アポロ計画の教訓:国家は産業革新の先導者たれ

経済学者のマリアナ・マッカート教授(ユニバーシティ・カレッジ・ロンドン:UCL)の「アポロ計画の教訓:国家は産業革新の先導者たれ」という記事がおもしろかったので、一部を引用しながらご紹介させていただきます。なお、同教授はUCLの「イノベーション・公共目的研究所:IIPP」の所長であり、WHOの会議体の議長も務めています。

冒頭の次の文章から納得です。

新型コロナウイルスは現代資本主義の欠陥を暴き出した。過去に社会保障や公的医療の縮減を進めた多くの国では、コロナ禍の傷が一段と深まった。反対に公的部門に投資してきた国では、傷は全体的に浅く済んでいる。

日本も比較的傷が浅い国のカテゴリーに入るでしょう。国民皆保険制度がなく、トランプ政権で医療の市場化がさらに進んだ米国が特にひどい結果に陥りました。イタリアの医療セクターの縮減は悲惨な結果を招いた一方で、ドイツの堅牢な医療システムは傷を浅く済ませることに貢献したといえるでしょう。

今回、新たな危機に直面し、国家が本来の役割を放棄したことが改めて露呈したのである。外部委託と偽の効率化による公的部門の空洞化だ。民間活力を美化したツケが回ったともいえる。

英国といえば、サッチャー改革による「小さな政府」路線を先導し、市場化・民間委託化(エージェンシー化)のトップランナーです。その英国のロンドン大学教授の経済学者の言葉だけに重みがあります。

日本でも「民間活力を美化したツケ」は各所で出ています。「外部委託と偽の効率化」は日本の地方自治体でもよく見られるのではないでしょうか。福岡市の民間委託を見ていると、本当の意味で効率化しているのか甚だ疑問です。

実はイノベーションが民間の“おはこ”だというのは神話にすぎない。このような虚構を信じる者が増えれば増えるほど、世の中の危機対応能力は落ちていくだろう。米バイデン政権を筆頭に各国政府がコロナ禍からの「より良い復興」を目指しているが、それを成し遂げるには公共部門の再興が欠かせない。

今回のコロナ禍で「小さな政府」では危機に対応できないことが明らかになりました。新自由主義イデオロギーのもとで進められてきた行政改革を見直すべき時期です。信頼できる政府、危機に強い政府を再構築することは、コロナ後の日本でも重要な課題です。

政府がイノベーションの源になってきたという現実を認めなくてはならないということだ。月への有人宇宙飛行を実現したアポロ計画が示すように、明確な国家目標は巨大な波及効果をもたらすことが多い。「ムーンショット」とは野心的な大計画を指す言葉だが、その元祖となったアポロ計画は、地球の課題解決を目指す「アースショット」を推し進めるうえでも示唆に富む。

近ごろよく聞く「ムーンショット」から転じて「アースショット」という言葉があるのは初めて知りました(同教授の造語かもしれませんが)。気候変動問題を考えると、いま人類に必要なのは「アースショット」だと納得しました。

新型コロナワクチンの開発をめぐる2020年の状況は、明確な任務の下に多くの人々が協力し合ったという点で、アポロ計画を彷彿とさせた。とはいえ、全世界でワクチン接種を進めるというアースショット型のプロジェクトは、技術だけで問題解決にたどり着くことはできない。その技術が現実世界で広く利用されなければ、十分な成果が得られないからだ。

例えば、貧困国が接種から排除される「ワクチンアパルトヘイト」が現実のものとなれば、人道的、経済的な大惨事になろう。製薬会社はワクチンの特許やデータを「COVID-19技術アクセスプール」といった枠組みを通じて共有すべきだが、同枠組みは活用されることなく捨て置かれている。

先日コロナワクチンのことをブログで書きましたが、今のところ発展途上国の貧しい人たちに公平なワクチンのアクセスを保障する仕組みはできていません。残念です。

地球が抱える複雑な課題にムーンショットの原則を適用するにあたっては、さまざまな要素への目配りが欠かせないということだ。官民協力が公共の利益にかなうよう、政府はしっかりと手綱を握っていなくてはならない。

世界には今、国家がかつての役割を取り戻す絶好のチャンスが訪れている。気候変動対策を経済復興につなげるグリーンリカバリーの産業戦略を進めるには、人工知能、輸送、農業など、あらゆる部門が大変革を遂げる必要がある。

ケネディ大統領はムーンショットで月を目指した。その精神を呼び覚まし、地球を守るアースショットの御旗を掲げることが、バイデン大統領の任務となる。

バイデン大統領のアースショットに向けたリーダーシップに期待しつつ、日本政府も同盟国としてアースショット型産業革新を目指すべきです。コロナ危機の教訓は、「小さな政府」の終わりと政府の役割の重要性の再認識だと思います。

アースショット型国家計画のリーダーシップを菅政権に期待するのはムリでしょう。菅政権スタート時の重点政策は、ハンコ廃止、携帯電話料金の値下げ、行政のデジタル化といった個別具体的な政策でした。ムーンショット型のビジョンや国家目標とは程遠い政策の羅列でした。政権交代した上でアースショット型グリーンリカバリー計画を実行する必要があります。

*参考文献:マリアナ・マッカート(Mariana Mazzaucato)「アポロ計画の教訓:国会は産業革新の先導者たれ」(週刊東洋経済:2021年2月27日号)