世界大学ランキングを軽視すべき理由(3)

「世界大学ランキングを軽視すべき理由」シリーズの第3弾です。今回は「英語という要素を除けば、日本のトップクラスの大学の実力は低くない」点を述べます。

世界大学ランキングは各国のトップ校を比較するランキングなので、比較対象は日本のトップ校です。私の感覚では旧帝国大学や私大のトップレベルの大学の教育研究のレベルは、国際比較して決して劣っていません。

東京大学とオックスフォード大学の両方で教えた経験のある苅谷剛彦教授(教育社会学)、東京大学とハーバード大学の両方で教えたことのある吉見俊哉教授(社会学)、東京大学とプリンストン大学の両方で教えたことのある佐藤仁教授(地域研究)の3人の共通した評価は、「東大と英米のトップ校の入学者(学生)の能力レベルは変わらない(どちらも優秀)」ということです。

この3人の教授がグローバルな視点で見ても一流であることは証明済みですが、おおむね日本のトップ校の教員も優秀だと思います。少なくともきちんと教育を行っている日本のトップ校の教員のレベルは十分に水準に達している印象を受けます。

たとえば、大学ランキングで重要な指標のひとつは「教員/学生比率」です。佐藤教授によると東大の「教員/学生比率」は1対7であるのに対し、イェール大学は1対4.4であり、東京大学は数字の上では負けています。

しかし、内実を見ると米国のトップ校では、著名な教授の授業負担を減らすために、若手の研究者や大学院生が授業を代行することが多いそうです。とりわけ学部生向け授業の多くは助手が担当するそうです。ハーバード大学では「名物教授にはキャンパスでは会えないけど、テレビをつければ会える」という冗談があるそうです。

その点では日本のトップ校の教授は、学部生の教育に密接に関わっています。教育どころか、大学入試の監督まで教授がやっています(日本にしかない悪習です)。教員と学生の「距離の近さ」は日本のトップ校の特色といえるでしょう。

なお、英国のトップ校には、1対1や1対2の指導である“チュートリアル”の伝統があり、教員と学生の距離は近いので、米国と英国でも大学の文化は異なります。しかし、米国の一流大学の「教員/学生比率」を額面通りに受け取ってはいけない点は重要です。日本のトップ校が米国のトップ校に負けていない点のひとつです。

あとは「サンプル数1」の主観的評価、参与観察に基づく私自身の体験談になってしまいますが、世界ランキングのトップ校の教育研究レベルと日本のトップ校の教育研究レベルは大差ないと感じます。

クアクアレリ・シモンズ社(Quacqarelli Symonds:QS)の大学ランキングには、大学の総合評価のランキングの他に、学部(専門別)の大学ランキング(QS World University subject rankings)があります。THE社(Times Higher Education)には学部別大学ランキングはありません。教育学(Education)分野のQS社のランキングを見てみます。

教育学(Education)部門の大学ランキング
1位  ユニバーシティー・カレッジ・ロンドン(UCL)【英国】
2位  ハーバード大学 【米国】
3位  スタンフォード大学 【米国】
4位  オックスフォード大学 【英国】
5位  トロント大学 【カナダ】
6位  ケンブリッジ大学 【英国】
7位  香港大学 【香港】
8位  カリフォルニア大学バークレー校 【米国】
9位  ブリティッシュコロンビア大学 【カナダ】
10位 コロンビア大学 【米国】

トップ10には、米国が4校、英国が3校、カナダが2校、香港が1校という構成です。やはり英語圏に有利な状況は、教育学部限定のランキングでも変わりません。なんと偶然(?)ですが、私の母校(UCL)の教育研究所(Institute of Education)が世界ランキング1位です。

他方、日本で一番の東京大学は「51~100位」というざっくりしたカテゴリーに入っています。理由は簡単です。英語の問題だと思います。日本の教育学界では、あまり英語の論文を書く必要性も習慣もありません。それだけだと思います。

教育学のなかでも、教育経済学のような計量可能な分野は国際比較しやすいので、英語で論文を書くことも多いかもしれません。しかし、教授法とか、教育理論とか、教育法規とか、教育行政とかいった分野は、社会的・文化的背景が大きな影響を与えるため国際比較は難しく、日本の事例について英語で論文を書く必要性も少なく、英語で論文を書く習慣は少ないと思います。理工系や医学系とちがって人文系や社会科学系の学問は、英語で論文を書く必要性が薄いと思います。

ロンドン大学の大学院で講義を受けたり、グループで討論したり、修士論文を書いたりした感覚でいうと、英語のハンディキャップさえなければ、日本の大学より高度な学問をしている感じはしません。「日本語で議論できるならもっと楽でもっと有利なのになぁ」と悔しい思いをしました。

また、ロンドン大学で使った課題図書のうち日本語訳が出ている本に関しては、日本と比較可能です。世界的に著名な文献は、かなりの割合で日本語訳が出ています。私の場合は、日本語の翻訳本で既読の課題図書がけっこうあったので、楽させてもらいました。裏を返せば、日本の大学で教育政策や途上国への教育協力の基本文献を読んでいれば、ロンドン大学の大学院の授業に十分ついていけます。

日本で伝統的に教育学に強いのは、東京大学のほかに旧制高等師範学校の流れをくむ筑波大学や広島大学といった大学です。たとえば、この3校の教育研究の水準は、英語という要素を除けば、世界で通用するレベルだと思います。広島大学の大学院は、特に発展途上国の教育研究で有名です。もし「英語」という特殊な要素を外せば、教育学部の世界ランキングのトップ50校にこの3校は十分に入る実力だと思います。

私がロンドン大学教育研究所に留学したのは、英語を学ぶためというのもありますが、主には発展途上国の教育政策について学ぶのに有利だったからです。私が学んだコースは、100年以上前に創設された旧英領植民地政府の教育行政官養成コースの伝統を受け継ぎ、アジアやアフリカの発展途上国の教育政策に強いという定評がありました。

また、旧英国領のアジアやアフリカの国々は英国の教育制度を取り入れていることが多く、英国の教育制度を知ることはアジアやアフリカの教育援助の現場で働くときの強みになります。私の場合はロンドン大学で学ぶメリットがありましたが、それ以外のコースでは日本のトップ校で学んでも、そんなに遜色のないレベルの専門知識や思考法が身につくと思います。

世界大学ランキングの評価の高い大学は、ほとんどが米国や英国などの英語圏です。英語圏に有利な評価指標で採点しているので、英語圏のトップ校が有利になるのは当たり前です。英語圏のトップ校の教育研究レベルと比較して、日本のトップ校の教育研究のレベルが低いとは思いません。

このような大学の世界ランキングを国家として重視する必要はありません。もちろんそれぞれの大学が営業上の理由(=世界の留学生を呼び寄せる等の理由)で、ランキング上位を狙うのは自由です。それは大学の自治の範囲内の問題です。しかし、文部科学省が「世界ランキングの上位をめざせ」と尻を叩く必要はないと思います。世界ランキングを重視することは、メリットよりもデメリットの方が大きいかもしれません(第4回に続く)。

*参考:
苅谷剛彦、2017年「オックスフォードからの警鐘:グローバル化時代の大学論」中公新書ラクレ
苅谷剛彦、吉見俊哉、2020年「大学はもう死んでいる?:トップユニバーシティーからの問題提起」集英社新書
佐藤仁、2017年「教えてみた『米国トップ校』」角川新書