コロナ後のBBB(build back better)は慎重に

新型コロナウイルスで世界が変わりつつありますが、米国や英国では「BBB(build back better)という言葉が流行しているようです。私はちょっと怖いと思っています。

少し前に「コロナ危機のどさくさ紛れ “ショック・ドクトリン” 」というブログを書いたことがありますが、このBBBは一歩間違うと「ショック・ドクトリン」になります。あるいはショック・ドクトリンをたくらむ人たちがBBBといっている可能性もあります。降ってわいたような9月入学論と同じ構造の可能性があります。やっかいなのは、ショック・ドクトリンを推進する人たちが、悪意や利権ではなく、善意と信念に基づいて提案しているケースが多いことです。善き意図が、良き結果につながらないのが、現実の社会の難しさです。

*ご参考:2020年4月30日付ブログ「コロナ危機のどさくさ紛れ“ショック・ドクトリン”」

コロナ危機のどさくさ紛れ“ショック・ドクトリン”
カナダ人ジャーナリストのナオミ・クラインの著書に「ショック・ドクトリン:惨事便乗型資本主義の正体を暴く」という本があります。世界的にも売れた本です(たぶん)。 新自由主義をリードしてきたマネタリズムの主唱者のミルトン・フリードマンは...

たとえば、世界中でロックダウンの影響で大気汚染が改善しています。思いがけないプラス面は、コロナ後も続いて欲しいと思うのは自然です。コロナ後も大気汚染を抑制する方法を考えるといったBBBには知恵をしぼる価値があります。また、接触を減らすために、行政手続きのオンライン化を進めるとか、人手不足の産業で人的接触を減らす省力化設備投資をするとか、そういうBBBなら進めた方がよいと思います。

他方、既存のシステムが崩壊したので、一気に新しいシステムを導入するという発想は思わぬ悪影響を及ぼしかねません。先日のブログで書いたようにニューオーリンズ市がハリケーン・カトリーナで破壊された公立学校を再建せず、民営学校の増加による教育の市場化を進めた例のように、災害や紛争後はショック・ドクトリン的改革案が善意の仮面をかぶってやってきます。危機の最中や直後の乱暴な惨事便乗型改革への警戒感を持つべきです。

私はロンドン大学の教育研究所(Institute of Education)在学中に「緊急事態下の教育(Education in Emergencies)」というテーマに興味を持ち、紛争や災害のもとで子どもたちの教育機会をどうやって確保するかを研究しました。紛争や災害で教育システムが崩壊した社会でも教育は大切です。子どもたちに平常心を取り戻し、平和な社会の復興のために知識を身につけさせることは重要です。何より崩壊した社会では子どもは未来の希望です。困難な状況下でも教育は最優先課題です。

その際に地域社会の伝統や習慣、環境を無視して、ショック・ドクトリン的に先進国の教育システムをいきなり輸入してもうまく機能しないことが多いことがわかりました。世界銀行や国連機関、政府系援助機関、国際NGOなどが、それぞれ善意に基づいて教育システムを発展途上国に持ち込もうとしましたが、失敗例のオンパレードでした。その状況を改善するにはどうすればよいかを考えました。

私の修士論文は次のような超マニアックなテーマでした。

ポストコンフリクト(紛争後)国の教育セクター復興における国際介入の比較研究:東チモールとルワンダのケーススタディより

A Comparative Analysis of International Interventions in Education Sector Reconstruction in Post-Conflict Countries: Case Studies of Timor Leste and Rwanda

大学院入学前にNGOスタッフとして東チモールの紛争後の復興支援活動に従事して現地に行ったことがあり、またJICAやアジア開発銀行で東チモールで教育援助に関わっていた知り合いもいたので、東チモールを対象に選びました。ルワンダの方は、大虐殺からある程度の時間がたち、UNESCOや世界銀行等の調査報告書も出ていて、比較的データが入手しやすかったので、文献調査に適しているので選びました。

論文の主眼は「紛争で崩壊した教育システムをどうやって復興するか。その際に外部の援助機関は、どのような役割を果たすべきか」という点でした。紛争後のガレキだらけで教員も不足している状況から、校舎の再建、亡くなった教員の補充、子どものトラウマケア等、どうやって教育を復興するか、という方法論を研究しました。

ルワンダも東チモールも紛争前から教育サービスの質に問題があり、紛争でさらに悪化した国でした。もとに戻すだけではなく、さらに良い教育制度を持ってきて復興したいというのは自然な感情です。善意に基づいて各国の教育政策の専門家が自国や先進国の制度をルワンダや東チモールに輸出しようとして、一部は成功しますが、一部は失敗します。その状況を分析し、改善策を考えました。

教育システムの復興というのは、校舎等のインフラだけではなく、教員養成や学校運営等のソフト面も重要です。正直言ってインフラの復興は、お金さえあれば簡単です。私もNGOスタッフ時代にアフガニスタンで学校の修復や再建をやっていましたが、お金さえあれば何とかなります。箱モノの再建はそんなに大変ではありません。

むずかしいのは、むしろソフトの復興です。教育行政の立て直し、教員の養成、子どもの精神面のケア、教材の開発、紛争後の平和構築に役立つ教育や啓発活動など等、ソフトの方がずっとたいへんです。

私が修論で結論づけた「教育復興の3つの法則」は以下の通りです。もっともアフリカや東南アジアの事例研究に基づく結論なので、日本の文脈で読み替える必要があります。また、ルワンダや東チモールの事例が今の日本にそのまま通用すると限りません。時代背景も社会的状況も異なります。それでも「日の下に新しきものなし」、人間社会の本質的な部分は文化や時代を超えて通用する部分もあるでしょう。ちょっとご紹介させていただきます。

1)漸進的アプローチ(incremental approach)は、包括的アプローチ(synoptic approach)よりも効果的である。

大きな青写真を描いて、一気に復興する方がカッコいいですが、意外とうまく行かないパターンが多いことがわかりました。一気に外部から解決策を持ち込もうとするとショック・ドクトリン的な失敗を招きます。現場から遠く離れた場所でつくった机上の復興計画よりも、現場に近い担当者に裁量を与え、住民を巻き込みながら、地道に現場の声を聴きながら漸進的に復興を進める方が、うまく行くことが多いという結論に至りました。いわば「急がば回れ」というアプローチです。惨事便乗型の「ショック・ドクトリン」とは真逆のアプローチです。

2)当事国政府の政策や現地社会の意向に沿った国際介入ほど、成功する確率が高い。

日本の文脈に当てはめると、霞が関の中央省庁主導の復興より地方自治体や地域コミュニティの意向に沿った復興を進めるべき、と読み替えることができるでしょうか。「援助側の都合で援助をしてはいけない」ということです。オーナーシップは被援助国にあり、援助国主導で計画づくりを進めてはいけない、ということです。地方分権や現場への権限移譲が大切ということです。

3)現地化(分権化)された意思決定とマネジメントが、変化の激しい紛争後の状況に迅速に対応するのに適している。

何でも中央に一元化しようとする体制では、厖大な情報フローに情報処理速度が追い付かず、機能不全に陥りやすいといえます。例えば、被災者の生活支援やライフライン復旧のような仕事は、分権化された意思決定システムの方が有効です。コロナ感染拡大の状況も地場企業の困っている点も地方によって異なります。トップダウンのアプローチよりボトムアップのアプローチを推奨します。

ちなみに私の修士論文は平凡な成績でしたが、卒業して1年後くらいに指導教官から連絡をもらって「あまり研究されていないテーマで、おもしろいからジャーナルに投稿してはどうか」と薦めてもらいました。蛇足ながら私の指導教官は、見た目はオバマ大統領に似た長身の穏やかで知的で若いケニア人(当時30歳代後半か?)でした。

残念ながら投稿は実現しませんでしたが、少なくとも指導教官からは評価してもらえました。なお、英国の修士論文の評価は、指導教官は関与せず、他の大学の教授2名が採点します。指導教官の評価と他大学の教授の評価にギャップがあるのは仕方ないことですが、尊敬する指導教官から評価してもらったのは自分にとっては良い思い出です。ケニア出身で発展途上国(特にアフリカ)の教育政策に詳しい専門家から評価してもらえたのはうれしかったです。

最後にもう一度結論:

BBB(build back better)という魔法の言葉を見かけたら、ちょっと立ち止まって「ひょっとしてショック・ドクトリン(惨事便乗型改革)」では?」と考えてみましょう。すべてのBBBがあやしいということではありませんが、BBBという錦の御旗の下でショック・ドクトリンが実行される恐れを忘れないことが大切です。