ネパール地震から1年

熊本地震の支援活動が本格化し、インフラなどの復旧も徐々に進んでいるようです。しかし、避難所生活を送られている方々も依然として多く、被災された皆さまに心からお見舞い申し上げます。

さて、今日はネパール大地震から1年です。人口2700万人ほどのネパールで、死者9千人、被災者800万人という大震災でした。1年たったいまでも、60万世帯がテントや仮設シェルターで生活しているそうです。

しかも、震災前からネパールはアジアの最貧国のひとつでした。財政と行政の対応能力にも限界があり、政治的混乱もあり、復興が遅れている様子です。また、発展途上国においては、貧富の格差は、被害の格差に直結します。貧しい農民や貧しい都市住民の方が、傾斜地や壊れやすい家屋に住んでいるため、より大きな被害を受ける傾向にあります。裕福な人ほど被害に遭わず、貧しい人ほど被害が甚大という、不平等な社会です。

私は、昨年の5月末までは民主党埼玉県第13区総支部の支部長の任期があり、その間はあまり長い間埼玉県の選挙区を離れられませんでした。しかし、任期満了後は役職を離れて自由の身になったので、昨年7月に古巣のNGOが実施しているネパール震災復興プロジェクトに参加しました。

4週間の任期でネパールの現地事務所に滞在し、10数年ぶりにNGOの緊急支援の最前線で働かせてもらいました。事務所と宿舎を兼ねた住宅に寝泊まりし、20代の頃にもどったような気分でした。首都のカトマンズからクルマで2~3時間ほどの山岳地帯で、日本人スタッフやネパール人のカウンターパート(現地の協力相手の人たち)といっしょに住宅再建等のプロジェクトに関わりました。ネパールに行ったのは初めてでしたが、インド、インドネシア、アフガニスタン、パキスタンの4か国の地震被災者の支援活動に参加した経験があり、震災後の支援活動に参加したのは5か国目でした。

ご存じのとおりネパールはエベレストやヒマラヤで有名ですが、山がちの国です。山岳地帯に被災者が多く、アクセスが悪いため、支援が奥地にはなかなか届いていませんでした。地図で見ると直線距離はたいしたこともないのですが、道路が整備されておらず、その未舗装の道路も被害を受けて寸断され、クルマでも移動が困難な場所が多かったです。

もともと貧しい農民が、追い打ちをかけるように被災して、ますます生活が苦しくなっているという例が多くみられました。またネパールは海外への出稼ぎ労働者が多いので有名です。イギリス軍やインド軍の出稼ぎの兵士で有名な「グルカ兵」もネパールのゴルカ族にちなんだ名前です。生産性の低い山岳地帯では、出稼ぎが最大の現金収入になっているケースも多いようです。そういう出稼ぎ労働者の家族はたいへんです。奥さんが世帯主になり、男手のないなか自力で家の修復等をやっているといった例もよく見ました。本当に大変です。

ネパールの貧しさを見ていると、外国からの支援がないとネパールの復興はむずかしいと感じました。ネパールの被災者への日本政府や日本のNGOによる支援は引き続き重要です。復興を実行する能力という点で見ると、日本には自力で復興できる底力があります。行政の対応能力も高いし、民間のNPOやボランティアの動きも素早いです。私のNGO時代の同僚の何人かも熊本でがんばっているようです。

熊本地震の被災者の皆さんにお見舞い申し上げるとともに、ネパールの被災者の皆さんが一日も早く元通りの生活に戻れることを(可能なら震災以前よりも生活水準を改善できることを)、心からお祈りします。

そして国政に復帰し、さらに政権交代が実現したあかつきには、海外での災害支援の経験をいかして、災害対策の充実に貢献したいと思います。更迭された現地対策本部長の某副大臣よりは、ずっと適任だと自負しています。