子どもの権利条約と私の二十代の思い出

昨日(6月15日)子ども関係のNPOが主催する「広げよう!子どもの権利条約キャンペーン」という国会内の集会に参加しました。超党派議員が呼びかけ人になった会議ですが、小学校6年生から高校3年生までの子どもたちの代表も参加しました。子どもたちの提言を国会議員が聴くというイベントです。

冒頭にNPO法人国際子どもの権利センター代表理事の甲斐田万智子さんが「子どもに関する基本法および新たな省庁創設への提起」という題でスピーチされました。実を言うと甲斐田万智子さんは、二十代の頃の私にとって憧れの人でした。

90年代に発展途上国の貧困問題や国際協力に興味のあった若者にとって、英国サセックス大学のロバート・チェンバース教授は、「神」のような存在でした。「住民参加型開発」を提唱し、発展途上国の貧困の解決のため、住民参加を重視し、外部者主導の援助を批判していました。ボトムアップの住民参加型開発こそが理想という考えが、当時の国際協力業界のトレンドでした。

そのロバート・チェンバース教授の教えを受けて著書「第三世界の農村開発:貧困の解決 私たちにできること」を翻訳したのが、甲斐田万智子さんと穂積智夫さんでした。ちなみに穂積さんは現在ユニセフの在バングラデッシュ事務所長です。甲斐田さんと穂積さんは若き日の私にとって憧れでした。

そして「子どもの権利」について初めてきちんと学んだのは、1999年に甲斐田さんが代表を務められている国際子どもの権利センター主催のワークショップ(勉強会)でした。あれから22年になります。

さらに20年前に私がインドネシアにNGOスタッフとして駐在していたとき、現地NGOと連携してスラム地区の子どもたちの支援活動に関わっていました。「子どもの権利」についてのわかりやすく解説したリーフレット(インドネシア語)を作成し、それを配布して啓発活動を行うというプログラムでした。ユニセフの資金助成を受けてリーフレットを印刷し、現地NGOスタッフが「子どもの権利」について子どもと大人に知ってもらうという活動でした。あれからもう20年もたったのかと思うと不思議な気持ちです。

私にとっては「子どもの権利」という言葉は、若くて純粋(?)だった頃のなつかしい思い出です。政治の世界に入って、見たくないものも含めていろんなものを見て、いろんな人に会って、図々しくなり、スレてしまった気がします。若い頃に取り組んでいた「子どもの権利」というテーマに再びふれて、なつかしい気持ちになりました。

しかし、なつかしがってばかりもいられません。日本ではまだまだ「子どもの権利」という言葉はそれほど定着していません。権利を侵害されている子どもたちが、日本にはたくさんいます。

不当な校則や制服の問題、学校や部活における体罰、外国にルーツのある子どもへの差別、マイノリティの子どもへの差別、児童虐待など、子どもの権利が守られていない事例がまだまだたくさんあります。すべての子どもたちの権利を守るため、やるべきことがたくさんあります。がんばらなくてはいけない、と初心を思い出し、決意を新たにしました。