機関銃や戦車の普及を妨げた既成概念

米国の軍事戦略家のエドワード・ルトワック氏の本で「軍事テクノロジーの逆説」という章があり、「主流は既成概念にしばられて新技術を活用できず、むしろ傍流が新技術を活用する」事例が紹介されていておもしろかったです。

ルトワック氏によれば、軍事史において「歴史の流れを変えた」といえる兵器は少ないそうです。数少ないひとつが機関銃(マシンガン)です。機関銃が初めて本格的に実戦に投入されたのは1904年の日露戦争だそうです。

旅順の戦いでロシア軍のマキシム機関銃に日本軍の兵士は次々となぎ倒されました。日本軍もホチキス機関銃を大量投入して対抗しました。機関銃の登場により、戦場における死傷者数が大幅に増えたそうです。その後の第一次世界大戦で機関銃は戦場の主役となります。

しかし、機関銃の発明から各国の陸軍が本格導入するまでかなり時間がかかっています。陸軍の歩兵科では「大きすぎて重すぎる。こんなものは歩兵では運べない」と拒否され、騎兵科では「重すぎて馬で運べない」と拒否され、砲兵科では「大砲の方が遠くまで砲弾が届くし、榴弾の方が効果がある」といって拒否されたそうです。

旅順の戦いで本格的に機関銃を使ったのは、ロシアの陸軍の兵士ではなく、海軍の水兵でした。日本軍に船を沈められて陸に上がったロシアの水兵が、船から運び出した機関銃を陸で使ったのが最初だそうです。陸軍の主流では機関銃が評価されず、陸に上がった水兵がやむを得ず使ったのが機関銃の本格デビュー戦だったそうです。

さらに第一次世界大戦で初登場して陸戦の主役になった戦車も、陸軍が開発したわけではありません。塹壕戦で無防備な歩兵が機関銃でバタバタとなぎ倒されていました。それを見ていたイギリス海軍の航空隊が、陸軍が兵士をドンドン死なせていることに心を痛め、解決策を考えました。

海軍航空隊では目が悪くてパイロットになれない兵士を陸上勤務にしていました。その「飛べない航空隊員」の何人かが、トラクターに防護用の鋼鉄シールドを付けて機関銃に対抗することを思いつきました。そのアイデアを海軍大臣のウィンストン・チャーチルに話し、海軍が「戦車」をつくる委員会を作りました。情報保全のために「戦車」という言葉は使わず、「水槽(タンク)」をつくっていると偽り、戦車を開発しました。

(注)第一次世界大戦の開戦当初は世界には空軍が存在せず、各国は陸軍航空隊と海軍航空隊を持っていました。世界初の独立した空軍はイギリス空軍です(1918年創設)。

なんと第一次世界大戦で初登場し、第二次世界大戦の主役となった戦車は、陸軍ではなく、海軍が開発しました。海軍では主流は船乗りで、飛行機乗りは傍流です。海軍のなかの傍流の航空隊が、戦車の開発を思いつきました。

最後にアメリカ軍の例としてM-16ライフル銃があげられています。M-16ライフルはプラスチックやアルミを使い、従来のライフル銃に比べて約1キロも軽くなっています。すぐれたライフル銃なのにアメリカ陸軍ではなかなか採用されず、アメリカ空軍の基地警備隊が最初に採用しました。

もっとも今ではM-16も戦車も時代遅れになりつつあります。すでに2020年のアゼルバイジャン・アルメニア戦争においてドローンの有効性と戦車の脆弱性が明らかになっていました。しかし、いまだにロシア軍もウクライナ軍も戦車にこだわりつづけています。ドローンこそが「歴史の流れを変える」兵器だとルトワック氏は言います。

ルトワック氏の海軍の兵器への評価もおもしろいです。潜水艦を高く評価し、水上艦をまったく評価しません。例えば、空母について次のように述べます。

戦闘機は航続距離が決まっているため、その空港となる空母が移動して戦闘機を運ぶというのはたしかに理にかなっている。ところが地中海などでは空母は必要ない。戦闘機を地上の滑走路から飛ばせば、航続距離はカバーできるからだ。つまり沿岸防衛では空母は必要なく、太平洋のような広い海域でのみ有効な兵器だといえる。

ルトワック氏の理屈にしたがうと、日本が専守防衛を旨とするのであれば、空母はそれほど必要のない兵器です。日本列島の西側の日本海や東シナ海では陸上の基地から飛び立つ飛行機でだいたいカバーでき、空母の必要性は低いです。また空母のように高価な軍事的アセットを中国のミサイル(“空母キラー”含む)の射程圏内に浮かべておくのは、あまりにも危険です。無人機は有人機よりも長時間飛行できて低コストなので、無人機の時代になれば、さらに空母の必要性は低下します。

次に日本列島の太平洋側で中国海軍の空母艦載機と戦う可能性はまずありません。中国の空母機動部隊は、太平洋に出る前に米海軍と海上自衛隊の潜水艦群や機雷に沈められるでしょう。むしろ日本列島の太平洋側で警戒すべきは中国海軍の潜水艦です。中国海軍の潜水艦に備えるという点では、以前から保有している対潜ヘリ空母をF35B型用の攻撃型空母に改装するのは逆効果です。

また空母を保有するとお金と人員がかかります。空母単体では意味がなく、護衛のイージス艦や駆逐艦、潜水艦に補給艦も必要です。さらに海軍の船はふつう3隻そろえて、そのうち常時稼働できるのは1隻というのが通常だといわれます。補給や乗員の休養、ドックでの整備を考えると、空母機動部隊を3セットそろえておくと、常に1機動部隊が洋上で警戒監視にあたる体制になるという感じだと思います。空母機動部隊を3セットはかなり高コストです。

それよりもルトワック流の「地中海では空母不要」という発想に立てば、西日本の航空自衛隊の基地を整備したり、空中給油機や早期警戒管制機(AWACS)、電子戦機を増やしたり、といった対策のほうが低コストで防衛力を整備できます。

また、ルトワック氏は、潜水艦の能力やAIの発達にともなう「自律戦闘機械」の導入を考えると、水上艦の役割はほとんどないといいます。人工衛星で水上艦の位置は容易に特定されますが、潜水艦は見つけにくいです。ルトワック氏は、水上艦は単なる「標的」に過ぎないと極論し、次のように述べます。

2018年、習近平国家主席は軍服に身を包み、南シナ海に艦艇48隻をずらりと並べ、観艦式を開いた。それはある意味で、現代における水上艦の用途にかなったものといえる。それはあくまで観賞用であり、実戦においてはすでに役に立たない存在なのだ。第一次大戦の騎兵隊と同じである。

第一次世界大戦の勃発時は、騎兵隊は陸軍の「華」でした。騎兵隊はかっこいいので、観賞用にはいいです。チャーチルも若い頃は騎兵将校でした。馬の維持にお金がかかるので貴族や富裕層の子弟が騎兵将校になることが多かったようです。しかし、騎兵は機関銃の前では単なる「標的」だったといえます。

第二次世界大戦の勃発時の海軍の「華」は、大和や武蔵のような巨大な戦艦でしたが、やはり大きな「標的」になってしまいました。第二次世界大戦で戦艦はほとんど役に立っていません。21世紀の戦艦にあたるのは空母だと思います。日本は、今さら既存の対潜ヘリ空母を改装するよりも、今まで通り対潜ヘリ母艦として運用した方が賢明だと思います。

ルトワック氏の主張にすべて賛同するわけでもありませんが、いろんな意味で「目から鱗」のエピソードが随所にちりばめられています。読みやすくてお手頃価格の新書なのでお薦めです。

*参考文献:エドワード・ルトワック 2021年「ラストエンペラー習近平」文春新書