私の敗戦記念日

私にとって12月14日は「敗戦記念日」です。前回の衆議院選挙で埼玉13区の民主党公認候補として戦い、落選したのが2年前の今日でした。その日を境に生活が激変しました。

落選してまっさきにやらなくてはいけないのが、国会の事務所の引っ越しでした。9年以上も使っていた事務所には、長年かけて集めた大切な資料や書籍がたくさんありました。しかし、整理する時間も保管する場所もなく、ほとんど処分しました。本当はとっておきたい資料や本も泣く泣く捨てざるを得ませんでした。今でもとても残念に思います。

長年働いてくれた事務所のスタッフも解雇せざるを得ません。一番長い秘書で9年近く一緒に仕事をしました。家族よりも一緒にいる時間が長かったかもしれません。議員会館の事務所、朝8時40分から17時までずっと座りっぱなしだった委員会室、週に2~3回通った衆議院内のソバ屋さん、国会図書館の閲覧室など、32歳から41歳までの間、慣れ親しんだ風景ともお別れです。

落選後の3~4週間ほどは、元スタッフがボランティア(無償)で敗戦処理を手伝ってくれました。しかし、それぞれ次の仕事を探し、次々に仕事が決まっていきました。みんな優秀だったので、すぐに次の仕事が見つかり、元雇用主としては心底ホッとしました。

スタッフがいなくなると、当然ですが、あらゆる作業を一人でやることになります。これまで秘書まかせだった業務が多く、不動産の契約、ホームページの管理、公共料金の振り込み、選挙管理委員会への届出書類、事業系ゴミの処理など、何でも一人でやらざるを得ません。それまでどんなに秘書に頼っていたのか、あらためて実感しました。

それにひとりでポツンと事務所に座っているのは、話しかける相手もいなくて、心細くて寂しいものでした。ひとりの事務所が寒々としていて寂しくて仕方ないので、スターバックスで仕事をする変な癖がつきました。インターネットと電源に接続できるスターバックスに、コーヒー1杯で2時間近く滞在して仕事をしていました。

落選すると収入はなくなり、肩書はなくなります。しかし、残務処理の仕事だけはある、という最悪の状態です。収入をともなわない仕事は「職業」ともいえません。中途半端な状態です。落選後の敗戦処理は、民主党埼玉13区支部長の任期が満了した2015年5月末まで約半年かかりました。

その後、しばらくは大学院で政治学を勉強したり、北海道大学の非常勤講師をやったり、古巣のNGOのネパール震災復興支援を手伝いにカトマンズに行ったりと、いろんなことをしながら、これから先の人生を考えました。落選当時、2歳と0歳の小さな子どもを抱えて無職・無収入になり、将来は不透明という状態で、家族にも苦労をかけてきました(今でもかけています)。

落選直後には、国際協力NGOの事務局長のポストとか、東南アジアに派遣されるJICA専門家のポストとか、知り合いや昔の上司から仕事の打診をいただきました。国際協力の仕事は、魅力的ですし、やりがいもあります。心ひかれました。

それでもやはり政治の道をあきらめきれませんでした。思い悩んでいたときに、民主党福岡3区の前支部長の藤田一枝元衆議院議員から声をかけていただきました。民主党本部の選対からも「縁もゆかりもない埼玉で再チャレンジするより、出身地の福岡に戻った方がいいんじゃないか」といわれ、福岡3区で衆議院選挙に再チャレンジすることを決意しました。

2年前の敗戦直後は、絶望的な気持ちでした。自民党の相手候補にダブルスコアで負け、埼玉13区には民主党の地方議員も少なく、まだまだ土地勘もなく、基盤がほとんどありませんでした。政治の世界から足を洗おうかと真剣に悩んでいました。

小さな子ども2人を含めて養う家族がありながら、無職というのは、とても不安ですし、ハイリスクです。次の選挙で確実に当選する保証など、あるはずもありません。しかし、それでも国会議員として取り組みたいテーマがたくさんあります。子どもの貧困、格差問題、平和外交、ODA改革、公教育の充実、環境保護など、いろんな政策課題に興味があり、国会議員でなくては取り組みにくいテーマがたくさんあります。

いまこうしてもう一度チャレンジしようという前向きな気持ちを保ち続けられるのは、福岡3区で支えて下さる周囲の皆さんのおかげです。前支部長の藤田先生はじめ、地元議員の皆さん、党員・サポーターの皆さん、支援団体の皆さん、支持者の皆さん、高校の同窓生など、いろんな人たちに助けていただいて、何とか毎日活動を続けています。

私はずっと「人を助ける仕事がしたい」と思って、JICA職員やNGOスタッフ、衆議院議員として働いてきました。しかし、いま浪人中の無職の身で、「人を助ける」どころか、「人に助けられる」ことばかりです。ありがたいという感謝の気持ちと、申し訳ない気持ちと、複雑です。何とか国政に復帰して、これまで助けていただいた皆さんに恩返しし、より良い社会をつくりたいと思います。そのために敗戦の傷跡から立ち上がり、戦後復興から高度成長にもっていけるよう、全力でがんばります。