立憲民主党

落選から7カ月、新しいチャレンジ

昨年秋の衆院選で落選して7か月が経ちました。昨年12月末に福岡3区の地元事務所を閉め、福岡県選挙管理委員会への届け出書類や寄付金控除等の手続きは残っているものの、政治活動の後始末はほぼ終わりました。

昨年末に生活の拠点を福岡から東京に移し、平日勤務で土日は休みという世間並みの生活を取り戻しました。土日は子どもたちと過ごす時間ができ、子どもたちの運動会にも行けるようになりました。現職議員時代は他人の子どもの運動会にはたくさん出席しているのに、自分の子どもの運動会には出られない、というおかしな状況でした。そんな異常な生活ともおわかれしました。

衆議院議員には「金帰火来」という言葉があり、平日は国会のある東京で過ごし、週末は選挙区の福岡で過ごす、という生活パターンでした。福岡と東京の間を年に飛行機で50往復くらいしていた計算になりますが、そういう「飛び恥」ライフスタイルとも決別することになります。

今年1月から5月末まで立憲民主党本部の政務調査会に席を置いて「持続可能な社会ビジョン」の作成に関わってきました。大学教授や実務家の皆さんのご提言やご意見をうかがいながら、報告書をまとめる作業は自分にとってはよい勉強になりました。

この「持続可能な社会ビジョン」がどの程度まで参院選公約に活かされるのか不明ですが、私が執筆した「各論」はそれなりの出来だと自負しています(まだお読みでない方はぜひご一読ください)。

昨年末に福岡の地元事務所をたたんで、居場所も収入もなかった私にとっては、1月から5月まで平日の昼間の居場所と収入があって助かりました。5月末までの期限付きの契約でしたが、その間は落ち着いて次の仕事探しに取り組むことができました。もし居場所も仕事も収入もなかったら、あせって職探しすることになり、条件が悪い仕事でも飛びついていたかもしれません。

この間「リクルート」とか「ビズリーチ」とか人材紹介会社やヘッドハンターの人たちとコンタクトして仕事を探してきましたが、心に余裕をもって就職活動に取り組めたのはよかったと思います。納得できない仕事にあせって飛びつくことは避けられました。

最終的にはふつうの就職活動はやめました。人生初の民間企業での勤務は幻に終わり、非営利独立の政策シンクタンクを立ち上げることにしました。NPOスタッフだった二十代後半の頃と似たような雰囲気の仕事になりそうです。

まだ正式に決まったわけではないため、現段階ではまだ詳しいことは書けません。これから仲間と非営利の一般社団法人を設立し、公共政策を研究して提言するシンクタンクを創りたいと思います。

私は以前から「政党シンクタンクをつくるべき」と主張してきました。例えば、2016年7月14日付の「民進党シンクタンクを創ろう」というブログでも、シンクタンクの重要性を強調しました。残念ながら政党シンクタンクを創ることはできませんでした。「だったら自分で創ろう」と思い、チャレンジしてみることにしました。

「民進党シンクタンク」を創ろう | 山内康一 (kou1.info)

いわゆる「就職」ではなくて、「起業」という感じになりました。「社会起業家」という言葉はすでに人口に膾炙するようになりました。最近では「政策起業家」という言葉も耳にするようになりました。政策シンクタンクを立ち上げる準備をしている私も、「政策起業家」を自称してバチは当たらないでしょう。

今後は議員として政治に関わることはおそらくないでしょう。もう一度選挙にチャレンジする元手(政治資金)も気力も今はありません。しかし、「市民の政治参加」という言葉があるくらいで、政治に関わるのは議員だけの特権ではありません。市民も政治に関わることができます。政策シンクタンクで政策提言をすることを通じて、これまでとは別のかたちで政治に関わりたいと思います。

霞ヶ関の官僚機構とは異なる視点に立ち、前例やタテ割りにとらわれず、既得権や既成概念にしばられず、ユニークなアジェンダ設定ができる政策シンクタンクをめざします。長期の視点や未来の世代の利益を重視しながら、政策のイノベーションを起こし、社会を変革していきたいと考えています。

元東大総長で工学博士の小宮山宏教授が次のようにおっしゃっていました。

何かを解決するために新たな知識を生み出すのではなく、いまある知識をどう見つけるか、そしてどう組み合わせるか、それこそ最も大切で最も難しい時代だと言える。

アメリカの巨大なシンクタンクならまだしも、できたばかりの小さなシンクタンクが「新しい知識」を生み出す基礎研究を行うのは難しいです。しかし、すぐれた学術研究の成果や現場の知見を調べて、どこかから「いまある知識を見つける」ことは可能だと思います。

すでにある知識を応用したり、組み合わせたり、学術用語を政策用語に翻訳したり、理論を法案や予算案に転換したりと、学問と政策の架け橋になることはできると思います。

政治家は忙しくて学術書に目を通す時間はなく、キャリア官僚は2年ほどで人事異動するので専門性を深める時間がありません。学問と政策をつなぐルートは、思いのほか狭くて細いものです。政策に科学や専門性を反映させるチャンネルのひとつが政策シンクタンクです。

日々のニュース報道やネットの情報は「事件」をカバーすることが大半で、「トレンド」はあまりカバーしません。戦争が起きれば大きなニュースになりますが、戦争を未然に防いでいる外交政策はニュースになりません。大洪水の被害は「事件」なのでニュースになりますが、地球温暖化でじわじわ進む海面上昇は「トレンド」なのでほとんどニュースになりません。

国会審議やマスコミ報道は「事件」をカバーすることが多く、「トレンド」は世間の注目を集めにくいものです。政策シンクタンクは、日々の「事件」や「ニュース」を追いかけるのではなく、長期の「トレンド」やまだ起きていない未来の「事件」を落ち着いて考える組織であるべきだと思います。

どんな政策シンクタンクにするかも含め今後のことを考え、仲間や支援者と話し合いながら決めていきたいと思います。おそらくスタッフ2~3名の小さな政策シンクタンクになると思います。

そのシンクタンクが持続可能かどうかもわかりません。将来の不安材料はたくさんあります。リスクは大きく、リターンは未知数です。私のように48歳(まもなく49歳)の中年のおじさんが、新しい団体をゼロから立ち上げるのは簡単ではないと思います。期待4割、不安6割というスタートです。

私は、衆議院議員としていつかは政権に座につき、文部科学大臣や外務大臣、官房長官といった重要ポストに就いて、理想の政策を実現したいと夢見てきました。昨年秋にその夢は破れてしまいました。もういちど別のかたちで新しい夢にチャレンジしてみたいと思います。

6月1日からは所属先もなくなり、オフィスもありません。スターバックスや国会図書館を拠点にして「ノマドワーカー」として働くことになります。一般社団法人の定款を作成したり、事業計画を考えたり、予算計画を検討したり、オフィス物件を探したりと、あわただしい日々が始まります。

これまで蓄積してきた経験や知識を活かして、「シンクタンクの研究員」として社会に貢献できる仕事をしたいと思います。6月1日からの再チャレンジ。もう一勝負します。

個人情報保護方針

© Copyright 2020 山内康一