「野党は批判ばかり」批判への私の答え

地元活動をしていると「野党は批判ばかり」という批判を受けます。一部のマスコミも「野党は批判ばかり」という紋切り型の批判をよくします。わが党の支持者からも「立憲民主党は批判ばかりではなく、提案もしたらどうか?」と言われます。これにはいくつか誤解があります。

 

1.野党の批判ばかりが報道される

たとえば、枝野代表が衆議院本会議で代表質問をする場合、政府批判に時間の3~4割を使い、残りの6~7割の時間を政策の提案に使っても、テレビのニュース番組で報道されるのは政府批判の部分だけです。政府提出法案に野党が対案を出しても、対案の中身が詳しく報道されることはまれで、ほとんどがベタ記事扱いです。野党の議員提出法案は、全く報道されないこともよくあります。

野党の提案はほとんどスルーされ、野党の批判だけが報道されます。その結果として「野党は批判ばかり」というイメージが固まります。実際のところは「野党の批判ばかりが報道される」というのが実態に近いです。マスコミの皆さんには、ぜひ野党の提案も報道していただきたいものです。

 

2.野党も政府提出法案の多くに賛成

今年の通常国会でも、立憲民主党は政府提出法案や条約の多くに賛成しています。政府提出法案62本のうち46法案に賛成しました。政府が締結した条約の11本のうち10本に賛成しました。「批判ばかり」とか「反対ばかり」というのは事実ではありません。政府与党と意見が一致できる法案も意外とたくさんあります。与野党の「対決法案」は報道されやすいのですが、「全会一致法案」は報道されにくいという事情もあります。

 

3.政府監視は野党の重要な役割

実際のところ「批判ばかりの野党」よりも「批判しない野党」の方が深刻な問題です。官邸にベッタリの「野党」など、野党ではなく、「翼賛政党」です。

野党には政府与党を監視する役割があります。国会(立法府)のもっとも重要な役割のひとつが、政府(行政府)の監視です。立法と行政のチェック・アンド・バランスの緊張関係が、健全な議会制民主主義の基盤です。

したがって、国会の監視機能を果たしていることに対して、「野党は批判ばかり」と批判をするのは筋違いです。国会には与党議員も大勢いますが、自民党議員が自民党の総裁でもある総理大臣や自民党籍の大臣を厳しく追及するはずがありません。与党議員による行政監視はほとんど機能しません。野党議員が真剣に行政を監視しなくては、誰も監視しません。政府を批判しない野党は吠えない番犬みたいなもので、「批判しない野党」には存在価値がありません。

 

4.野党の対案路線のリスク

野党が「野党は批判ばかり」という批判に脅えて、「対案路線」に舵を切ると、新たなリスクが生じます。政治学者の待鳥聡史京都大学教授が2015年11月に書かれた文章から引用すると;

野党にはしばしば、対案を提示すべきだという批判が向けられる。だが、政策決定が単独政権タイプである以上、対案の提示は野党、とりわけ民主党(*引用者注:2015年当時)のような大きな野党にとっては、自らの政策路線の宣伝以外の効果はなく、多くの個別法案において無益である。

対案が法案の全面的な修正案を指すのであれば、取り入れられる可能性はない。与野党対決を生み出している法案の場合、事前の与党内部や内閣法制局との調整に多大な労力と時間が費やされているため、それとの整合性を維持できる範囲でしか修正はできない。

対案がごく限定的な部分修正を指すのであれば、有権者のアピールとしては弱すぎて効果がない。それどころか、修正した以上は法案に賛成せねばならないために、中途半端な妥協をしたとしてマスメディアや支持者からの批判を受ける恐れさえある。

国会対策畑の長い私も、待鳥教授の意見に賛成です。すべての内閣提出法案に対案を出す必要などさらさらなく、真っ向から反対の内閣提出には単に「反対」で十分です。変に「野党も提案しなくてはいけない」と生真面目に考えすぎて、政府批判を控えるのは愚の骨頂です。

 

5.野党は現政権とは異なるビジョン(政権構想)を示すべき

なお、待鳥教授は、個別法案への対案主義ではなく、「与党の政策路線に対する総体的な代替案を練り上げていくこと」が大切と言います。その点も同感です。野党が与党と競うべきは、「どんな社会をめざすのか」というビジョン、あるいは、理念や政治哲学に基づく政策体系だと思います。

たとえば、自民党政治の背景にある新自由主義的な政治や経済政策に対して、立憲民主党としてはどのような政策体系を示せるのかが大切です。まもなく発表されるであろう衆院選公約に期待したいと思います。

以上のように「野党は批判ばかり」という批判は、多くは誤解に基づく批判です。ご理解いただければ幸いです。