ポストコロナは“ポスト新自由主義”

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すでに多くの識者が「ポストコロナ」や「アフターコロナ」「ウィズコロナ」の社会について語り始めています。識者じゃないけど、私も語ります。

まず用語です。私は「ポストコロナ」がよいと思います。「アフター」だと無色透明な印象を受けます。「ポスト」だと次にくるものが明示されている印象を受けます。単なる印象論ですが。

また「ポストコロナ」を論じるにあたっては、おそらく「ポスト安倍」や「ポストトランプ」とも連動して議論する機会も多くなるでしょう。「アフター安倍」や「アフタートランプ」とは言いにくいので、「ポスト」で統一した方が便利です。

そして「ウィズコロナ」には違和感を覚えます。おそらく新型コロナウイルスも数年後には旧型インフルエンザと同じように扱われる「ふつうの病気」になるでしょう。それをわざわざ「ウィズコロナ」とは大げさです。「ウィズインフルエンザ」とか「ウィズHIV」とか、まったく言わないとは言いませんが、さほど人口に膾炙していません。なので「ウィズコロナ」は却下。

新しい感染症が広がるのは、新型コロナウイルスで終わりではないし、これからも新興感染症は頻繁に流行すると予測されています。気候変動(地球温暖化)で熱帯の感染症が温帯に広がったり、シベリアの凍土が溶けて氷のなかの動物の死がいに含まれていたウイルスが広がる可能性もあります。

コロナも今後も何度も流行する新興ウイルスの1つになるでしょう。しかし、スペイン風邪以来の世界的インパクトだったので、「ポストコロナ」という言い方は適切だと思います。

コロナでもっとも大きな被害を受けた国のなかに米国、イタリア、スペインが含まれます。米国は、医療サービスを市場任せにしていて、GDPに占める医療費の割合が非常に高いわりに、医療格差が激しく、平均寿命が短く、医療の質が低い国です。米国の医療は、最先端の医療技術を持つ一方で、貧困層は医療サービスにアクセスできません。医療資源の配分に問題があります。医療技術は一流でも、医療資源の配分が三流というのが、米国の医療だと思います。資源配分という観点で見れば、政治の失敗です。

また、トランプ大統領が、せっかくオバマ政権が導入した「オバマケア」を撤回したせいで、無保険状態の低所得層が多く、診療抑制を招きました。そのこともコロナ拡大の理由の1つだといわれています。CDCのような優れた国家組織を持ちながら、それをうまく活用していないのがトランプ政権です。専門知を軽視するポピュリスト政治の問題点が浮き彫りになりました。

イタリアやスペインは、EUのルールに従って緊縮財政を強いられ、医療予算を削り続けてきました。その結果、医療サービスの質が低下し、医療崩壊を招きました。新自由主義は「小さな政府」のかけ声のもと歳出削減を徹底し、必要な公共サービスまで削ってしまい、今回の悲劇を招きました。

日本でもコロナ対策で保健所の重要性が理解されたと思います。これまで保健所は歳出削減のターゲットにされ、保健所の統廃合や縮小が進められてきました。1992年に852か所だった保健所は、2019年には472か所まで減少しています。これも「小さな政府」という新自由主義的スローガンが招いた結果です。ポストコロナの日本では、保健所や地域の公的医療機関の統廃合の流れを止めなくてはいけません。

コロナ蔓延の前に市場(マーケット)は無力でした。マスクや人工呼吸器の入手のために各国は自由貿易の原則を一時的に無視し、国家統制を敷きました。市場原理では危機に対応できません。採算を度外視しないとできないことは、企業にはできません。そこに政府の役割があります。

福祉国家における福祉の中核は医療です。ポストコロナの日本では再び福祉国家化の流れができると思います。そのときに過去の医療サービスの市場化や民営化の流れへの反省を踏まえ、公的関与は強化されることでしょう。「小さすぎた政府」からの脱却が重要な政治的テーマになります。

また、世界各国はコロナ危機とコロナ危機が招いた経済期に対応するため、前例のない巨額の財政支出を行っています。米国のFRB(連邦準備制度理事会)は、日本のバブル崩壊後の「失われた20年」をよく研究し、「too little, too late(遅すぎるし、少なすぎる)」を回避するのに躍起になっています。

貨幣論の岩井克人東大名誉教授によると、FRBが投機的格付け債券(ジャンク債)の購入に踏み込むのは「禁じ手」だそうです。米国は「禁じ手」を使ってまで経済崩壊を食い止めようとしています。ここまで市場に介入するのは、新自由主義ではありえないことです。トランプ大統領の米国は、はっきりと新自由主義を捨て去りました。

岩井克人先生は次のようにいいます。*2020年5月26日付「週刊エコノミスト」特集記事「歴史でわかる経済危機」より引用。

自由を守るためには自由放任主義を捨てなければならない、というのがジョン・メイナード・ケインズから私が学んだことだ。必要ならば政府が介入して、資本市場や民間を救うということだ。

政府の介入を悪とするのが、レーガン大統領以来の共和党の伝統でした。しかし、共和党のトランプ大統領のもとで前例のない規模の政府介入が行われています。もはや共和党までが新自由主義を捨てる時代です。

民主党のフランクリン・ルーズベルト大統領が、ケインズ主義を取り入れて、ニューディール政策を実行しました。しかし、100年たって共和党の大統領がケインズ主義的な介入を躊躇なく実施しています。

フォーリン・アフェアーズ2020年5月号でコラムニストのザチャリー・カラベル氏は、米国政府の大恐慌時のニューディール政策以上の財政支出をしている米国を指して「ハイパーケインズ主義」と呼んでいます。ケインズ主義を通り過ぎて「ハイパーケインズ主義」です。

新自由主義の終わりは見えていましたが、コロナ危機が完全に息の根を止めたといえるでしょうか。「新自由主義の終わりの終わり」です。コロナ危機は世界の経済政策の既にあったトレンドを加速したと思います。すでに黄昏を迎えていた落ち目の新自由主義が、コロナ危機で終えんを迎えました。

ポストコロナの世界にふさわしい経済政策が求められ、世界各国はそれを模索しているところです。何年たってもデフレ脱却できなかった黒田日銀総裁と安倍政権には、ポストコロナの経済財政政策を打ち出すことができるか疑問です。

ポストコロナは「ポスト新自由主義」であり、「ポスト安倍」、そして「ポスト黒田」の時代と言えるかもしれません。コロナの後に新しい時代をつくるしか選択肢はありません。従来型の新自由主義的政策でも、その前の旧来型の自民党的土木系公共事業バラマキでもなく、新しい選択肢が必要です。

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