大学の研究力低下は「選択と集中」の結果

日本の科学研究の弱体化が世界的にも指摘され、トップ10%論文数等の指標で見た日本の大学の研究力は10年以上の長期にわたって低下しています。

さらに博士課程進学率は20年近く低下し続け、若手研究者の安定的なポストは少なく、次世代の研究者の層はますます薄くなり、将来的にもあまり期待できない状況です。

これは誤った政策の結果です。政府に責任があります。

大学の研究資金には基盤的資金と競争的資金の2種類があります。政府はこの20年ほど基盤的資金から競争的資金へシフトしてきました。

2004年の国立大学の独立行政法人化により基盤的資金(運営費交付金)が10年で1割以上も減額されました。国立大学は運営費交付金を年に1%ずつ削られることになり、大学がまっさきに手をつけたのは教職員の新規採用の抑制です。

教員数の削減が研究力の低下につながるのは当然です。同時に研究をサポートする技術者(助手)や事務処理をサポートする大学職員の削減も研究者の時間を奪うことになり、研究力を低下させます。

運営費交付金削減により安定した雇用が少なくなり、さらに企業による博士号取得者の雇用は期待されたほど多くなかったため、博士号取得者の就職難が問題になりました。博士課程に進学するメリットは少ないことが可視化され、博士課程に進学する人が減ったのは当然です。

競争的資金(科学研究費やJST)は、運運営費交付金の削減額をわずかに超える程度に増えました。新自由主義的な「競争原理を導入すれば成果が上がる」という信条に基づき、競争的資金が増えてきたと言えるでしょう。

しかし、競争的資金には弊害が多くあります。総合科学技術・イノベーション会議の常勤議員の上山隆太氏は次のように言います。

競争的資金にはある種のバンドワゴン効果、つまり成功した研究者にさらに多くの報酬が集中しやすい現象を伴いがちだ。(中略)一方で、まだ研究成果が顕在化する以前の、ポテンシャルはあるが競争的資金にたどり着けない若手の研究者をどう育てればいいのか。競争的資金は、研究の成果を将来価値ではなく、現在時点での価値で判断してしまう。少額であっても運営費交付金からの基盤的研究費を保証されていた時には、研究の芽が出る前にも独自のアイディアで研究を進めることができた。

競争に勝った研究者のところにはどんどん研究資金が入るものの、ユニークな研究を始めたばかりの研究者は研究資金を得ることができません。競争的資金はすぐに結果が出る短期的な研究に集中しがちです。その結果、研究の多様性が失われます。

法政大学総長の廣瀬克哉(行政学)氏は次のように言います。

歴史的な経験が教えてくれることは、むしろ、何の役に立つかが見えていなかった基礎研究の成果が、社会的なブレイクスルーに不可欠な要素となることも多いということである。そして、どの研究がブレイクスルーにつながる研究になりそうかということは、事前に予測することがきわめて難しい。というよりも、事前に予測できることからは、せいぜい想定内の結果しか生まれないので、大きなイノベーションの原動力となる研究を、事前に正しく選択することなど、そもそも無理なのだということを悟るべきだろう。

そうだと思います。文部科学省の役人が「こんな研究をすればノーベル賞が受賞できるだろう」と予測して競争的資金を「選択と集中」で重点的に提供する、なんてことはムリです。そんなことができる優秀な人は、役人にならずに研究者になるべきです。

経済学の初歩的な知識ですが、市場において競争が効率的であるための前提条件は「情報の完全性」です。生産者も消費者も完全な情報を持っていて、両者に情報の差がないことが前提です。しかし、未知の領域を研究するにあたって「情報の完全性」はあり得ません。競争が効率的であるための前提が成り立たないので、競争的資金が効率的に配分される条件は整っていません。

もちろん「選択と集中」が一概にダメだとは言いません。ある程度の方向性が見えて成功の見込みが高い研究に重点的に資金を投入することには合理性があります。しかし、ある程度の目途が立ち方向性が見える前の段階で、多様な研究がなされることが研究の底上げには重要です。

自由な発想で多様な研究を行なえば、失敗することも多いでしょう。またノーベル賞級の発見のいくつかは失敗から生まれています。それに「こういうやり方は失敗する」という発見も大切です。しかし、失敗する可能性が高い研究は、競争的資金を獲得できません。

裾野が広くないと山は高くなりません。多くの研究者が失敗したり試行錯誤したりする中からブレークスルーが生まれるのだと思います。教育学の本で「子どもには失敗する権利がある」という表現を読んだ記憶がありますが、研究者にも「失敗する権利」があると思います。失敗を許容するためには、申請書に基づく競争的資金よりも、基盤的資金の方が適しています。

さらに競争的資金を獲得するためには、申請書を作成したり、報告書を書いたり、という作業が必要になります。研究そのものではなく、研究資金獲得のための作業に、研究者が膨大な時間を割かざるを得なくなります。基盤的資金であれば、申請書や報告書を書く労力は必要ありません。

私も競争的資金を全否定するわけではありませんが、自由な発想に基づく探索的な研究のためには、運営費交付金等の基盤的資金が重要です。

計量経済学者の研究によると、基盤的資金と競争的資金の比率にはベストミックスがあるそうです。同研究は、競争的資金を増やしすぎると研究のパフォーマンスを下げると指摘しています。

おそらくベストミックスに近づけるためには、だいぶ減らしてしまった国立大学の運営費交付金を元に戻し、その分だけ競争的資金を減らす必要があると思います。あるいは競争的資金は現状維持にして、基盤的資金を増やしてもよいと思います。

【参考文献】

上山隆太「アカデミアの復活に向けた政策論的雑感」『IDE』640号、2022年5月

廣瀬克哉「研究力強化には『生態系』全体の活性化が不可欠」『大学時報』2022年11月号

廣瀬克哉「日本の研究政策の何が問題なのか」『IDE』650号、2023年5月

神里達博「大学『研究力』の現在と未来」『IDE』 650号、2023年5月

長根(齋藤)裕美「研究者の処遇と研究力低下の負のメカニズム」『IDE』650号、2023年5月