トランプに学ぶわかりやすさの大切さ

トランプ大統領から見習うべき点がひとつあります。それはとてもシンプルな言葉やフレーズを上手に使って、ふつうの人たちに届くメッセージを発信している点です。

トランプ大統領の英語は文法的にも簡単ですし、むずかしい言葉は避け、誰でも知っている単語を使っています。内容はともかく、言葉の使い方は上手です。インテリ層以外にトランプ支持者が多いのも納得できます。

オバマ大統領の英語もシンプルでわかりやすかったのです。キャッチコピーもシンプルでした。例えば、“Yes, We Can.”なんてきわめてシンプルです。

しかし、演説原稿を読む限り、トランプ大統領の方がさらにシンプルでわかりやすい印象を受けます。例えば、トランプ大統領のキャッチコピーの“Make America Great Again.”なんて、日本の中学生でも理解できて、かつ、心に残ります。

インターネットでアメリカ政府機関のサイトを見ていて気づいたのですが、アメリカ議会は“Plain Writing Act of 2010”(平易な文書法)という法案を通しています。アメリカ連邦政府機関は、一般市民が容易に理解できる平易なコミュニケーションをとることが義務付けられています。

日本では長妻厚生労働大臣の時代に厚労省内に「わかりやすい文書支援室」という部署を設置し、年金や医療制度など多くの国民に関わる文書をなるべく平易にするという運動をやっていました。なかなか良い着眼点だと思います。

スペインで躍進した新党は、政治の専門用語をできるだけ使わず、平易なスペイン語で有権者に語りかけて成功しました。欧州の極右政党は、平易で庶民にも容易に理解できる言葉を使って躍進しているようです。

前にも引用したことがありますが、旧西ドイツのグスタフ・ハイネマン大統領の言葉は感動的だし、いまこそ心しなくてはいけない言葉だと思います。

私は書いたり話したりする機会があるごとに、外来語を使うかわりに、なるべくドイツ語を使いなさいと言ってきました。私がそう言うのは、特別な民族感情を示そうとしてではなく、むしろ誰にもわかるようにとの気持ちからです。私にとってこれほど大切な役割はないと思われるのは、いわゆる教養ある階層と、我らの住民の広汎な大衆とのあいだの溝を乗り越えることです。もしそんな溝ができたら、民主主義にとってたいへん危険なことだからです。

社会の分断を招くのは、経済的格差だけではありません。意識や知識レベルでも分断が生じます。クリントンの敗因のひとつはリベラルなエリート層の支持に偏ったことかもしれません。あらゆる人に届く言葉を選ばないと、社会の分断を招きます。言葉が分断を招かない工夫が大切だと思います。

ぼくもきょうからかんじはなるべくつかわずに、なるべくわかりやすいことばをつかいます。

と、書くと逆に読みにくいですが、今年は「むずかしいテーマでも、わかりやすく話す、書く」ことを目標にしたいと思います。今日のブログはわかりやすかったでしょうか?