「希望の歴史」【書評】

正直言ってあんまりいいことのない一年でしたが、来年に希望をつなぐ意味で「希望の歴史」という本をご紹介します。歴史学を専攻したオランダ人のジャーナリストが書いた本で、とても読みやすくて役に立つ本だと思います。

本書にはいろいろな事例が出てきますが、行動経済学や教育学などの本でどっかで読んだことのある事例が多いです。その中で広く知られているけれど、事実とは異なる事例を検証している部分が秀逸です。広く知られている実験結果のいくつかは、問題のある研究手法で実験されていて、事実とはほど遠いことが示されています。

例えば、心理学者のフィリップ・ジンバルト氏によるスタンフォード大学の監獄実験は有名なので、何かの本で目にした方は多いと思います。被験者の学生を監獄を模した実験室に入れ、一部を受刑者、一部を看守に指名し、数日の間にそれぞれの役割を果たしてもらいました。すると看守役の学生は囚人役の学生に驚くほど残酷な仕打ちをするようになり、囚人役の学生は心理的に追い詰められ、あまりにもひどい結果になったので実験を途中で中断した、とされています。

研究者が出した結論は「ふつうの人を恵まれた環境、幸福な家庭、良い学校から連れ出し、環境を変えるだけで、行動に強い影響を与えることができ、与えられた役割によっては驚くほど凶悪な行動をとるようになる」という恐ろしい結論でした。ナチス政権下でふつうのドイツ人が残虐なユダヤ人虐殺を遂行したことを思い出させるような結論でした。

しかし、本書の著者ルドガー・フレグマン氏は、この研究報告を精査して実験手法に問題があったことを突き止めました。ジンバルト氏は看守役の学生に事前に事細かに指示して囚人役の学生を非人道的に扱うよう要求していました。ジンバルト氏の望む通りに看守役の学生はふるまうようになり「人間は環境次第で驚くほど残虐になる」という研究結果につながりました。しかし、実験手法に問題があったので、性悪説を肯定するような実験はまったく事実ではなかった、と著者は言います。

ルドガー・フレグマン氏の矛先は、私の好きなジャレド・ダイアモンドの「文明崩壊」にも及びます。「文明崩壊」にはイースター島の事例が出てきますが、人口が増えすぎて自然環境とのバランスがとれなくなり内戦が激しくなり、モアイ像をつくった文明が崩壊した、というストーリーだったと思います(おぼろげな記憶によると)。しかし、ルドガー・フレグマン氏の調査によると島民同士の殺し合いや環境破壊で文明が崩壊したのではなく、ヨーロッパ人の奴隷商人によって島民の多くがペルーの銅鉱山に連れ去れたことと病原菌によって島民が激減したそうです。しかも「文明崩壊」と呼ぶのは失礼で、その後も残ったイースター島の島民は森林減少に適応して農業技術を改良し伝統文化をそれなりに継承しています。

世の中には性悪説に基づくストーリーがあふれていて、悲観的なストーリーの方が受け入れられやすい傾向があります。悲観的なことを言う方が賢そうに見えて、楽観的なことを言うとバカにされやすいのかもしれません。

本書「希望の歴史」には、人間を信頼したくなるストーリーがたくさん出てきます。性善説を信じて楽観的になった方がいいと思うようになれます。ブラジルの住民参加型の地方自治の成功例、オランダの介護施設の成功例、第一次世界大戦中の1914年のクリスマス休戦など、世界各地の希望の持てる事例が出てきます。それぞれおもしろいので、ぜひお読みいただきたい事例です。

最後にルドガー・フレグマン氏は「人生の指針とすべき10のルール」というのを示します。

1.疑いを抱いた時には、最善を想定しよう。
誰かの意図が疑わしく思えたら、善意を想定しよう。「疑わしきは罰せず」である。ときどき人にだまされることがあっても、それでも他人を信じよう。

2.ウィン・ウィンのシナリオで考えよう。
他者への寛容さが自分のためになる。許すことができれば、反感や悪意にエネルギーを浪費しないですむ。

3.もっとたくさん質問しよう。
他者が何を望んでいるかを私たちは常に正しく理解しているわけではない。自分がしてもらいたいと思うことを他人にしてはいけない。その人の好みが自分と同じとは限らないから。質問から始める方がよい。

4.共感を抑え、思いやりの心を育てよう
共感は狭い範囲の人にしかおよばない。共感は場合によっては排他的になることもある(偏狭なナショナリズムのように)。また共感は心理的に大きな負担になりやすい。共感ではなく、思いやりの心を育てよう。相手の苦悩を自分も経験するという共感ではなく、一定の距離を置いて、その上で思いやることが大切である。
*著者の言う「共感」と「思いやり」の違いは、本文を読まないと伝わらないかもしれません。

5.他人を理解するよう努めよう。たとえその人に同意できなくても。

6.他の人々が自らを愛するように、あなたも自らを愛そう。

7.ニュースを避けよう。
これはおもしろいと思います。テレビのニュース番組は悪いことに焦点を絞ります。その方が視聴者の関心を引くからです。その日に起きた世界で最悪の事態や国内で最悪の事件を報道します。インターネット上の情報やSNSも似たようなものです。悪い情報ばかりを取り入れていると、悲観的になったり、性悪説を信じたりしやすくなります。平和で何事もないとニュースにはなりません。ニュースを見すぎないことは、精神衛生上とても大切だと思います。

8.ナチスをたたかない。
これは意外でした。ネオナチを批判すればするほど、ネオナチへの関心が高まり、ネオナチの思う壺になりがちです。ドイツにはネオナチからの脱退を支援するNPOがあるそうですが、そういうNPOは穏やかにネオナチの人たちを説得するようです。批判するよりも穏やかに意見を聞き、話し合うことが大切ということかもしれません。

9.クローゼットから出よう。善行を恥じてはならない。
手を差し伸べるために必要なものは勇気だと著者は言います。手の差し伸べると「自己顕示欲の強い人」という烙印を押される恐れがあります。善行をひけらかす必要はないが、勇気を出して人を助ければ、善行は伝染する。やさしさは伝染しやすい。

10.現実主義になろう。
現実主義は冷笑主義の同義語ではない。人間の本性は善であり、他者を信頼し、勇気をもって手を差し伸べよう。それが新しい現実主義である。

この本の全体を読まないと、伝わりにくいかもしれませんが、とても良い本でした。人生を楽観的に歩めるようになるかもしれません。最後に「楽観主義」に関わる名言集です。

最後は楽観主義者が勝つ。それは彼らがつねに正しいからではない。それは彼らが前向きだからである。間違った時でも、彼らは前向きである。それのみが、間違いを正し、改善し、成功を手にする道なのである。(経済史家のデイビッド・ランデス)

 

悲観主義者が正しくて楽観主義者が間違うこともしばしばあるが、あらゆる偉大な変革は楽観主義者によって成し遂げられてきた。(トーマス・フリードマン)

 

悲観主義者はすべての機会に困難を見出し、楽観主義者はすべての困難に機会を見出す。(ウィンストン・チャーチル)

*参考文献:ルトガー・ブレグマン 2021年「希望の歴史」文藝春秋