしまいました。とても残念です。20年前には考えられないほど深刻です。日本で子どもの貧困がこんなに重大な問題と捉えられるなどと、私が若いころには想像もできないことでした。それだけ日本経済の停滞は長く深刻であり、かつ、長期にわたって再分配や社会保障をおろそかにしてきたということです。

いまの日本が抱える問題のなかでも、子どもの貧困と格差問題はもっとも深刻な問題です。国を挙げて取り組むべき課題です。アベノミクスなどと浮かれ、「高度経済成長の夢をもう一度」という経済政策は、すでに破たんしています。公共事業の乗数効果も低くなっているなかで、昔ながらの土建国家レジームを復活させたのが安倍政権です。そうではなくて、子どもの貧困、公教育強化、ひとり親世帯の支援等に力を入れるべきです。

地方分権は原則として正しいと思いますが、地方自治体ごとに財政力も異なることから、子どもの貧困のような政策課題については国の関与が重要だと思います。たまたま住んでいる地域の自治体が、子どもの貧困対策に力を入れていなかったり、財政的に余裕がなかったりしたからといって、子どもの問題を先送りすることは許されません。子どもはすぐに大人になってしまいます。大人の1年と子どもの1年では、重要性がまったくちがいます。子どもの問題には即効性のある対策が不可欠です。たまたま生まれた家庭が貧しかったという不運、さらにたまたま住んでいる自治体が子どもの貧困対策に無関心という不運。そういう不運が重なった子どもが、十分な支援を受けられないという事態は避けるべきです。地方自治体は子どもの貧困問題にもっと真剣に取り組むべきですし、国も地方自治体への支援を強化すべきです。