落選者の必読書「火と灰:アマチュア政治家の成功と失敗」

この本「火と灰:アマチュア政治家の成功と失敗」は、落選者の必読書だと思います。私は落選するのは2度目ですが、前回落選したときに尊敬する政治学者が贈ってくださった本です。とても感銘を受けました。そしていま再び読み返しています。今回の衆院選では多くの仲間が議席を失いましたが、彼/彼女らにも薦めたい本です。

著者のマイケル・イグナティエフ氏は、ハーバード大学で政治学の教授を務めたあと、母国カナダで自由党(リベラル政党:現与党)の連邦議会議員になります。とんとん拍子で出世して当選2期目で党首になります。そして党首として臨んだ総選挙で大敗し、自らも選挙区で落選して政界を引退しました。

その体験を書いたのが「火と灰:アマチュア政治家の成功と失敗」です。あえて自らを「アマチュア政治家」と呼ぶのは、政治学者としては成功したものの、実際の政治経験があまりないまま党首になった事実を踏まえてのことだと思います。

イグナティエフ氏は序文でこう言います。

世界中のどこでも政治の内実は、権力を掌握し、社会を構成している諸勢力を支配するために権力を行使する、政党間および政党内部での終わることのない闘争なのだ。政治家が成功するのは稀なので、この闘争にはどこかしら哀愁がただよっている。しかしこの闘争には高貴さも存在する。この闘争で成功をおさめれば政治家は、他の誰よりも同胞市民の生活を改善することができるからである。

まったく同感です。政治家は信用されないし、政治は汚いものだと思われがちです。私も衆議院議員としてとんでもない政治家を実際にたくさん見てきました。しかし、それでも「この闘争には高貴さも存在する」と信じ、「他の誰よりも同胞市民の生活を改善することができる」と期待してがんばってきました。

職業政治家ほど、敗北が過酷で、みんなに知られ、絶対的である職業はない。ある日あなたにはスタッフがいて、たぶん自動車と運転手、小奇麗な家があり、人びとをあなたの一語一語に耳を傾けさせ、一喜一憂させるような権力がある。ところが翌日になって有権者があいつはダメだと叫びだすと、かつては友人だと思っていた人びとも遠ざかり、あれほど長いあいだ夢見てきた権力も奪われ、もう一度公職に復帰するために戦うのか、それとも新しい生活を見つけるのかを決断しなければならない。

私は、党首だったイグナティエフ氏ほどは権力もなかったし、小奇麗な家もないですが、かなり重なる部分があります。わが事務所も4台あった自動車(ぜんぶ中古車でしたが)が今は1台です。公設秘書3人と私設秘書1人、事務員1人の合計5人いたスタッフも、今は公設秘書が去って2人に減りました。12月にはさらに減ります。

有権者からダメ出しされるつらさは身にしみます。選挙区内を歩いていると「あっ、この前の選挙で落選した山内だ」と言われているような気がしてなりません。自意識過剰だと思われるかもしれませんが、街中にポスターを貼って2回も選挙に出ていれば一定の人数は私のことを認識しています。たまに「この前の選挙で入れましたよ」と言われますが、申し訳ないやら、恥ずかしいやらで、穴があったら入りたい気持ちになります。

私が確信しているのは、ほとんどの人びとが政治の世界に参入するのは金持ちになるためではないということである。なぜなら金持ちになるためのもっと簡単な方法はいくらでもあるからだ。

私もそう思いたいです。「金持ちになるためのもっと簡単な方法」は知りませんが、お金のために政治の世界に参入するのは賢明ではないと思います。悪いことをしたり、信念を曲げたり、資金集めに多大な労力をかけたりしない限り、お金はそんなに集まりません。

ちなみに私は議員生活13年4か月で一度も政治資金パーティーを開いたことがなく、そのせいで政治資金は政党助成金に頼ってきました。「政治資金を集めるのが主な活動」みたいな国会議員がたくさんいますが、自分はそうはなりたくないと思ってきました。イグナティエフ氏は次のように書きます。

政治は天職であるという感覚を獲得しないかぎり、自分でも気づかぬうちにゆっくりと金目当ての政治家になってしまう。

日本もカナダも似たような状況のようです。政治家の大半が金目当てだとは言いません。しかし、カナダのように政治資金の規制が厳しい国でさえ、金目当ての政治家が多いのだとすれば、日本はもっと多いでしょう。

もちろん、自分のこととして敗北を受け入れている。送ることのできなかった人生を嘆いている。することのできなかった事を悔やんでいる。ようやく私は、自分が誰のために政治を行っているかが分かった今となって、彼らのために何かする機会はまったくないのだということが分かったのだ。

いまの私も同じ気持ちです。選挙戦を通じて多くの人に支援していただきました。そういう人たちの期待に応えられなかったのは、本当に申し訳なく思っています。せっかくのご厚意や努力を私が無にしてしまったと思うとつらいです。

たとえば、議員在職中にDV被害者支援団体から要請されて、法務省に働きかけたり、質問主意書を出したり、総務省に申し入れたりという形で、問題解決に努力しました。そのことを評価してDV被害者支援団体の皆さんが応援に来てくれました。「こういう人たちのためにこそ自分は衆議院議員になったんだ」とうれしく思いました。しかし、これからはお役に立てません。それが残念です。

政治生活はあっという間に覆されるので、前もって生活の基礎を築いておいて、政治を離れた後に新しい生活を始められるようにしておく必要がある。負ける時の心構えができていることが、誠実でありつづけるための最善の保証なのである。

イグナティエフ氏は落選してもすぐに大学教授に戻ることができました。私は残念ながら「前もって生活の基礎を築いておいて」というわけにはいきませんでした。

ただ、少なくとも「負ける時の心構えができている」という点では合格だったと思います。初めて選挙に出た2005年も厳しい選挙区事情のところで立候補し、それ以来、劣勢の選挙区で戦ってきたのが私の政治歴でした。いつ落選するかわらない状態でずっとやってきました。落選は2度目です。小選挙区で負けるのは3度目です。負ける覚悟だけはできていたので、「誠実でありつづけるための最善の保証」はできていたと思います。

自分のこれからの人生がどうなるか、まったくわかりません。先が見えないのは不安です。イグナティエフ氏は次のように言います。

あらかじめどんなことが待ち受けているかを知ることはできない。だが現実には、人生において予見能力が欠けているのは天恵なのだ。思いきってやることを恐れてはならない。失敗することを恐れてはならない。失敗は不名誉だという考えから解放されるのなら、失敗してもくじけないだろうし、成功しても増長することはないだろう。成功のために努力しようというのなら、失敗してもどんな言い訳もせず、なによりも運命を平静に受け入れること。自分自身でどうにかすることができる要素 -勇気、意志、決断、ユーモア- はつねにコントロールできるが、公共的な競技場に足を踏み入れると自分ではコントロールできない諸力が働く。政治的キャリアは運命の女神フォルツゥーナによってきめられているので、彼女が背を向けたとしても運命を呪っても仕方ない。運命をコントロールできると勘違いしてはならない。

私も運命を平静に受け入れようと思います。先の見えない不安と戦いつつ、新しいことにチャレンジしていきたいと思います。

*ご参考:マイケル・イグナティエフ 2015年「火と灰:アマチュア政治家の成功と失敗」風行社