小学校の英語教科化は正しいのか?【私の不人気な英語教育論】

一般的に英語教育は保護者から人気があります。経済界も「グローバル化に向けて」という理由で、英語教育の早期化を提言してきました。「韓国や中国に負けるな」と小学校から英語を教えようという圧力は高まる一方です。ただし、人気がある政策が、効果的な政策とは限りません。人気があって世論の支持は高いけれども、費用対効果の悪い政策というのもあります。

文科大臣の諮問機関の中央教育審議会(中教審)は、小学校5年生から英語を正式な教科として教える方向へ学習指導要領を改訂するよう提言しました。これまでも5,6年生には、教科外の「外国語活動」という週1時間(年間35時間)の授業がありましたが、「外国語活動」は3,4年生に前倒しして実施し、5,6年生で週2時間(年間70時間)に倍増するそうです。小学校全学年における英語教育の時間数という点では3倍に増加といえます。

小学校の英語教育強化という方向性は、多くの国民の支持を得ていますが、私は反対です。私の意見は不人気で少数派だと承知しています。しかし、あえて大勢に逆らい、小学校における英語教育のデメリットや問題点を述べさせていただきます。

 

1.小学校には英語を教える人材がいない

そもそも小学校には英語教育の専門家はいませんでした。英語が教科ではなかったので、英語の専門教員がいないのは当たり前です。急に「小学校で英語教育をやれ」と言われても、人材がいません。英語を教えたい人は、中学校や高校の英語教師になっているはずです。英語教育をやるための準備や体制づくりには、時間もお金もかかります。

小学校だけではありません。以前から英語が必修の中学校でも、英語教員の英語力不足は深刻です。文科省がまとめたデータによれば、英検準一級やTOEIC730点という基準をクリアできない公立中学校の英語教員が過半数です。英検準一級やTOEIC730点というレベルは、高度な英語力とはいえません。なんとか英語が使えるというレベルです。中学校の英語教員の英語力アップは喫緊の課題であり、小学校の英語教員をどうするかという問題よりも先に取り組むべきです。小学校の英語教育を強化する余裕があったら、先に中学校や高校の英語教育の質の向上に取り組んだ方が現実的です。中学や高校の英語教員のうち、基準に達していない人には研修の機会を設けたり、休職して留学してもらう制度を拡充したりと、やるべきことはたくさんあります。

 

2.小学校で英語を教えても効果は薄い

英語教育の専門家は「児童に英語を教えるには、ぼう大な時間をかけて英語漬けにしない限りは効果は上がらないことが数々の研究結果で判明している」といいます。帰国子女で英語が上手な人が多いのは、「早い時期に英語を学び始めたから」というより、「早い時期にぼう大な時間をかけて英語漬けになったから」というのが実態です。英語教育を早く始めた方がよいという意見は、外国語教育の専門家の間では必ずしも定説ではなく、賛否両論があります。しかし、「ぼう大な時間をかけて英語漬け」というのがポイントであることは、多くの専門家が一致している点だと思います。年間70時間という授業時間は、「ぼう大な時間」とはほど遠く、効果は限定的です。せいぜい英語への抵抗感をなくすという程度ではないでしょうか。

ハンガリー人言語学者のロンブ・カトー氏の「わたしの外国語学習法」という本があります。それによるとハンガリーでは冷戦中に外国語の必修科目として小学校5年生から高校生までロシア語を学んでいたそうですが、そのほとんどがものにならなかったそうです。日本の英語教育と似たような状況なのかもしれません。ハンガリーでロシア語を効果的にマスターしたのは、外国語専門学校のように週の学習時間が6~8時間、つまり一定の時間を集中的に学んだ生徒たちだったそうです。同氏によれば「外国語学習に費やされた時間というものは、それが週単位の、またもっと良いのは一日単位の一定の密度に達しない限り無駄であった」そうです。もちろん外国語専門学校の生徒は優秀で適性があり、教員の専門性も高い可能性があるので、割り引いて考える必要はあります。

しかし、そういう点を差し引いても、私も同氏の意見に賛成です。おそらく年間100時間を5年間続けて500時間勉強するよりも、集中的に500時間を1年間で勉強する方が、より効果的に外国語を習得できると思います。極論をいえば、中学校で400時間、高校で600時間、あわせて1000時間を英語教育に費やすよりも、中学校では英語教育をゼロにして高校で1000時間の集中的な英語教育を施した方が、より効果的なことは間違いないと思います。私が中高一貫校の校長先生だったら、ぜひチャレンジしてみたいテーマです(たぶん人気はないと思いますが、、、)。

結論としては、小学校で中途半端に英語教育をやったところで、効果はあまりないと思います。もし効果的な英語教育を小学校でやろうと思ったら、他の教科を思い切って削減して、集中的に英語の授業を行って「英語漬け」にする必要があります。おそらく「英語漬け」は他の教科との兼ね合いもむずかしいし、教えられる人材もいないし、現実的には不可能です。

 

3.英語の授業を増やすために犠牲になる授業がある

政策立案においては、資源(予算、時間、人員)には限りがあり、何かを増やすには、何かを削る必要がある、というケースが大半です。授業時間という貴重な資源にも限りがあり、ある教科を増やそうと思ったら、他の教科が削るか、全体の授業時間を増やすか、2つの方法しかありません。これ以上授業時間を増やせないことが多いため、結果的に何かの教科の授業時間を削ることになるでしょう。小学校で英語の授業時間を増やすために、国語や算数、総合学習等の時間が削られることになるかもしれません。

小学校という基礎教育段階では、すべての国民が必要とする知識を学ぶことが大切だと思います。国語や算数、理科、社会等の教科は、すべての子どもたちが大人になってから必要な基礎知識だと思います。しかし、英語は本当にすべての子どもたちに必要な知識なのでしょうか。私は疑問です。

おそらく高度な英語力(交渉力や語彙力、表現力)が必要な国民は1割もいないのではないでしょうか。レストランや駅、ホテル、お店等の接客で、ときどき簡単な英語力が必要な国民も23割程度ではないでしょうか。

英語力がなくてもさほど困らないのが、日本の強みでもあります。発展途上国では英語力や仏語力は必須です。アフリカやアジアには、母語(および母国語)に抽象的な学術用語が十分に存在せず、英語や仏語の助けなしには、大学教育を受けられない国は数多くあります。インドやマレーシアのように多民族・多言語国家で英語が共通語の国もあります。その点では日本は恵まれていて、高度な学問を母語で学ぶことができます。日本は「英語ができなくてもそんなに困らない国」です。裏を返せば、日本は「母語ができないと困る国」ということも可能です。小学校レベルでは、英語という外国語よりも、国語(日本語)の基礎を固めることが重要だと思います。国語の授業時間を削って、英語の授業時間を増やすといったことはやめた方がよいと私は思います。

 

以上のような意見を述べると、私自身が英語は得意ではないので、逆恨みのように聞こえるかもしれません。実際に深層心理ではそうなのかもしれません。他方、英語が得意でない人は多いと思うので、そういう勢力を結集して小学校の英語授業の増加に抵抗していきたいと思います。守旧派抵抗勢力として、小学校では、英語よりも、国語や算数を重視したいと考えています。