立憲民主党

福岡3区総支部長 退任のごあいさつ

2021年12月14日
福岡3区、地域活動

立憲民主党福岡第3区総支部長の退任のご報告をさせていただきます。立憲民主党のルールでは衆議院選挙で落選すると、総支部長としての任期は終了します。すでに制度上、私は福岡3区の総支部長ではありません。あわせて党本部に総支部長への再任の申請を上げないことにいたしました。

年内には室見の事務所を閉めて会計報告を終えた段階で、福岡3区における政治活動を終了します。これまでお世話になった皆さまに心からお礼申し上げるとともに、今回の衆議院選挙で当選できなかったことをあらためておわび申し上げます。

民主党の福岡3区総支部長になったのは約6年前のことでした。その後、民主党から民進党に党名が変わり、「希望の党」騒動の際には公認を取り消され(排除され)、立憲民主党の結党に参加しました。わずか6年の間に「民主党」から「民進党」そして「立憲民主党」と党名が変わり、いろいろなことがありました。

2005年に初当選して衆議院議員を3期務めた後、2014年の衆院選では埼玉13区で落選しました。当時の福岡3区総支部長の藤田一枝元衆議院議員からお声がけいただき、故郷の福岡県に戻ってきました。最初の約2年は浪人中で、知名度のない新人候補と同じ条件で福岡3区での政治活動を始めました。藤田先生の後援会の皆さま、党員・サポーターの皆さま、関係団体の皆さまに支えていただきながら2017年の衆院選に臨みました。

前回4年前の衆院選では小選挙区で約4万票の差をつけられて敗北しましたが、立憲民主党の比例九州ブロックで復活当選することができました。その後の4年間の議員生活には自分なりに全力で取り組みました。

私は衆議院では「国会対策(国対)」畑が長く、結党直後の旧立憲民主党で国対のナンバー2である「国会対策委員長代理」に就任しました。結党直後の立憲民主党で国対事務局の体制も未整備な中で、手探りで新しい体制づくりに打ち込みました。

その後は政調会長代理として政策の取りまとめ、法案審査、参院選選挙公約づくり、「政策コミュニケーション」の推進などに取り組みました。枝野代表のもとの特命チームの事務局的な仕事を手伝い、今回の衆院選公約づくりにも参加しました。今回の選挙公約は内容的にはよかったと思いますが、公約の政策があまり報道されず、政策が争点にならなかったのが残念でなりません。

国会開会中はいわゆる「金帰火来」に近い生活で毎週末、地元の福岡3区に張り付いて支援者のお宅の訪問活動や各種行事への参加などできる限りの活動をしてきたつもりです。国会閉会中は平日朝は毎朝5時半前後に起床して駅で国政レポートを配る日々でした。だいたい月に1度のペースで国政レポートを発行し、駅で配ったり、ポスティングしたりという活動を地道に続けてきました。

福岡3区内はくまなく歩きました。早良区、西区、糸島市の支援者のお宅を訪問してきた軒数はのべ数万軒にのぼると思います。名簿を持って訪問活動をする場合、いちばん多くて1日に120軒ほど回れます。人口密度が低い農村部では1日50~70軒ほどでしょうか。地元にいる時は毎日のように訪問活動をしてきました。ポスターを貼って下さっている家や支援者の家はだいぶおぼえました。駅頭や交差点での街頭演説も数千回におよぶと思います。特に今回の選挙前の数か月間はほぼ毎日炎天下で街頭に立ち続けました。

ほとんど休みなく働き、家族を犠牲にして、小さな子どもたちをほったらかしにして政治活動に没頭した6年間でした。しかし、それでも結果を出すことはできませんでした。悔しさと虚しさでいっぱいです。2017年の選挙と比べて、今回の選挙でも相手候補との票差をさほど詰めることができず、比例復活もできないほどの大差で敗れました。

落選した後も多くの人から「次もがんばって」や「捲土重来を期待してます」といった励ましの言葉をかけていただきました。このまま福岡3区で次もチャレンジしたい気持ちはありますが、さまざまな制約があり、そして経済的な事情もあり、それは不可能だと判断しました。

約6年前に福岡3区に選挙区を移したときには、それなりに政治資金にも余裕がありました。しかし、前回総選挙と今回総選挙の2回の選挙資金、プラス、日常の政治活動の資金がかさみ、今回の選挙後の政治資金は大幅な赤字となっています。

そもそも党から受け取る政党交付金だけでは、日常的な政治活動の経費も十分にカバーできません。事務所の家賃、秘書の給与、自動車の維持費などであっという間に党の助成金は使い切ってしまいます。選挙区内で全戸配布のポスティングを1回すれば、印刷費とあわせて200万円くらいはかかります。活発に活動しようと思ったら、政治献金を集めるか、自前でお金を用意するかしないと、政治活動は続けられません。

この十数年間に実家の両親などにも多額の政治献金をしてもらい、家族には相当な経済的な負担を強いてきましたが、それ以外の政治献金はほとんど集めてきませんでした。私は政治献金集めに力も入れてこなかったので、政治資金収入は衆議院議員のなかでも少ない方でした。個人献金はありがたくお受けしますが、特定の業界団体や営利企業からお金の面倒を見てもらうと、政治活動における制約になる可能性があるので、何らかの意図がありそうなお金には手を出さないよう心がけてきました。私の13年4か月の議員生活で一時期は与党だったこともありますが、与党時代も含めて一度も政治資金パーティーを開くことなくやってきたのは、政治資金集めよりも政策の勉強や地元の政治活動を優先したいという思いもありました。結果的に政治資金難に陥り、活動を継続することは難しくなってしまいました。

また必要なお金は政治資金だけではありません。生活費も必要です。自営業だったり「士業」だったら何とか自活できるのかもしれません。しかし、私は衆議院議員を除けば国際協力の仕事しかしたことがないので、稼げる資格もなく、政治活動の副業で稼げるほど器用でもありません。小学校1年生と4年生の子どもをかかえて、これから3~4年も無職で浪人生活を送る余裕はありません。もし次の衆議院選挙が1~2年以内に行われるのであればがんばれるかもしれませんが、3年・4年先まで無職のまま政治活動を継続することは難しいと判断しました。

前回落選したのが2014年で3年後の2017年に再び当選して議席を得ることができましたが、浪人中の3年間は本当に大変でした。「浪人」といっても実際には「無職」です。肩書もないですが、収入もありません。入金がまったくなくて、毎月残高が減っていく一方の預金通帳をながめるのは、気持ちのよいものではありません。当時はまだ二人の子どもが小さかったので教育費も幼稚園の授業料程度ですみましたが、子どもたちはこれから教育費がかかる時期に差し掛かります。子どもを育て家庭を守る責任を考えると、これから3~4年も浪人するのは難しいと判断せざるを得ませんでした。

今月中に選挙区での財務処理を終わらせ、事務所閉所の手続きを終わらせた上で、年明けにも仕事探しを始めようと思っています。将来のことはまったく白紙です。48歳にもなって再び進路を考えなくてはいけないのは情けない限りです。

これまで関わってきた国際協力の仕事やNGO/NPO関係の仕事、教育関係の仕事を中心に探してみようと思います。当然ですが、衆議院議員だけが社会に貢献する仕事ではありません。

十数年前に決めた人生の目標は次の通りでした。

全人類の生存のため、地球環境を守り、平和で公正な国際社会を築く。弱者にやさしく、差別のない、公正で寛容な市民社会を日本と世界で実現する。

アプローチは変わっても、目標はブレずに追求し、社会に貢献できる仕事を探したいと思います。

南アフリカの故ネルソン・マンデラ大統領の言葉に「もっとも落胆しているときこそ、新しいことを始める絶好の機会だ」というのがあります。さすがに落選すると落胆しますが、今こそ新しいことを始めるチャンスだと思います。

選挙の最中も終わった後も本当に多くの人に支えられて活動をしてきたことを実感しました。衆議院議員として4期(13年4か月)、新人候補者時代と浪人中の数年間とあわせて十数年にわたり、多くの皆さまに支えていただきました。ボランティアとしてお手伝いいただいた皆さま、党員やサポーターとして支えていただいた皆さま、ご寄付いただいた皆さま、山内康一後援会に加入して下さった皆さま、ポスター掲示にご協力いただいた皆さま、投票して下さった皆さま、福岡3区総支部の常任幹事の皆さま、以前の選挙区で応援して下さった皆さま、同僚議員の皆さん、党職員の皆さん、衆議院事務局の皆さん、歴代の事務所スタッフの皆さん、本当にありがとうございました。

私 山内康一は、福岡3区で6年間 必死でがんばりました。最後は落選という結果に終わりましたが、せいいっぱいがんばりました。これまでやって来ることができたのは皆さまのおかげです。心からお礼申し上げます。ありがとうございました。

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