中東情勢の激変、東アジア情勢の不安定化、国内では排外主義のまん延、そして高市政権の誕生と目まぐるしく変化する情勢を冷静に分析するには、歴史に学ぶことが有益かもしれません。最近ニュースを見るのが嫌になった私は、あえて歴史書を読んでみました。タイトルは「ビザンツ帝国 生存戦略の一千年」で予想以上におもしろい本でした。
目の前の国際情勢を読み解き日本の国家戦略を考えるのに役立つ本だったので、ご紹介させていただきます。そして日本人が学ぶべきは「ローマの歴史」よりも「東ローマの歴史」だと強く感じました。著者のジョナサン・ハリスはロンドン大学のビザンツ史の教授です。
ビザンツ帝国(東ローマ帝国)は、東西南北の周囲を異文化・異民族の軍事強国に囲まれながら、1000年もの長期にわたって生き残りました。その最大の要因は巧みな外交です。遊牧系のトルコ人やモンゴル人、アラブ人、ロシア人、ブルガリア人、西欧人といった軍事勢力に囲まれていたにもかかわらず、軍事力は二義的な意味しか持たなかったといえます。
ハリス氏は「ビザンツ帝国は、異民族・外敵に軍事力で対抗するのではなく、外交や文化を通じて融和をはかる、それこそが帝国存続の要因であった」といいます。外交とインテリジェンス、経済力を巧みに組み合わせて帝国の生き残りをはかりました。
できるだけ「戦わずして勝つ」ことを優先し、軍事力行使は最小限にとどめる傾向がありました。情報を重視し、敵同士を戦わせたり、敵を贈り物や貿易特権で懐柔したり、首都のコンスタンティノープル(現在のイスタンブール)に招いて盛大に接待したり、荘厳なキリスト教会(ギリシア正教)に招いてキリスト教化することで味方にしたりとあらゆる手を柔軟に使うのがビザンチン帝国の国家戦略です。
ビザンツ帝国は、「敵の敵は味方」とばかりに隣接した敵国の後方に同盟国をつくり金銀や絹織物を贈って懐柔し、巧みな同盟管理を行いました。ときにはイスラム教徒や異教徒と手を組んだり、傭兵として雇ったりするのもビザンチン帝国の常套手段です。ビザンツ帝国の軍隊には、初期にはロシア人や北欧人、中期以降は西欧人(イングランド、フランス、イタリア等)やトルコ人が兵士として雇われました。初期の皇帝の親衛隊はロシア人が中心でした
もっとも軍事力を軽視していたということでもなく、コンスタンティノープルの防壁は堅固で難攻不落の要塞都市でしたし、海戦で威力を発揮した「ギリシアの火」という火炎放射器のような秘密兵器も活用しました(「ギリシアの火」はいまでも製法が謎とされています)。有能な皇帝や将軍(関節アプローチの元祖ともいえるベリサリウス将軍が有名です)の時代には版図を広げた時期もあります。しかし、それだけでは1000年は生き残れません。
異教徒をキリスト教化してコンスタンティノープルの総主教の信仰するように差し向け、それも安全保障に役立てました。ブルガリア人やロシア人をキリスト教化したのも安全保障上のニーズに沿ったものといえます。その遺産でいまもロシア正教やブルガリア正教が信仰されいます。ビザンツ帝国は人類史上もっとも「ソフトパワー外交」を強力に実行した国だと思います。
著者は「ビザンツ帝国の最大の遺産は、もっとも厳しい逆境にあっても、他者をなじませ統合する能力にこそ、社会の強さがあるという教訓である」といいます。世界各国にはびこる排外主義などというものは、ビザンツ帝国の為政者から見たら信じられない愚策かもしれません。
きびしい国際環境にも関わらず、1000年の帝国を築いた東ローマ帝国(ビザンツ帝国)の国家戦略こそ、いまの日本が学ぶべき戦略だと思います。在日外国人を締め出すよりも、日本社会に統合して貢献してもらうことを考えるべきです。狭い島国根性を捨てて、開かれた海洋国家として生きていくのが、日本の生存戦略であるべきです。
*参考文献: ジョナサン・ハリス 2018年 「ビザンツ帝国 生存戦略の一千年」 白水社
