アフガニスタンの南ベトナム化:悲劇は続く

今朝(8月12日)の西日本新聞の国際面「タリバン猛攻 政府窮地」を読んで悲しい気持ちになりました。私は2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ後の冬から2002年夏までNGOのアフガニスタン事務所長として難民支援や学校再建などに関わりました。アフガニスタンの問題は他人事ではありません。

数日前には反政府勢力タリバンが北部のサリプルを制圧したとの報道がありました。私たちの団体のプロジェクト地がサリプルでした。新聞では「州都のサリプル」と書かれていましたが、サリプルは日本の感覚では「町役場がある小さな田舎町」という程度のところでした。私自身もサリプルで一度戦闘に巻き込まれそうになった経験がありますが、ふだんはのどかな田舎町です。

そして今朝の新聞によると北部最大の要衝マザリシャリフを巡る攻防が激化しているそうです。マザリシャリフには私たちの団体の主要なオフィスがありました。街の中心に美しいブルーモスクのある伝統ある都市でした。そこで激戦が行われているというのも残念です。当時の現地スタッフは無事だろうかと気になります。

私たちの団体は、カブール、サリプル、マザリシャリフの3か所に事務所を抱え、“いちおう” 私が総括責任者だったのですが、主にアフガニスタン北部で支援活動をしていました。北部はウズベク人、タジク人、ハザラ人などの民族が多く、北部同盟が優勢な地域でした。パシュトゥン人はあまり多くないので、パシュトゥン人が主体のタリバンの勢力は弱い地域です。

現在のアフガニスタン政府軍の主力は北部同盟ですが、北部同盟が優勢なはずのサリプルまでタリバンが制圧し、マザリシャリフも陥落寸前という状況は危機的です。タリバン幹部が、3,4週間のうちに首都カブールを占領すると述べているそうです。アフガニスタン政府軍はかなり追い詰められています。

アメリカ軍の南ベトナム撤退からホーチミン陥落まで約2年のタイムラグがありました。しかし、今月末のアメリカ軍のアフガニスタン撤退からカブール陥落までのタイムラグはほとんどないかもしれません。

ホーチミン陥落で多数のベトナム難民が発生しましたが、アフガニスタンでもまた大勢の難民が発生することでしょう。アメリカ軍に協力したアフガニスタン人やパシュトゥン人以外のアフガニスタン人の多くにとっては不幸です。アフガニスタン周辺国への難民流出や国内避難民の増加も予想されます。アメリカをはじめとして国際社会は、人道的な援助を行う必要があります。日本も人道援助を行うべきです。

ふりかえるとブッシュ(子)大統領が始めたアフガニスタンとイラクの戦争は、両国にとってもアメリカにとっても不幸な結果に終わりました。アメリカの国力と威信は低下し、中東の混乱は深まり、多くの市民が犠牲になりました。

なりふり構わずアフガニスタンから撤退したアメリカ軍は、今後は対中国に力を集中させることでしょう。日本には東アジアを米中対立のホットスポットにしない外交が求められます。