コロナ危機のどさくさ紛れ“ショック・ドクトリン”

カナダ人ジャーナリストのナオミ・クラインの著書に「ショック・ドクトリン:惨事便乗型資本主義の正体を暴く」という本があります。世界的にも売れた本です(たぶん)。

新自由主義をリードしてきたマネタリズムの主唱者のミルトン・フリードマンは、2005年にハリケーン・カトリーナが米国南部を襲った後にウォールストリートジャーナル紙に寄稿して次のように書きました。

ハリケーンはニューオーリンズのほとんどの学校、そして通学児童の家々を破壊し、今や児童生徒たちも各地へと散り散りになってしまった。まさに悲劇と言うしかない。だが、これは教育システムを抜本的に改良するには絶好の機会でもある。(*ナオミ・クライン「ショック・ドクトリン」より引用)

ミルトン・フリードマンは、公立学校の再建に何十億ドルもの予算を投じるのではなく、その予算を使って教育バウチャー制度(民営学校を積極的に活用する学校選択制)の導入を提案しました。これは義務教育段階の学校運営に市場原理を導入し、教育の市場化を進める提案でした。

右派(共和党支持)の政治家がこの提案に飛びつき、ニューオーリンズ市は民間運営のチャータースクールが一気に増え、学校の民営化と公教育の解体が進みました。ニューオーリンズ市には、以前は123校の公立学校がありましたが、なんと4校まで激減しました。公立学校の教員のほとんどは解雇され、民間の学校に再就職しても給与は大幅に低下しました。マイノリティ(主に黒人)の教育機会の平等が損なわれ、教育の質にも影響を与えました。

このように大災害に乗じて公的サービスを市場化し、公共領域を解体していく動きをナオミ・クラインは「惨事便乗型資本主義(disaster capitalism)」と呼びます。そして大災害のような衝撃的な出来事を巧妙に利用して新しい政策を導入する手法を「ショック・ドクトリン」と呼びます。

普段だったら思い切った改革はなかなか進みません。しかし、惨事に便乗すれば、慎重な議論や丁寧な手続きをスキップして、一気呵成に改革を進められることも多々あります。惨事で茫然自失状態の国民が落ち着いてじっくり考える間もないうちに、矢継ぎ早に改革を進めることで大胆な改革が一気に進みます。もっともその「改革」が、よい方向に向かうのか、それとも惨事便乗の「改悪」になるかは、あとになってみないとわかりません。

ミルトン・フリードマンはハリケーン・カトリーナの被害を見て、バウチャー制度を思いついたわけではありません。以前からバウチャー制度を提唱していました。ハリケーン・カトリーナの被害に便乗して、それまで温めてきたアイデアを現実の政策にいかそうとしたものです。

ナオミ・クラインがあげる「ショック・ドクトリン」の他の具体例としては、チリの軍事独裁政権のピノチェト政権下の経済改革、米軍占領下のイラク、ソ連崩壊後のロシア経済などがあります。「ショック・ドクトリン」が良い結果につながっていればよいのですが、格差と貧困の拡大を招き、一部の富裕層や特権階級だけが利益を享受するケースが大半です。

たとえば、チリのカトリック大学がシカゴ大学と交換留学協定を結んでいた関係で、シカゴ大学でミルトン・フリードマンの教えを受けたテクノクラートがチリにたくさんいました。彼らがチリの軍事政権の経済財政政策に携わり、軍事独裁政権下で議会の監視も働かない状況下で、「ショック・ドクトリン」に基づくミルトン・フリードマン流の新自由主義的な政策を導入しました。インフレ抑制に成功して一定の経済成長を達成したものの、所得格差が広がり、きわめて不平等な社会になってしまいました。

いまコロナ危機のもとでハリケーン・カトリーナ後のニューオーリンズ市の公教育解体と同じようなことが、日本の教育分野でも起こりかねない状況です。教育制度を「ショック・ドクトリン」で変えるのは危険だと警鐘を鳴らしたいと思います。ただでさえ教育現場の先生たちは突然の学校休業で四苦八苦しているのに、さらに困難な制度改正を行えば学校や教育行政の現場はもたないと思います。教育政策に関しては、ショック療法よりも熟議の政策形成が望ましいと思います。

*参考文献:ナオミ・クライン、2011年「ショック・ドクトリン(上・下)」岩波書店 ⇒なお、原書は2007年刊です。

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