いっしょに働いてきた人たち

これまで政府機関(JICA)、NGO、政党・衆議院と、いろんな組織に属し、いろんな国で、いろんな人と働いてきました。上司に仕えたり、部下を管理監督したり、人間関係で苦労したり、楽しいことがあったり。社会人生活20年でいろいろありました。一緒に働いたスタッフとの関係では、痛い目にも何度かあいましたが、思い出すのは楽しいことばかりです。

いまも政治活動をしていてわからないことがあると、長年仕えてくれた元秘書に電話して教えてもらいます。それぞれ別の道を歩んでいますが、雇用関係のなくなった今でも、ときどき連絡をくれるし、福岡に来たら立ち寄ってくれます。今でも協力してくれる元秘書には心から感謝しています。

前回の衆議院選挙に埼玉13区で落選したときは、当時の秘書を全員解雇せざるを得ませんでした。いちばん長い秘書は9年近く、その次に長い秘書も8年、一番短い秘書でも5年ほど、私のために働いてくれた秘書たちでした。家族のように長時間いっしょに過ごした仲間だったので、本当にさみしく思いました。それほどたたないうちに、みんな再就職が決まり、ホッとしたことを思い出します。

8年近く勤めてくれた議員会館の女性秘書は、二度と同じ質問をしない優秀な秘書でした。採用直後に「代議士、お茶にしますか?それともコーヒーにしますか?」と聞かれ、「じゃあ、お茶で」と答えました。

それ以来8年間、二度と同じ質問をしません。毎日毎日黙っていても、サッと日本茶が出てきました。夏は冷たい緑茶。冬は暖かいお茶。アフリカから来たマラウイ人の友人にコーヒー豆をもらったときも、ぶれずにお茶を出し続けました。たまにコーヒーを飲みたい気分の時もありましたが、黙っていてもお茶が出てくるので、なかなか言い出す気になれず、8年間ずっとお茶を飲み続けました。いまとなっては、良い思い出です。

初めて「部下」といえるスタッフをもったのは、25歳の頃に契約社員の女性スタッフ5名を束ねる班長になったときでした。背伸びしてがんばり、いろんなマニュアル本を読み漁った記憶があります。部下のスタッフ5名のうち、私より年下は1名だけで、あとはみんな年上でした。気を使うし、気を抜けない環境でしたが、でも楽しい職場でした。新しい部署を立ち上げることになり、初代の班長だったので、マニュアルも自分で作りました。業務フローを分析して、無駄がなく、かつ、漏れがないシステムを作るのに知恵を絞り、試行錯誤しました。新しい仕事にチームで一丸となってチャレンジするのは楽しいと思った初めての経験でした。思えば、むずかしい仕事や業務改善にチャレンジする楽しさみたいなものを、当時の上司に教えてもらった気がします。

NGO時代はいろんな国のいろんな民族のスタッフ(部下)と働きました。チモール人、インドネシア人(ジャワ人)、パキスタン人、アフガニスタン人。アフガニスタン人のなかには、パシュトゥン人、ハザラ人、タジク人がいて多民族国家らしい顔ぶれでした。それぞれに個性的な人たちと異文化で仕事をしてきたおかげで、けっこう気が長くなりました。日本では想像もできないようなミスを目にしてきたので、めったなことでは怒らない方だと思います(たぶん?)。インドネシア人のドライバーは6時間遅刻してきたことがありますが、その言い訳があまりにもおもしろかったので許してしまったこともありました。

いまも数名のスタッフを雇用し、部下を使う立場にあります。もう20年近くも人を使う立場にありながら、なかなか良い上司にはなれません。説明不足だったり、指示があいまいだったり、矛盾したことを言ったりということがあるかもしれません(たぶんあるでしょう)。おそらく完璧とはほど遠い上司なのだと思います。それでも働いてくれているスタッフには感謝しなければなりません。日頃あんまり感謝の気持ちを言葉にしていないので、この場を借りて過去と現在の事務所のスタッフみんなに心から感謝の気持ちを伝えたいと思います。