大学の世界ランキングに意味はあるのか?

イギリスのタイムズ・ハイヤー・エデュケーション(Times Higher Education; THE)の2016年のアジア大学ランキングが発表されました。東京大学は過去3年連続アジアで1位でしたが、2016年に突然7位に転落し、話題になっています。

私はこの手のランキングはあまり信用していません。たとえば、素朴な疑問として昨年1位からたった1年間で7位まで落ちるのは不自然です。この1年で急に東京大学の質が低下したか、アジアの他の大学の質が急上昇した、という事態は考えにくいです。単に評価指標が変わったといった理由で、ランキングが急落したことが推論されます。

また、アジア大学ランキングの評価指標のなかで「産業界からの収入(industry income)」という項目があります。産業界の収入の評点が中国の大学は100ポイント近く、東京大学は50ポイント程度ということで、全体の順位に大きく影響しています。産業界からの収入が高いことが、なぜ高い評価につながるのか疑問です。国税で運営される大学より、産業界からの収入で運営される大学の方が良い大学だと判断する理由がわかりません。おそらく産業界からの収入だけに依存すると、短期的な利益が出る研究ばかりが重視され、人文社会学や基礎科学の研究には予算がつかないと思います。この「産業界からの収入」という評価指標は、無意味どころか有害だと思います。

さて、大学ランキングでよく引用されるのは、前述のタイムズ・ハイヤー・エデュケーション(THE)とイギリスの評価機関のクアクアレイリ・シモンズ(Quacquarelli Symonds:QS)が有名です。どちらもイギリスの団体ですが、イギリスの大学やイギリスに近い大学制度を持つオーストラリアやカナダの大学が、ランキングの上位に入る傾向があり、偏っている印象を受けます。

さらに英語のハンディキャップも大きいです。イギリスの評価機関は、英語で書かれた情報しか読まず、英語の論文引用数を重視します。日本語やドイツ語の論文引用数はカウントしないと思います。その結果、英語圏の大学、および、英語が教授言語の大学が有利になります。非英語圏の大学がランキング上位に入るのはむずかしいです。

日本をはじめフランスやドイツ、ロシア等の大学では、母国語で高度な教育を受けられます。したがって、英語で勉強する必要性も薄く、英語で論文を書かなくてもよいケースも多いです。人文学(Humanities)や社会科学系では、英語で論文を書く必要がないケースや、英語では論文が書けないケースも多いことでしょう。人文科学や社会科学では、無理に英語を教授言語にすると講義のレベルが下がることもあります。

ノーベル賞受賞者や科学技術のレベルから考えると、大学の世界ランキングにフランス、ロシアの大学がほとんど入っていないのは不自然です。英語圏に有利で非英語圏には不利な「英語帝国主義的」なランキングといえるでしょう。

ちなみに2015-2016年のタイムズ・ハイヤー・エデュケーションの世界大学ランキングの100位以内の大学数を国別に分けると次のようになります。

アメリカ: 39大学

イギリス: 16大学

ドイツ:  9大学

オランダ: 8大学

オーストラリア: 6大学

カナダ:  4大学

スウェーデン: 3大学

日本、中国、香港、シンガポール、スイス: 2大学

フランス、韓国、ベルギー、デンマーク、フィンランド: 1大学

フランスが1大学というのは信じられない感じです。日本やフランス、ロシアの大学は過小評価されていると思います。ロシアで最上位の大学でも161位でした。フランスで最上位の大学が54位です。フランスはグランゼコールという特殊な高等教育機関があり、「大学」のカテゴリーに入らない学校にエリートが集まるという特殊事情もありますが、それにしても低い評価です。

大学ランキングの順位は、タイムズとクアクアレイリ・シモンズでは異なることが多いです。たとえは、韓国の大学はタイムズよりもクアクアレイリ・シモンズのランキングの方が上位に来ます。クアクアレイリ・シモンズの評価では、東京大学よりも京都大学が上位です(ほぼ同率ですが)。2つの評価機関が異なる評価をしているのは、評価指標や配点が異なることを示しています。唯一絶対の客観的な評価指標などありませんが、あまりにも評価が異なり、どちらを信用していいかわかりません。

この手の大学ランキングには別の欠陥もあります。大規模な大学しか評価の対象にならないことです。少人数教育と教養教育を売り物にするアメリカの「リベラルアーツ・カレッジ」もランキングに入りにくいです。アメリカのリベラルアーツ・カレッジのなかには「リトル・ハーバード」などと称される高水準の名門大学が多数ありますが、小規模な大学だとランキングに入りません。わが母校の国際基督教大学(ICU)もアメリカ型のリベラルアーツ・カレッジをモデルに創設されたので、ランキングとは無縁です。また、私が修士課程を終えたロンドン大学教育研究所(Institute of Education, University College London)も小規模な専門大学院大学なので、大学の総合ランキングには無縁でした。世界ランキングの対象外にもすぐれた大学はたくさんあります。そのことを見落としてしまうのが、この手の大学ランキングの欠点です。

なお、クアクアレイリ・シモンズは、教科(subject)別の世界ランキングも発表しています。わが母校のロンドン大学教育研究所は、クアクアレイリ・シモンズの「教育学(Education)」分野で世界第1位です。第2位はハーバード大学、第3位はスタンフォード大学、第4位はケンブリッジ大学、第5位はオックスフォード大学と続きます。聞いたことのある大学ばかりが上位に来ますが、どれも英語圏です。そして教育学分野で東京大学は50位以下です。

単に自慢したくて、東京大学の順位を述べたわけではありません。東京大学が不当に低い評価をされていることを主張したいのです。東京大学や筑波大学、広島大学等の教育学部には優秀な教授陣がいて、世界に通用する学者や大学院生がいます。ロンドン大学の大学院で勉強してみて、日本の教育学のレベルは低くないことを実感しました。しかし、英語で論文を発表しないから、国際社会での評価が低くなっているだけだと思います。

そもそも英語で論文を書くのがそんなに重要でしょうか。私は疑問です。たとえば、日本の小学校の理科教育について研究している教育学者がいたとして、その研究成果は現場の小学校教員に還元するのが、もっとも望ましいと思います。国の教育政策や学校現場の教授法の改善に役立つ研究をして、その成果を普及しようと思ったら、やはり日本語で論文を書いた方がよいと思います。英語で論文を書いても、多忙な現場の先生たちは読んでくれないでしょう。日本語で論文を書き、それをさらにわかりやすいテキストやブックレットにして、研究成果を社会に還元するというのは素晴らしいことだと思います。日本語の論文を評価しない世界大学ランキングをそこまで重視する必要はないと思います。

以上に述べてきたように、大学の世界ランキングの上位入りをめざすことが、大学の教育や研究の質を向上させるとは限りません。安倍政権は、世界ランキングのトップ100位に日本の10大学以上をランクインさせることを政策目標にしています。この目標設定はまちがっています。

イギリスの評価機関が好む評価指標を集中的に改善すれば、ランキングを上げるのはむずかしくないと思います。留学生比率や外国人教員比率を上げたり、産業界からの収入を拡大したり、英語論文を量産させたりすれば、ランキングの順位は確実に上がります。しかし、それで本当に大学が良くなるとは限りません。画一的(それも英米流の画一的)な評価基準にあわせて、日本の歴史のある名門大学を改造していくことが、本当に大学教育や研究の質の向上につながるのでしょうか。世界ランキングの順位を上げた結果、大学教育の質が低下した、という本末転倒の状況を生み出しかねません。

イギリスの評価機関がつくった物差しにあわせて日本の大学をつくり変えたり、国立大学の人文社会科学や教員養成学部を軽視したりと、安倍政権の「教育改革」には疑問を感じます。自民党の文教族議員や財界人は、教育改革を声高にさけぶ前にもっと教育学を勉強した方がよいと思います。世界ランキング1位のロンドン大学教育研究所なんてお薦めですよ。