民主主義の後退とNGOの衰退

ここ数年、NGO・NPOへの社会的関心が薄くなり、NGO・NPO業界に活気がなくなってきたような気がしていました。フォーリン・アフェアーズ誌(日本版)9月号の投稿論文を読み、その感覚は私だけではなく、日本だけでもないことがわかりました。

ペンシルバニア大学のサラ・ブッシュ教授(政治学)とブラウン大学のジェニファー・ハデン准教授(政治学)の共著の「非政府組織の興亡-民主主義の後退とNGOの衰退」という論文が、「なるほど!」と納得できる内容だったので抜粋してご紹介させていただきます。

著者は「1990年代は非政府組織(NGO)の黄金時代だった」と言います。国際NGOの予算は拡大し、世界中に事業が広がりました。NGOは国際政治の重要なプレイヤーになり、1997年の対人地雷禁止条約の議論をリードしたのはNGOでした。2003年の「腐敗の防止に関する国際連合条約」は、ベルリンで設立された「トランスペアレンシー・インターナショナル」というNGOが主導しました。

開発援助や人道援助においてもNGOの役割は拡大し、国家に代わってNGOが開発援助や人道援助を担うようになりました。開発や人権、環境などの政策アジェンダの設定においてもNGOが大きな役割を果たし、「グローバルな市民社会が国家から権限と影響力を奪うようになった」と言われました。

しかし、著者は「過去20年でNGOの価値や役割に懐疑的な世論が台頭し、各国政府はNGOの活動を妨げる戦略に力をいれるようになった」と指摘します。NGOへの政府助成は減少し続けています。トランプ政権は今年(2025年)7月に米国国際開発庁(USAID)を廃止し、USAIDからNGOに出されていた補助金が全面削減されました。

欧州でも排外的ポピュリズム政党が政権入りした国では大幅にODA予算が削減され、政府とNGOの協働は解消されつつあります。さらにNATO加盟国は軍事費を大幅に増加させるためにODA予算を削減しています。その結果、ODA予算の一定の割合を占めるNGO経由の国際援助が縮小しています。欧州のリベラルな政権(例:英国労働党政権)でさえ、国際援助に対する国民の支持が減少し、ODAを縮小する動きが見られます。

著者は「多くの場合、NGOはかつてのパワーを失い、それを国に奪い返されている。こうしてNGOの時代は終わりを迎えている」と悲観的です。ある意味、日本はそこまでひどくありません。そもそも欧州に比べれば、国家からNGOへ権限や影響力がシフトしていなかったので、「奪い返される」ほど権限と影響力をNGOが持っていません。しかし、状況が厳しいのは先進国共通です。

著者は、21世紀初頭からNGOへの批判が高まり、「右派・左派の批評家が、NGOの効率性や説明責任を問題にし、その大きな政治的影響力に疑問を呈するようになった」と述べます。

実際、説明責任や効率性の点で問題のあるNGOも一部存在します。一部の大手国際NGOスタッフによる性的スキャンダルなどもありました。しかし、一部のNGOが不正や非効率だったからと言って、すべてのNGOを批判する論調は誤りです。例えていうなら、一部の株式会社が不祥事を起こしたり倒産したりしても、「株式会社はダメだ」という極論を言う人はいません。しかし、NGOの場合は、一部のNGOが問題を起こしただけで、「NGOはダメだ」と叫ぶ人たちがいるのが不思議です。

著者は1990年代の冷戦後のリベラルな国際秩序のもとでNGOは世界的に影響力を持ち始め、アフリカや東欧の民主化が進むなかでNGOの活動の場は新興国にも広がりました。新興国を中心に民主主義が脅かされるようになってくると、NGOに対する政府の監視や規制が強化されました。権威主義的国家ほどNGOを敵視します。民主主義の後退と共にNGOの衰退が起きています。ロシアはその典型です。冷戦直後はロシアでもNGOが活発に活動していましたが、プーチンの強権体制のもとでNGO活動は弾圧され、国際NGOは「ロシアにとっての脅威」と法律で規定されるまでに至りました。「世界最大の民主主義国家」を自認するインドでもモディ政権が国際NGOの支援を受け入れている自国NGOへの規制を強化して登録を抹消するなどの動きが見られます。

また権威主義国家が、市民団体を装いつつも政府のプロパガンダを担う「偽装NGO」を設立し、国家の政策目標の遂行に役立てようとする動きも見られます。一見するとNGOと見分けがつかない「偽装NGO」は、市民社会を代表するNGOの政策提言活動を邪魔したり混乱させたりすることを意図しており、NGO全体の信頼性を損ないます。

各国政府(特に権威主義政権)によるNGO弱体化の試みは成功し、NGOの影響力は低下しています。資金難に悩むNGOは、支援活動の規模を縮小し、政策提言の成果も上がりにくくなっています。NGOの政策提言に聞く耳を持たない政府が増えれば、国際条約などに関わるNGOの影響力は弱くなります。人権監視のNGOを禁止した政府は、情報統制をやり易くなり、反対意見や政府批判を抑圧します。環境NGOが弱体化すれば、公害は悪化し、脱炭素化を気にする企業や市民も少なくなります。

こうした流れを逆転されるために著者は、①財務報告の透明性を高めて説明責任を強化するといった従来から求められてきた組織改革に取り組みつつ、②NGOが連携して行動することで国家の抑圧に抵抗することを提唱します。2013年にケニア、2017年にナイジェリアで、NGOは協力して政府のNGO規制強化の法律の導入を阻止しました。

最後に著者は次のように述べます。

冷戦後のNGOの急速な拡大は、国から市民社会へのパワーシフトを引き起こした。この流れはNGOの活動目的と認識を共有する民主国家に恩恵をもたらした。実際、2001年にはコリン・パウエル国務長官が、NGOのことを、民主主義の促進や人権保護といった米国外交目的の促進を助ける「フォース・マルチプライヤー」と表現した。

だがいまや、米欧諸国は、NGOの活動を支えてきた対外援助予算を削減することで、自らがもっていた重要な影響力の源泉を手放そうとしている。しかし、欧米にとって、NGOセクターの弱体化から得られるものはほとんどない。自由主義的価値観を推進する民間組織を弾圧することに政治的メリットを見出しているのは、非民主的政府の方だ。

まったく同感です。日本でもNGOへの逆風を感じます。トランプ政権誕生以降の反EDI(公平性、ダイバーシティ、インクルージョン)の動きなどを見ても、企業のNGOに対する視線が冷たくなる可能性は高いで作用。よほどNGOが努力しないと厳しい状況です。

日本のNGOは、NGO同士で連携して大きな運動につなげていく必要があると思います。開発系NGOや環境系NGO、人権系NGOなどの分野ごとのNGOの連携も強化すべきです。同時に分野を超えて市民社会全体で声をあげることも大切です。

NGO間で連携しながら、マスメディアや政治に働きかけていくことが大切だと思います。特に新聞やテレビといったいわゆる「オールドメディア」をもっと巻き込んでいく必要があります。ひとりひとりの市民が、NGOが取り組む課題に直接ふれる機会は少なく、多くの場合はオールドメディアを通じて課題を知ることになります。またインターネット上にあふれる情報も元をたどれば新聞記者の地道な取材に基づく例が非常に多いです。そのためにはメディアの人たちを巻き込んでいく、メディアの人たちを啓発していくことが非常に重要だと思います。

そしてNGOはもっと政治にコミットすべきだと思います。特定の政党を支持するということではありませんが、特定の政党が人権や民主主義を破壊する主張をしていたらそれに対して抗議することは必要不可欠なことだと思います。言論の自由は大切ですが、ヘイトスピーチの自由はありません。他者の自由を侵害する自由はありません。差別は他者の自由や人権を侵害するので、差別する自由などありません。

参政党のような政党が、人権や民主主義といった普遍的な価値を破壊するような主張をしていたらそれを止めなくてはいけないし、気候変動や感染症対策に関して科学的におかしな主張をしていたらそれを正さなくてはいけないと思います。大雑把にいえば、リベラルデモクラシーと尊重するまともな政党や政治家とはきちんとお付き合いし、リベラルデモクラシーを軽視し科学的事実に照らしておかしな政策を訴える政党や政治家とは対峙していく、という活動は必要だと思います。

NGOはこれまで政治との距離に関して敏感すぎたように思います。ヘイトスピーチのような選挙公約に対してはきちんと声をあげるべきだし、そういう努力を抜きにしては排外的ポピュリズムを阻止することはできません。

排外的ポピュリズムがまん延し、政党も政府もそれに汚染されてしまったら、開発援助や人道援助にODAが使われることはなくなります。開発系NGOや人道援助NGOも排外的ポピュリズムを抑えるために何らかの努力をしなくてはならない時代だと思います。NGOの人たちは、もっと政治を身近なものであり、差し迫った問題だと捉えなおし、もっと政治にコミットして行かなくてはいけない時代になっていると思います。

*参考文献:サラ・ブッシュ、ジェニファー・ハデン 「非政府組織の興亡:民主主義の後退とNGOの衰退」 フォーリン・アフェアーズ誌 2025年9月号