2つの災害:災害に強い政府へ

いま福岡県は2つの大きな災害に見舞われています。福岡県内でも大雨特別警報が出され、福岡市・糸島市内でも避難指示が出ている地域があります。昨年も土砂崩れなどが起きており心配です。同時に、新型コロナウイルス感染拡大は「災害」と言ってよいレベルの深刻さです。

私はNGOスタッフ時代にインドのグジャラート州、インドネシアのスマトラ島、アフガニスタン北部などで地震、津波、洪水など計7回ほど災害緊急援助に携わったことがあります。途上国と比べても仕方ないかもしれませんが、東日本大震災や福岡県内の豪雨災害の被災地を視察して日本の行政の災害対応能力は国際的に見てレベルが高いと感じます。

しかし、日本の行政の災害対応能力が高いといっても、災害があまりにも多発したり、あまりにも災害規模が激甚だったりすれば、当然キャパシティ・オーバーになります。自然災害は特定の地域が集中的に被害を受ける傾向があり、地元の自治体だけではすぐに対応能力の限界を越えます。被災地の自治体職員は、本人や家族も被災してしまうケースも多いでしょうから、国や他の自治体の支援が非常に重要です。

ここ数年の福岡県では「50年に1度の大雨」のような大雨が毎年のように降っています。地球温暖化により、集中豪雨や台風の被害が激甚化しているのは明らかです。また東日本大震災後の日本列島は、地震や火山の活動が活発化しており、いつ大規模な地震が発生してもおかしくない状態です。

政府の危機管理(災害対応)体制の強化が喫緊の課題です。菅政権の危機管理の体制には問題があります。テレビの報道番組やBS放送の討論番組を見ているとコロナ関連では、田村厚労大臣、西村コロナ担当大臣、河野ワクチン担当大臣、加藤官房長官の4人の大臣が代わる代わる出てきて発言しています。4人の大臣がそれぞれがんばっているのはわかりますが、そのことが結果的に「船頭多くして船山に上る」という状況を招いているようにも見えます。指揮命令系統の混乱は明らかです。

政府の危機管理(緊急対応)体制には構造的な弱点もあります。内閣府には防災担当大臣がいて防災担当の職員がいますが、内閣官房と内閣府の専従職員は200人ほどと聞きます。米国の連邦緊急事態管理庁(FEMA)の職員数11,300人とは比較になりません。国土交通省(気象庁、海上保安庁含む)、総務省(消防庁含む)、防衛省、警察庁などの関係省庁の総合調整を行うには、現在の体制では不十分だと思います。

名称は「危機管理庁」でも「緊急事態管理省」でも「防災省」でも、何でもいいですが、専門の省庁を設置した方がよいと思います。十分な人数の専従スタッフを置き、平時は危機に備えて緊急対応プランの立案にあたり、自治体職員の研修や防災訓練をサポートしたりする一方で、有事(緊急時)には省庁間の総合調整を行う司令塔として機能するべきです。

また、災害対応と被災者支援の最前線で働く市町村職員の削減が、地方自治体の危機対応能力を低下させています。たとえば、コロナ対策の最前線の保健所は、1995年の845カ所から現在469カ所まで減少し、その間に保健所の常勤職員は約6,000人削減されました。平時からギリギリの人員で何とかやり繰りしている役所は、非常時にマンパワー不足に陥ります。公務員の削減が行き過ぎて人手不足になっていないかを検証し、災害対応に必要な人員は確保すべきです。

これまでの新自由主義的な「小さな政府」と自助と自己責任を強調する政治では、国民の命と暮らしを守れないことがコロナ危機で明らかになりました。「小さな政府」では「大きな災害」に対応できません。危機に強い政府、困った時に頼れる政府をつくるためには、政治の転換が必要です。