私がブログを書き続ける理由

思えばブログを書きはじめてから16年ほどになります。前回落選時の2015年春から2016年春まで一時的に中断しましたが、その後復活して今にいたります。

べつに趣味でブログをはじめたわけではありません。新人候補として衆議院選挙に立候補するにあたり、広報活動の一環としてブログをはじめました。自分の考え方や政策について知ってもらう一手段としてブログをはじめました。

当選してからは衆議院議員として有権者、納税者、支持者に対する説明責任が生じます。議員歳費に加えて政党助成金もいただいていたので、自らの考えや政治活動の一端を報告するのは当然の義務だと思っていました。

説明責任を果たすための広報活動においてブログはきわめて低コストの手段です。安上がりなので「使わない手はない」と思って、なるべく活用するよう心がけてきました。

また初当選から当選3期目までは平日はほぼ毎日ブログを書いていました。けっこう永田町ウォッチャーや政治部の記者も読んでくれて、新聞や雑誌に引用されたこともありました。支援者向けの広報ツール、プラス、マスコミ向けの情報発信という意味でもブログはそれなりに意味がありました。

しかし、今は無職になり、衆議院議員としてお給料をもらっているわけでもなく、党から政党助成金をもらって政治活動をしているわけでもなく、何の説明責任もない私人です。公人に求められる説明責任は、今の私にはとくにありません。

すると「ブログを書かなくてはならない理由」は、公的には何もありません。どうしてこうしてブログを書き続けているのかというと、明確かつ合理的な理由はあんまりありません。単なる趣味に近いです。

一応は「ブログは続けてほしい」という声も一部あり、前回落選した7年前にはツイッター上に「衆議院議員はやめても、ブログはやめないでほしい」という謎の投稿もありました。ブログを愛読してくださる「読者」が全国(全世界?)にときどきいらっしゃるので、何となく続けています。

ブログを書いていてよかったこともたくさんあります。まったくお会いしたことのない支援者が全国各地ぼちぼちいらっしゃいます。それもブログのおかげです。「ブログを読んでいる」という理由だけで政治献金をしてくださる方も何人もいらっしゃいます。

ブログを定期的に書くことは、「書く練習」という意味ではよかったかもしれません。文章を書くトレーニングを自らに課してきたおかげで、文章を書くのは早くなり、以前よりはマシな文章が書けるようになった気がします。

文章を「書くこと」は、「考えること」だと思います。何となく思っていることを文章化(言語化)してみると、頭が整理されます。文章にしてみると、自分の考えのあいまいな点や具体性に欠ける点に気づかされます。文章を書く作業がより客観的にものを見ることにもつながります。

またブログは「備忘録」としても使うことができます。心に残ったフレーズや印象的なエピソードをブログに書いておくと、あとで自分で検索するときに楽です。本から引用してブログの文章にまとめたりする過程で、記憶に定着しやすくなります。

そんなわけで落選しても、政治活動をやめても、ブログは続けることにしました。来年もご愛読いただければさいわいです。お世話になった皆さま、今年も一年ありがとうございました。良いお年をお迎えください。