コロナ禍を深刻化させた2つの「主義」

コロナ禍についてノーベル経済学者のジョセフ・スティグリッツ教授(コロンビア大学)が、読売新聞の鶴原徹也氏の電話インタビューに答えて次のように指摘しています。蛇足ながら鶴原氏はインタビューとそのまとめ方の名手で、とても読みやすくエッセンスをまとめています。

トランプ大統領は今回、初期段階で新型ウイルスを巡る科学者の警告に耳を貸さず、対策を講じなかった。重大な過ちです。避けられた死は多くあったはずです。実は、トランプ氏は大統領になり、米疾病対策センターの予算を削りました。感染症を含む疾病の危機から国民を守る、国の研究機関です。さらに、オバマ前政権によって国家安全保障会議に設けられた疾病対策部局を解体した。まさに今回のような危機に備える国の体制を弱めてしまったのです。

トランプ氏の判断ミスが、米国のコロナ被害を大幅に拡大させたことは間違いありません。トランプ氏を象徴する主義のひとつは「反知性主義」です。

トランプ氏は科学に信を置かず、コロナ禍への対処を誤りました。ただ、これは同氏が特殊なのではなく、科学を軽視し、科学費の削減を主張する右翼思想が台頭していることの反映です。

右翼思想の持ち主が科学を軽視し、そういう支持者に囲まれたトランプ氏が科学を軽視する政策をとるのは、ある意味で自然な流れだったのかもしれません。日本学術会議を敵視する自民党の政治家も似たようなものかもしれません。

トランプ氏の熱烈な支持者には陰謀論者が多いですが、陰謀論者の多くも科学を軽視し、客観的事実を受け止められない人たちだと思います。反知性主義と右翼思想の親和性の高さは世界共通と言えるのかもしれません。

コロナ危機にあたって科学への信頼が回復しつつあることをスティグリッツ教授は好意的に受けとめています。

眼前の危機で人々は科学の重要性に目を開きました。克服の要はウイルスを特定し、治療薬とワクチンを開発する科学の力です。

科学への信頼の回復は、反知性主義の熱をさまし、理性的な政治へ向かうステップになるかもしれません。そう期待したいものです。

 

コロナ禍で問題点が明らかになった、もうひとつの「主義」は、「新自由主義」です。レーガン、サッチャー以来の新自由主義の限界が、コロナ禍で明確化・可視化されました。スティグリッツ教授は次のように言います。

米国で人々は比類のない危機に際し、本当に頼りになるのはゼネラル・モーターズやグーグルなどの大企業ではなく、強い政府だと気づいた。私にはそう見えます。米国が右往左往しているのは、政府を弱くし過ぎたからです。

その起点は80年のレーガン大統領の登場。英国は前年にサッチャー首相が誕生していた。両者は「経済運営で問題は政府、解決は市場」と主張した。イデオロギーは市場原理偏重の新自由主義、政府は規制緩和・福祉削減・緊縮財政、つまり「小さな政府」。市場の規制を外し、大企業を優遇すれば、経済は活性化し、経済規模が拡大し、全体の暮らし向きが良くなるという理屈です。この路線は今日まで続き、トランプ大統領の出現に至るのです。

まったくの過ちです。新自由主義の名の下に富裕層が強欲な利己主義を発揮しただけです。

まさに「強欲な利己主義を発揮した富裕層」の典型がトランプ大統領です。私が日本の首相だったとしたら、あんまりつき合いたくない相手です。いっしょにゴルフするなんて耐えられないくらい嫌いなタイプの政治家です。トランプ氏とドイツのメルケル首相はしばしば批判し合っていましたが、私はメルケル氏に共感していました。

疾病・災害・気候変動などの危機から国民を守り、社会全体に奉仕するのは本来、政府です。無数の利己心を程よく調整し、社会を秩序立てる「見えざる手」は結局、市場には存在しない。政府を強くし、市場に適切な規制をかけ、政府・市場・市民社会が均衡関係を保つような資本主義が望ましいと私は考えます。「進歩資本主義」と名づけ、新自由主義路線からの転換を提唱しています。

公害や気候変動、貧富の格差、労働者の待遇悪化などを見ても、「神の見えざる手」は実際には存在しないことがわかります。アダム・スミスの時代には公害や気候変動の問題が起こるほどには産業や科学技術が発展していなかったから当時は気づかなかったのでしょう。

スティグリッツ教授のいう「進歩資本主義」については「スティグリッツ プログレッシブ・キャピタリズム」のタイトルで東洋経済新報社から訳書が昨年出ていて、とても良い本です。お薦めです。

新自由主義では危機に対応できない。危機に強い政府、信頼できる政府を作っていく。つまりは「小さな政府」路線とは決別することが、ポスト・コロナ時代の重要な政治課題です。

スティグリッツ教授はインタビューの最後を次の言葉で締めくくります。

私たちは科学を重視し、政府を重視し、市場のあり方を根本的に見直した、新たな秩序作りに向かうと私は考えます。それは、一握りの国や人ではなく皆が富を共有できるような、新たなグローバル化の模索であるはずです。

そう願いたいと思います。そのためにも政治を変えなくてはいけません。

*エマニュエル・トッド、ジョセフ・スティグリッツ他 2021年「自由の限界」中公新書ラクレ

⇒蛇足ながらこの本「自由の限界」はお薦めです。世界の21人の知性にインタビューした記事をまとめた新書で、私の大好きなエマニュエル・トッド、ジャック・アタリ、マルクス・ガブリエル、ニーアル・ファーガソン、ジョセフ・スティグリッツ、ジャレド・ダイアモンド、アミン・マアルーフ、岩井克人先生などが出てきます。