今年もいろいろありましたが、あまり良いことはなく、かといって特に悪いこともなく、淡々と馬齢を重ねました。特に実績を上げたわけでもなく、大きな失敗をしたわけでもありません。いつ契約終了になって失業しても不思議ではない不安定な身分ですが、今年一年間は無事に社会保険に加入してもらえる仕事を継続できました。うまく行かなかったことは反省し、何とか生活できていることに感謝し、お世話になった皆さまにこの場をお借りしてお礼申し上げます。
政治的には参議院選挙で排外的ポピュリズム政党が躍進し、排外的ポピュリズムで売っている右派政治家(軍事オンチの軍拡論者!)が首相になり、残念な一年でした。来年は自民党のなかでリベラル保守・穏健保守の勢力が頑張って、中道リベラルや中道左派の勢力と連携して、新しい政治をつくってほしいものです。右と左の極端なポピュリズム政治とは一線を画し、最近ちょっと流行している「極中道(エクストリーム・センター)」的な新自由主義の焼き直しではない政治をめざし、分厚い中間層を再生してリベラル・デモクラシーを再興する勢力が政権を担ってほしいものです。
皆さまにとって来年が良い年になることをお祈りしつつ、今年読んだ本のなかでベスト10冊をご紹介させていただきます。
1.デヴィッド・グレーバー、デヴィッド・ウェングロウ 2023年 『万物の黎明:人類史を根本からくつがえす』 光文社
文化人類学者のデヴィッド・グレーバーと考古学者のデヴィッド・ウェングロウの二人の学者が、人類の政治史を塗り替える本を書きました。デヴィッド・グレーバーは「ブルシットジョブ(どうでもいい仕事)」という概念を流行させ、ウォールストリート占拠運動のリーダーとされる人物(故人)ですが、近年の文化人類学や考古学の最新の知見により、定説を覆す大きなストーリーを紡ぎ出していきます。
多くの人が、狩猟採集社会から農耕社会へ発展し、農耕社会から文明社会へ発展したと考えていますが、必ずしもそうではない証拠が近年発掘されています。狩猟採集社会でありながら高度な組織を形成して巨大な建造物をつくった例もあれば、いったん農耕社会に移行した後に再び狩猟採集社会に戻った例もあります。
また北米先住民の一部の部族は自由や独立心を重視し、身分制社会のヨーロッパからやってきた移住者たちよりも、よほど弁舌が巧みで批判的精神を持っていた、といった例が出てきて興味深いです。欧州の啓蒙思想家やアメリカ合衆国独立の父たちが、北米先住民の考え方や民主的な組織運営の影響を受けていたことも私は初めて知りました。民主主義が必ずしも西洋起源でないことを示す研究が最近増えていますが、本書もそのひとつです。分厚い本ですが、米国、英国、ドイツ等ではベストセラーリストの上位に入った人気の本です。
2.押川典昭 2025年 『プラムディヤ・アナンタ・トゥールとその時代(上・下)』 めこん
上巻と下巻で合わせて千ページを超える大著ですが、インドネシア・マニアにはたまらない名作です。インドネシアを代表する文学者のプラムディヤ・アナンタ・トゥールは「人間の大地」の4部作で有名で、何度もノーベル文学賞にノミネートされました。東南アジア研究者に「お薦めの本」のアンケートをやると上位にあがるのが「人間の大地」です。私も「人間の大地」が大好きで4回か5回読みました。オランダ軍との独立戦争に参加して政治犯として逮捕され、その後もスハルト政権下で共産党シンパとして投獄され、流刑先のブル島で書いたのが「人間の大地」です。プラムディヤの生涯と作品を詳しく書いた評伝ですが、世界でもっとも詳細なプラムディヤ論だと思います。東京外語大の押川教授はプラムディヤ氏本人と親しく、家族へのインタビューもあります。「人間の大地」は、インドネシア現代史や「想像の共同体」などのナショナリズム論を学んだあとに読むとさらに楽しめます。この評伝はハードルが高いですが、「人間の大地」の方は読みやすいので、お薦めです。
3.橋本努、金澤悠介 2025年 『新しいリベラル』 ちくま新書
著者は、東西冷戦が終わり90年代以降「保守」対「革新(リベラル)」という図式が無効になり、社会的投資国家を支持する「新しいリベラル」が若い世代を中心に出現しつつあると分析します。この「新しいリベラル」仮説にもとづく、「新しいリベラル」は有権者を6つのグループに分類したときに最大の人口集団となります。「新しいリベラル」は、反戦平和主義や護憲といった戦後民主主義的な論点にはあまり関心を示さず、選挙では立憲民主党よりも自民党や維新に投票する傾向があります。そして「新しいリベラル」は自らのことを必ずしもリベラルと認識していません。しかし、「新しいリベラル」は社会政策ではリベラルな政策を支持し、新自由主義やタカ派的なスタンスとは異なる立ち位置を占めます。この「新しいリベラル」の民意を反映した政党が今のところ存在せず、つかみどころのない「新しいリベラル」層の支持は行き場を見失っています。「新しいリベラル」のニーズをくみ取る政党の出現(あるいは既存の政党の政策転換)が求められます。
4.マーチン・フォン・クレフェルト 2025年 『戦闘力:なぜドイツ陸軍は最強なのか』 日経BP
第二次世界大戦中のドイツ陸軍と米陸軍をマネジメント面から比較した本です。ドイツ陸軍は最初から最後まで米陸軍よりも高い「戦闘効率」を示しました。ドイツ軍1(対)米軍1.20~1.30くらいの比率でドイツ軍が強かったそうです。ざっくり言えば、ドイツ兵100人と米兵120人が互角という感じでしょうか。官僚的・機械的・中央集権的な米陸軍に比べ、ドイツ陸軍は現場の判断を尊重する「ミッション・コマンド(委任指揮)」を採用し、自分の頭で考えられ将校や兵士を養成しました。ドイツ陸軍は郷土連隊方式で同郷の兵士をまとめており、地域の絆や伝統を重視し、部隊への忠誠心が高く仲間意識の強い軍隊をつくりました。他方、米陸軍は出身地にはさほどこだわらず、空きが出れば適当に人員を配置し、フォードの工場のように無機的な組織になりがちでした(それでもハリウッドの戦争映画を見れば同志愛が強調されています)。戦闘や戦術ではドイツ陸軍が優れていましたが、戦略やロジスティクスでは米陸軍が優れていました。米軍はあせらずに物資を備蓄したり兵員を訓練したりして、相手を圧倒できる兵力になるまでじっくり待ち、勝てる状況を作ってから戦闘を仕掛けました。最後に戦争に勝ったのはもちろん米国です。なお、米陸軍の優れている点は、戦後ドイツ陸軍のミッション・コマンドを真似して採用し、より良いものに改善して運用しているところです。日本の陸上自衛隊も米陸軍式に倣っているので、ドイツ陸軍式のミッション・コマンドを採用しているようなものです。戦闘に勝っても戦争に負けては意味がありません。第二次世界大戦の失敗はドイツと日本で似ています。
5.吉田徹 2020年 『アフター・リベラル:怒りと憎悪の政治』 講談社現代新書
2020年に読んだ本を今年再読してみたところ、今こそ読むべき本だと思いました。副題に「怒りと憎悪の政治」という状況は、2020年よりも今の方が深刻化しています。先進国のなかでもっとも移民が少ない日本でさえ「日本人ファースト」を訴える排外主義政党が躍進しました。基本的人権や報道の自由などのリベラルな制度を批判し破壊しようとする「非リベラル」な政治勢力が強まっているが、その背景には中間層の没落があると言います。権威主義的ポピュリズム政治から脱却するためには、再分配や平等を重視し、分厚い中間層を再建していくことが大切です。
6.ユヴァル・ノア・ハラリ 2025年 『NEXUS 情報の人類史(上・下)』 河出書房新社
実をいうとハラリはあまり好きではありません。「サピエンス全史」もおもしろいと思いませんでした。しかし、この本はなかなか良い本で、印象的なフレーズも多く出てきます。長いですが、おもしろい部分を抜き出してご紹介します。
「ナチズムの台頭について考えてみよう。何百万人ものドイツ人を駆り立ててヒトラーを支持させた、物質的な利益があったことは確かだ。1930年代初めに経済危機が起こらなかったら、ナチスが政権に就くことはなかっただろう。とはいえ、第三帝国は当時のドイツ社会の根底にあった力関係と物質的利益の必然的な産物だったと考えるのは間違いだ。ヒトラーが1933年の選挙に勝ったのは、あの経済危機の最中に示された他の物語のどれでもなくナチスの物語を何百万人ものドイツ人が信じるようになったからだ。それは悲劇的な間違いだった。ドイツ人はもっと優れた物語を選ぶことができたはずだと私たちは自信をもって言える。歴史は、決定論的な力関係によってではなく、魅惑的ではあるが有害な物語を信じることから起こる悲劇的な間違いによって決まる場合が多いのだ。」
「人間のネットワークを維持するのは、虚構の物語、特に神や貨幣や国民といった共同主観的なものについての物語の場合が多い。人々を団結させることに関しては、もともと虚構には真実よりも有利な点が二つある。第一に、虚構は好きなだけ単純にできるのに対して、真実はもっと複雑になりがちだ。なぜなら真実が表しているはずの現実が複雑だからだ。第二に、真実はしばしば不快で不穏である、それをもっと快く気分の良いものにしようとしたら、もう真実ではなくなってしまう。それに対して、虚構はいくらでも融通が利く。どの国民の歴史にも人々が認めたり思い出したりしたくない暗い出来事があるものだ。イスラエルの占領下にあるパレスティアの一般市民にどれだけ悲惨な思いをさせているかを、イスラエルの政治家が選挙演説で詳しく語ったら、票が集まりそうにない。逆に不愉快な事実を無視し、ユダヤ人の過去における栄光の時に焦点をあて、必要に応じていつでも遠慮なく粉飾を行って国民神話を築き上げる政治家は、圧勝して政権に就くだろう。」
イスラエスの政治家と日本の政治家は大差ないかもしれません。
7.井出英策 2025年 『令和ファシズム論』 筑摩書房
私は20年前に政治の世界に入って以来「なぜドイツのように科学技術や芸術が発達した先進国、かつ、当時もっとも民主的と言われたワイマール憲法のもとで、ナチスが権力を握り、ユダヤ人虐殺や第二次世界大戦のような悲劇を引き起こせたのか?」という問題意識を持ち、歴史や政治学の本を読み続けてきました。財政学者の視点でドイツと日本のファシズム前夜の状況から分析していく、興味深い本です。同書の『「責任ある積極財政」「手取りを増やす」は戦前ファシズム期の日本・ドイツと似ている』というのは怖い指摘です。ドイツで起きたことが、これから日本で起きないとは言い切れない気がします。
8.ニーアル・ファーガソン 2007年 『憎悪の世紀(上・下)』 早川書房
私の好きな歴史家の「ニーアル・ファーガソン」の大著です。世界の政治はまさに「憎悪の政治」です。外国人やイスラム教徒、国内の少数派への憎悪を駆り立て政治利用する輩が多く、排外的ポピュリズム政治が日本でも広がっています。それに対する免疫力をつけるためには「憎悪の歴史」を知ることも大切だと思います。最近の愚かな政治を相対化する視点を持つために有意義な本です。
9.児美川孝一郎 2024年 『新自由主義教育の40年』 青土社
日本の教育改革の40年は新自由主義的な「教育改革」の連続でした。市場原理や競争原理を取り入れれば、教育が良くなるというのは幻想だと思います。ろくに実証研究もせずに、新自由主義的なイデオロギーに基づいた教育改革が行われ、その結果日本の教育が良くなったとは思いません。現場では改革疲れがまん延し、教員のやる気を削いできました。教育の長期的な成果を図ることは難しいですが、おそらく「失われた30年」で産業の競争力がなくなったのも、科学技術研究の質が大幅に下がったのも、教育改革の失敗がある程度関係していると思います。ここ数年でノーベル賞を受賞した日本人研究者は、40年以上前に教育を受けた人たちです。おそらく30~40年後に日本人のノーベル賞受賞者は激減することでしょう。新自由主義的な教育改革の罪は深く、一日も早く軌道修正する必要があります。
10.小宮山宏 2025年 『森林循環経済』 平凡社
元東京大学総長の小宮山宏先生の編著の本ですが、地味ながら広く読まれるべき本だと思います。森林を起点とした全く新しい循環型社会に向けた三つの柱として、「バイオマス化学への転換」「木造都市」「林業の革新」を掲げる。化石燃料の使用を減らすために木材を活用した「バイオマス化学」という発想は私にとっては新鮮でした。「9階建て以下建築物の木質化・木造化」により「木造都市」もおもしろいです。コンクリートのタワーマンションより木造の中層住宅を中心とした街づくりの方が魅力的だし、持続可能な都市づくりに役立ちます。脱炭素化を進めるための具体策が盛りだくさんで、日本の都市計画や林業を見直すきっかけになる本でした。
