フェイクニュースと米国保守

最近出た「デジタル・ポピュリズム」という本には、「偽ニュースは保守層でひろがりやすい?」という見出しの下に次のような記述が続きます。

ニューヨーク大学で心理学を研究するジョン・ジョスト教授は、保守層とリベラル層の批判力を比較した。「考えることは苦手」、「長期的なプランをたてるより明日のことを考えたい」、「複雑な問題を解くより簡単な問題を解くほうが好き」、「長時間、真剣に仕事をすることに喜びを見出す」などの質問に同意するかしないか、いくつかの段階に分けて答えてもらうという調査をした結果、あることが確認された。保守層のほうが、リベラル層よりも批判的傾向が弱い、ということである。

欧米の学校教育では「批判的思考」を重視します。距離を置いて物事を客観視する姿勢が評価されます。したがって、上述の文中の「批判的傾向」という言葉は良い意味で使われています。

ドイツのウルム大学のシュテファン・プファットハイヒャー教授とジモン・シンドラー教授の調査結果「ばかげた書き込みにみる保守主義とその意味」によれば、保守層はばかばかしい調査やニュースでも、自分の世界観に見合った情報であれば無条件に受け入れがちであるという。

シーザー(カエサル)の言葉に「多くの人は見たいと思う現実しか見ない」というのがあります。「見たいと思う現実しか見ない」のは自然です。「見たくない現実」を見ることができるようになるには、強い意志や知的トレーニングが必要です。

わかりやすい例は、歴史認識だと思います。自国の歴史の暗部に目を向け教訓をくみ取るには、強い意志や知的体力が必要です。不都合な真実から目を背けないことは、簡単ではありません。逆に、都合のよい事実だけにスポットライトをあて、自国を美化するのは簡単です。ネット右翼的な人たちが「南京虐殺はなかった」といった言説に飛びつくのと重なります。

なぜ保守層が偽ニュースを信じやすいかということについて、必ずしも学歴とか知識が足りないということではなく、情報やニュースを熟考して疑う能力がないためでもないという。偽ニュースをすぐ信じる人々は、偽であることを「疑う動機がない」のである。つまり、一定の情報や偽ニュースが本当であるかどうか確認しないのは、したくないからで、自分たちの視点に合っていればそれでいいと判断してしまう。彼らは、自分の偏見を偽ニュースで確認し、やっぱりそうだったのか」と思いたい。偽ニュースは、自らの偏見を裏付けるためのよりどころでもある。

トランプ大統領の支持者にはインテリ層も多いことが知られています。ひょっとすると日本でも状況は同じかもしれません。日本会議系の国会議員のなかには、東大出身・官僚出身・米国大学院留学といった華々しい経歴の議員も大勢います。学歴も立派で知的能力も高い、しかし「見たいと思う現実」しか見ようとしないから、自国の過去を美化するあやしげな主張を信奉してしまうのでしょう。

偽ニュースとそれを信じてしまう人たち。世界共通の問題です。この問題に対処するには、いろんな取り組みが必要です。メディアリテラシーを高める。批判的思考をきちんと身に着けられる教育をめざす。偽ニュースを検証する非営利独立機関を設ける。法に触れる偽ニュースについては、取り締まりと罰則を強化する。等々。報道の自由や言論の自由を侵さないように配慮しつつ、偽ニュース問題に対処していく必要があると思います。

*参考:福田直子 2018年 『デジタル・ポピュリズム:操作される世論と民主主義』 集英社新書