ムハマド・ユヌス博士の3つのゼロ【書評】

ノーベル平和賞受賞者であり、グラミン銀行の創設者であるムハマド・ユヌス博士(経済学)の新著「3つのゼロの世界」は新しい発見のある本でした。

ユヌス博士は、バングラデシュの貧しい女性のための銀行という画期的なイノベーションを成功させました。こんどの本では「貧困ゼロ、失業ゼロ、CO2排出ゼロ」という3つのゼロの新しい経済を実現するための道筋を描きます。この3つのゼロはなかなかです。これに「原発ゼロ」を加えれば、立憲民主党の公約の柱にしたいくらいです。

いまや資本主義の欠陥は明らかです。富の集中が進み、格差の拡大は止まりません。2017年のオックスファムの報告によれば、世界でもっとも裕福な8人は、世界人口の貧しい方の半分(36億人)よりも多くの富を所有していました。ここまで格差が拡大すると、個人の能力差や運だけでは、経済的な不平等は説明できません。構造的な不平等が拡大していることは明らかです。やはりいまの資本主義は限界に達しているのでしょう。

これまでの経済学の常識である「人間は利己的で私利私欲しか追及しない」という発想を転換すべきだとユヌス博士は訴えます。自己犠牲的な精神を持つ人は、どんな国のどんな社会にも大勢います。もっと多くのお金を稼げる人が、教師、看護師、ソーシャルワーカー、消防士、NPOスタッフになることを選び、社会に貢献しています。私も20代のころに給料が約半分になる転職をして、NPO業界に飛び込んだことがありました(独身だったので気楽だったこともありますが、、、)。非営利セクターやパブリックセクターだけでなく、ビジネスの世界にも利他的な人はたくさんいます。

いまや「ソーシャル・ビジネス」という言葉は一般に通用するようになりましたが、この言葉を創り出したのがユヌス博士だそうです。ムハマド・ユヌス博士の定義によれば、ソーシャル・ビジネスとは「人類の問題を解決することに力を注ぐ無配当の会社」です。ほとんどNPOの定義に近いので、事業収益を出資者で分配しないで再投資するNPOも「ソーシャル・ビジネス」に含んでよいのかもしれません。ポイントは「無配当」という点と「問題解決」です。

ユヌス博士は、ソーシャル・ビジネスのためのファンドをつくって出資したり、ビジネスのノウハウを教えるコンサルタント業務を通して、社会起業家を世界中で応援しています。九州大学にもユヌス博士が協力して「ソーシャル・ビジネス・リサーチセンター」というセンターがあり、ソーシャル・ビジネスを応援する仕組みがあります。

これまでの政策の常識では、公共事業や景気刺激策で「雇用創出」という点に失業対策のポイントが置かれてきました。しかし、ユヌス博士は「起業」に重きを置きます。失業中の若者に向けて「新しい起業家」というプログラムを用意し、自分で自分の仕事を創り出すことで「失業ゼロ」の達成を目指します。

働くということは単にお金を稼ぐというだけではありません。人はだれでも自分の人生に意味を見つけたいという欲求があります。企業や役所の雇用者として意義のある仕事を見つけられない人は、積極的に起業することで意義のある仕事を創り出すことができるかもしれません。

ユヌス博士がいう「起業家」のイメージは、シリコンバレーのIT企業だけではなく、小さな雑貨屋を開いたり、車1台でタクシーを始めたり、手作りの工芸品を路上で売ったり、ヤギやウシを買ったり、というものも含まれます。まさにグラミン銀行のマイクロクレジットで商売を始める女性たちのイメージの起業家まで含まれる幅広い「起業家」です。

もちろんコンサル会社やIT企業、投資銀行等の高給取りの仕事を辞めて、ソーシャル・ビジネスの世界に飛び込み、貧困や環境破壊の問題に取り組む「起業家」の事例もこの本にはたくさん出てきます。日本でもそういう社会起業家はたくさん出てきています。そういった起業家も含め、ユヌス博士はほとんどの人に起業家精神が宿っていて、潜在的な能力があると考えます。起業を通じて、貧困ゼロ、失業ゼロの社会を実現していけたら素晴らしいと思います。

ユヌス博士の目指す「3つのゼロ」という方向性は素晴らしいと思います。日本でもソーシャル・ビジネスの起業を支援し、社会の問題を解結することをビジネスにする人を増やしていくことが大切だと思います。

*ご参考:ムハマド・ユヌス 2018年「3つのゼロの世界」早川書房