日本政府のSDGs方針への違和感

今日(11月28日)は共同会派(立憲民主党、国民民主党、社民党)のSDGsについての合同会議が開催されました。私は立憲民主党の外交部会長(兼)SDGsプロジェクトチームの副座長として会議の開催の準備をし、今朝の開会に至りました。

政府からは内閣府と外務省の担当者が来て日本政府のSDGsに関する方針や取り組みについて説明し、その後に市民社会の関係者(NGO、学者)から提言をお聴きしました。

私は以前から日本政府のSDGsに対する取り組みに違和感を覚えていました。温室効果ガスの排出を抑えると国際約束しながら、石炭火力発電所の輸出を支援している点。教育分野の国際援助が大学教育に偏っていて初等教育への支援が十分でない点など。国際約束といろんな点で矛盾があります。その点を政府に質しても、うにゃうにゃと正面から答えません(答えられないのでしょう)。

国際社会において日本は国内の教育と保健医療の領域では高い評価を受けています。しかし、日本国内の貧困問題やジェンダーの不平等の領域では低い評価を受けています。それなのに日本政府は、国内の格差や貧困の問題についてSDGsの枠組みでは何らコメントしていません。

政府が本気で貧困対策(特に子どもの貧困)に取り組んでいる様子は見られません。格差解消に冷淡なのが、安倍政権の特色のひとつです。税と社会保障の再分配機能の強化が喫緊の課題であるにも関わらず、避けているとしか思えません。

ジェンダーの不平等に関しては、十数年前からの自民党内の「ジェンダーバックラッシュ」騒動以来、政府は「ジェンダー」という言葉を使うのを避け、「女性活躍」という言葉を使っています。いまの政府は、単に「女性の労働力化」政策ばかりに力を入れています。政府がやっているのは、「ジェンダーの平等化」というより、「女性労働力の動員強化」というふうにしか見えません。女性を「経済成長の道具」としてとらえるだけで、「女性の権利を尊重しよう」とか「女性にも平等な機会を確保しよう」とかいう姿勢は見えません。

あらためてNGOの皆さんの議論を聞いて思いましたが、日本政府のSDGsの方針は「経済が成長しないと環境は守れない」とか、「経済が成長すれば貧困は解消する」とか、「新技術やイノベーションが問題を解決する」とかいう前提があることがわかります。

しかし、私はこれらの前提が誤りだと思います。「経済が成長しないと環境が守れない」という発想は、「経済成長のためには環境保護を後回しにしてよい」という言い訳になります。そもそも「環境を守らないと、経済成長どころではない」というのが現実だと思います。地球温暖化で水害や高潮などの被害が激甚化していることにはみんな気づいています。経済成長を前提とせず、すぐに環境保護対策を最優先すべきです。

また、「経済が成長すれば貧困が解消する」というのは、常識的には納得できますが、実証研究の成果を見るとそうでもありません。バブル期のような経済成長期でも相対的貧困率は上昇していました。経済成長や景気回復がすべての問題を解決するとは限りません。富裕層が先に豊かになれば、利益が貧困層までしたたり落ちてみんなが豊かになるわけでもありません。経済成長や景気の動向とは無関係に、貧困対策(再分配政策)を進める必要があります。

経済界や経済産業省がよく主張するのが「イノベーションが社会的課題を解決してくれる」という発想です。これは単に「運を天にまかせる」ということです。これから先どんなイノベーションが起きるかわかりませんし、起きないかもしれません。「夢の新技術がすべてを解決してくれる」という願望は、政策とはいえません。既存の技術で問題を解決することを考えるべきです。

ちょっと前に小宮山宏先生のCO2排出ゼロ社会への道筋をブログでご紹介しましたが、小宮山先生のプランのすごいところは基本的に既存の技術で社会を変える方法を示している点です。もちろんイノベーションが起きて、問題解決が早まればラッキーですが、それはあくまで「ボーナス」ということです。いま手元にない技術やイノベーションに期待して、今すぐ取り組むべき課題から目を逸らすのは誤りです。

日本政府のSDGs方針の背景にある「経済成長幻想」や「イノベーション信仰」とは決別し、現実的かつ地道な取り組みが求められます。単に目先の問題から逃げるための「経済成長幻想」や「イノベーション信仰」は有害無益です。

SDGsを達成するためには、ある程度は不便な暮らしを覚悟しなくてはいけないし、再分配政策の強化のためには企業や富裕層の増税も避けられません。炭素税なども増税し、経済的インセンティブで有害な物質の排出を抑制することも必要です。痛みをともなう社会変革なしには、SDGsの目標は達成できません。痛みから逃れるために、経済成長幻想やイノベーション信仰に逃げ込むべきではありません。