国会対策委員長代理に就任しました。

このたび私は、立憲民主党の「国会対策委員長代理」という役職に就くことになりました。辻元清美国対委員長のすぐ下で、他党の交渉の窓口役をやったり、衆議院の委員会の配属を決めたり、議員会館の部屋割りを決めたりと、渉外的な仕事や庶務的な仕事にたずさわります。根回しや調整業務が多いため、決して華やかな仕事ではなく、地味な仕事です。地味ですが、誰かがやらなくてはいけません。ご指名いただいたからには、全力でがんばります。

当選1期のとき以来、ずっと国会対策の役職に就いてきました。新人議員の頃はたいした仕事はしていませんが、当選2期目と3期目は政党間交渉の窓口を務めて議院運営委員会(議運)の理事会で仕事をしていました。衆議院議員として4期連続で「国会対策畑」ということになります。自民党的な呼び方では「国対・議運族」です。決して希望したわけではありませんが、党内の消去法的な人事で国会対策畑を歩んできました。本当は教育政策とか外交政策に関わりたくて衆議院議員になったはずですが、ひたすら国会対策畑を歩み続けた議員生活です。これまで一貫して、「好き嫌い」よりも、「向き不向き」で、担当業務を決められてきたと言えるでしょう。

また、報道によると私は「執行部」の一員に選ばれたそうです。正直言って「執行部」というのが、何をするところなのか、まだ説明を受けておらず、よくわかりません。何となく党全体の運営に関わるところのような印象を受けます。私にとっては立憲民主党を政権政党に成長させることが目標のひとつなので、党運営に口出しできるポジションに就けるのはうれしいです。私は「みんなの党」の創設から解体まで関わり、新党をつくることのむずかしさも経験し、痛い目にもあいました。そこで得た教訓をいかして、立憲民主党を立派な政権政党に成長させていきたいと思います。

国会においては年次が意外と大切です。立憲民主党所属の55人の衆議院議員のなかで私の議員歴は17番目でした。私の在職期間は、94か月12日間ということでした。これまで「衆議院議員3期、92か月の経験があります」といろんなところで言ってきましたが、うっかり計算ミスでプチ経歴詐称していたようです(それも少ない方に)。

立憲民主党は新人議員の割合が高く、ベテラン議員もある程度いるので、中間層がやや薄い組織です。私の場合、55人の衆議院議員のなかで、若い方から数えると10番目(44歳)ですが、議員歴の長さは上から17番目という位置です。言い換えると「若い方だから命令しやすいけれど、そこそこ経験はあるから雑用を頼みやすい」という微妙なポジションです。さっそく辻元国対委員長のもとでバリバリ雑用や他党との調整業務に励んでおります。

辻元さんとは、党が異なりましたが、いろんなところでご一緒してきました。国際協力に関する議員連盟やNPOに関する議員連盟でよく顔をあわせてきました。NPO議員連盟のアメリカ視察ツアーにも一緒に参加したことがあります。そういう意味では、気心が知れていてやりやすい上司です。さらに国際NGO出身という共通点もあります。「ピース・ボート」出身の辻元国対委員長と、「ピース・ウィンズ」出身の国対委員長代理という組み合わせで「平和を守る最後の砦」となり、国会を安倍総理の好き勝手にさせないようにがんばります。安倍総理主導のあやしげな憲法改正を阻止するためにも、立憲民主党の国会対策委員会の役割は重要です。責任の重さをかみしめて、全力で取り組んでまいります。