「新自由主義の終わり」というテーマで取材

なんと「新自由主義の終わり」という地味でおもしろみに欠けるテーマで取材を受けました。2020年12月8日付ブログ「新自由主義の終わりとその先:レジリエンス重視の政府」を読んだ「オルタナ」という雑誌の記者さんから取材依頼がありました。

ふだんは「新自由主義うんぬんなんて硬いことを話しても有権者には受けないよ」と諫められることが多いのですが、向こうから取材に来てくれるとは思ってもいませんでした。硬くて地味でおもしろくないテーマを取材する雑誌は、よほど硬派な読者がいるのでしょう。それだけでも敬意を表します。

さて、私は「新自由主義は終わった」と言い続けてきました。たとえば、2017年7月31日付ブログでは「世界的な新自由主義の退潮とこれからの日本」というテーマを書きました。おそらく2008年の金融危機(リーマンショック)あたりで「新自由主義は終わった」のですが、そのことを多くの人が認識するまではタイムラグがありました。

そして今回のコロナ危機が、新自由主義の「小さな政府」路線の機能不全を可視化し、世界を覆いつくした新自由主義革命の終わりを明確化したのだと思います。経済が順調に伸びている時期には新自由主義はうまく行っているように見えたかもしれません。しかし、災害や感染症といった危機においては新自由主義の弱点が表面化します。

新自由主義の基本哲学は、自己責任と自助です。政府の支援は最小限として、公助より自助を重視します。小さな政府と減税はセットです。しかもその減税は富裕層と大企業に有利な減税です。減税すれば、当然ですが、財源は縮小します。財源が縮小するので、医療費や公教育費などの支出は削減され、所得の再分配機能は弱体化します。したがって、新自由主義は必然的に格差を拡大させます。新自由主義的な税制や規制緩和は、弱者を生み、そして弱者を切り捨てます。

新自由主義の元祖はイギリスのサッチャー首相ですが、当時のイギリスにおいては一定の合理性がありました。戦後のイギリスでは企業の国営化が進み、サッチャー政権の頃には国営企業が多すぎるという弊害がありました。ブリティッシュエアウェイズ(航空会社)やブリティッシュテレコム(電信電話会社)はもちろんのこと、高級車メーカーのジャガーまで国営企業でした。

その当時のイギリスでは国営企業の民営化はある程度は必要だったと思います。しかし、「ある程度」に留まらず、行き過ぎたのが問題でした。「何でも市場原理にまかせればうまくいく」という思想は、エビデンスに基づく理論ではなく、単なるドグマでした。うまく行った民営化もあれば、失敗した民営化もありました。うまく行った民営化の例も多いですが、他方で失敗した民営化の軌道修正はなかなか進みません。

そして日本の中曽根政権もサッチャー革命にならって新自由主義的な規制緩和や民営化を進め、うまく行ったものもあれば、失敗したものもあります。日本たばこやNTTの民営化などは成功例かもしれません。しかし、労働規制の緩和による非正規雇用の増大などは、新自由主義的な政策の失敗例であり、大きな悪影響を日本社会に与えました。

また「市場にまかせればうまく行く」という発想は、気候変動(地球温暖化)対策や感染症対策、災害対策ではまったく役に立ちません。気候変動による災害の激甚化や日本列島における地震や火山活動の活発化の状況を考えれば、市場原理では解決できない問題がこれから増えていくことでしょう。最近の流行の言葉でいえば「レジリエンス」を強化する必要があり、市場原理にゆだねても解決できない問題です。政府の役割が重要になります。

コロナ禍の今こそ困った時に助け合い支え合う社会を築き、弱者を生まない社会保障制度をつくっていく必要が増しています。そのベースになるのは、信頼できて機能する政府です。社会全体でリスクに備える体制づくりが大切です。新自由主義では危機に対応できない。小さな政府では安心して暮らせない。そのことが明確になったのが、今回のコロナショックだったと思います。エマニュエル・トッド氏はこんなことを言っています。

新自由主義は突き詰めれば「国はない。あるのは個人だけ」という考えだ。超個人主義と言える。英米はそれに耐えられるからこそ新自由主義を採用し、他国にも押しつけた、と私は考えていた。文化人類学的にもアングロサクソンは個人主義の特徴が見られる。

だが、英米で社会の分断・解体が進行し、低所得者層にしわ寄せが来て、中流層に及び、社会は不安定になった。英米でさえ「あるのは個人だけ」という考えに耐えられなくなっている。「資本・商品・人が自由に移動する開かれた世界」という新自由主義の夢は悪夢に変わりつつある。

イギリスの保守党党首のボリス・ジョンソン首相がコロナに感染した後に「社会は存在する」と発言したことが、新自由主義の終焉を象徴しています。これはサッチャー首相の「社会なんてものは存在しない」という有名な発言を否定したものです。サッチャーは「社会」を否定して、個人主義を徹底した新自由主義を広めました。同じ保守党のボリス・ジョンソン首相が、サッチャー首相の発言を否定したところがポイントです。

自己責任、自助、個人主義を強調する新自由主義が世界で終焉を迎えつつあるなかで、日本の菅総理はあいかわらず新自由主義的な政策を推進しています。時代の流れを完全に見誤っています。菅政権を「最後の新自由主義政権」にしなくてはいけません。