政治学者のヤシャ・モンク氏は、ポピュリスト政治家から民主主義を守るための3つの教訓があると言います。
第一にヤシャ・モンク氏は、「対抗勢力が、ポピュリストの恫喝の奥底に潜む狡猾さに気づかず、過小評価してしまう」と言います。
トランプが最初に大統領選に名乗りを上げたときメディアは泡沫候補扱いしました。しかし、大統領に上り詰め、世界を混乱に巻き込み、米国社会と世界の分断を深めています、過小評価は危険です。
ナチスが台頭し始めたころ、ドイツの権力者たちはヒトラーを過小評価しました。元陸軍元帥のヒンデンブルク大統領は、伍長あがりのヒトラーを「頭のいかれた男」と見ていました。財界の大物たちは、ナチスのことを「共産主義の防波堤」として利用しようともくろみました。泡沫政党だったナチスがあっと言う間に政権をとると予測していた人はほとんどいませんでした。
保守政治家も、財界人も、他の政党関係者も、ヒトラーとナチスを過小評価していたがゆえに対応を誤り、ナチスの全権掌握を許しました。ドイツの作家のケストナーは、ナチスの権力掌握を指して、「雪の玉が小さいうちに踏みつぶさなくてはならない。雪崩になってからではもう遅すぎる」と述べています。
歴史から学ぶべきは、ポピュリスト政治家を「軽蔑しても、軽視してはいけない」という教訓です。単純で非合理的な主張を繰り返すポピュリスト政治家をバカにしている間に権力を握られてしまう危険があります。早い時期から警戒心を持ち、油断なく対抗しなくてはいけません。
第二にヤシャ・モンク氏は「ポピュリストに抵抗しようとする者たちは、自分たちの無力さに気づくまで、力を合わせて協働しようとしない。多くの国でポピュリストたちが権力を掌握できたのは、野党勢が選挙協力で合意できなかったからに他ならない。」と言います。
政党の枠を超え、イデオロギーの左右の対立を超え、排外的ポピュリスト政党と対抗する必要があります。参院選の複数区では、当落線上で参政党候補と競り合っている候補者に投票する「戦略投票」を進めることで、参政党の候補者を落選させることができるかもしれません。少なくとも「人権や民主主義を守る」という大枠のなかにとどまる政党は、イデオロギーや利害のちがいを超えて、排外的ポピュリズム政党と戦うべきです。ナチスの例を見ても保守政党が妥協するときが一番危険です。
第三にヤシャ・モンク氏は、ポピュリスト政治家を批判するだけでは効果がないとし、次のように述べます。
(ポピュリストの対抗勢力は)国にとってポジティブなイメージを提供することに失敗した。同胞市民に対して何が提供できるかを説くのではなく、敵の失政を喧伝することに躍起になってしまうのだ。ポピュリストの嘘や偏見、悪趣味を言いつのれば、国は悪夢から目を覚まして新しいスタートを切ることができると考えているかのようだ。
しかし、ポピュリスト支持者の多くは、自分たちがもり立てている相手が嘘つきで、憎しみに溢れ、がさつであることを十分承知している。彼らは既成政治家が無力であるからこそ、ポピュリスト政治家に惹かれるのだ。
参政党候補者の嘘をファクトチェックでどれだけ指摘しても、参政党を支持する人たちにはあまり効果がありません。嘘を承知で排外的ポピュリストを支持している人たちには、別のアプローチが必要です。
ヤシャ・モンク氏によると、以上の3つの教訓から導き出される結論は次の通りです。
民主主義の守護者がポピュリストの脅威を深刻に受け止め、旧来のイデオロギー的分断を超えて協働し、そして生産的な選択肢を示すことができれば、自分たちの制度を守ることができるチャンスは確実に増すのだ。
排外的ポピュリズムに対抗する政治勢力に求められる姿勢は、脅威を深刻に受け止め、分断を乗り越え、もう一つの魅力的な政治の選択肢を示すことです。
1930年代にナチスが台頭したのは世界恐慌やそれによる失業の増大が背景にありました。日本でも「失われた30年」で希望を持てない人が老若男女を問わず大勢います。「見捨てられた人々」や「取り残された人々」がポピュリズム政治家の支持に走りがちです。貧困と格差(不平等)をなくし、だれにとっても居場所のある社会、セーフティーネットが充実して安心して暮らせる社会を築くことが、排外的ポピュリズムへの最善の対抗策だと思います。