【書評】イスラームの歴史:1400年の軌跡(後編)

前回の続きです。たとえば、イスラム教のシーア派やワッハーブ派の成り立ちや歴史を知っていれば、なぜイラク(シーア派)とサウジアラビア(ワッハーブ派)が仲が悪いのかがよくわかります。イスラム内部の多様性を理解していないと、「イスラム教徒」とか「イスラム教国」という大雑把なくくりで考えてしまい、判断を誤ることになります。

イスラム内部の多様性を理解することも大切です。穏健なイスラム教徒もいれば、原理主義もいます。原理主義者のなかにも、単に敬虔に古いイスラムの信仰を守っているだけの平和的な人も多いです。原理主義、イコール、暴力的というわけではありません。もっといえば、原理主義はもともとキリスト教の原理主義者を指す言葉として使われはじめ、イスラム教にもキリスト教にも仏教にも原理主義者がいます。原理主義者の一部が、暴力的なテロ行為に走っているだけです。ただ、テロ行為に走る人たちは、総人口に占める割合が低くても、とても目立ちます。イスラム教徒=テロリスト予備軍といったステレオタイプの理解を避けなくてはいけません。

西洋の歴史観に基づく、イスラム教理解にも問題があります。われわれ日本人は、高校時代に世界史の教科書で次のような感じで「トゥール・ポワティエ間の戦い」について習ったと思います(うろ覚えの記憶なので不正確かもしれませんが)。

急拡大するイスラム教のウマイヤ朝の軍隊は、732年のトゥール・ポワティエ間の戦いでフランク王国のカール・マルテルの軍勢に敗北した。それによってイスラム勢力のヨーロッパ進出は阻止された。(*私の記憶の要約です。)

しかし、アームストロングさんに言わせれば、こんな感じです。

ムスリム軍は732年にトゥール・ポワティエの戦いでカール・マルテルに敗れたが、ムスリムたちはこれを大敗北だとは見ていなかった。よく欧米人はこの戦いの重要性を誇張するが、実際には歴史を変えた一大決戦などではなかった。アラブ人には、イスラームの名において西方のキリスト教世界を何としてでも征服しなければならないなどという気持ちはー宗教的なものであれ何であれーまったくなかった。それどころか、ヨーロッパはまったく魅力のない地域と思われていた。あのような辺境の未開の地では交易を行うチャンスなどほとんどなく、戦利品もたいして期待できず、おまけに気候も厳しいとなれば、そう思ったのも当然だろう。

われわれ日本人は、欧米の歴史観に沿った歴史観を義務教育段階で植え付けられていることがよくわかります。

732年前後の世界の軍事史を見てみれば、イスラム教徒側の感覚がわかると思います。732前後のウマイヤ朝はビザンチン帝国軍とコンスタンチノープル包囲戦や艦隊決戦を繰り広げていました。725年にムスリム軍がアナトリアに侵入したものの、ビザンチン軍に撃退されました。739年にもムスリム軍がビザンチン領に侵入したものの、やはりビザンチン軍に撃退されました。ウマイヤ朝にとっては遠くのスペインの戦争より、近くのアナトリアやコンスタンチノープルの方が気になって当然です。

同時期の中央アジアでは、ウマイヤ朝は、トルコ系勢力や唐の勢力と争い、730年には唐人が指揮するトルコ軍にウマイヤ朝軍は敗北しています。731年にもカザール(ハザール)軍にウマイヤ朝軍は敗れ、メソポタミア地域まで攻め込まれています。ウマイヤ朝にとっては、首都ダマスカス近くまで攻め込まれ、フランク軍よりはよほど差し迫った脅威だったことでしょう。

スペイン、コンスタンチノープル(現在のイスタンブール)、中央アジアと各所でウマイヤ朝は同時並行で戦争していて、トゥール・ポワティエの戦いも「西の辺境の負け戦」という程度の認識だったかもしれません。しかもトゥール・ポワティエでフランク軍と戦ったウマイヤ朝の軍隊は、指揮官はアラブ人かもしれませんが、兵士は北アフリカのベルベル人やムーア人という言わば「植民地軍」です。ウマイヤ朝のカリフが深刻な敗北と受け止めなくても不思議ではありません。

この例ひとつをとってみても、われわれ日本人の世界史観が、実は欧米の世界史観に影響されていることがよくわかります。

十字軍についてアームストロング女史は次のように述べます。

十字軍の時代、ムスリム世界に対する一連の残酷な宗教戦争を仕掛けたのはキリスト教徒であるにもかかわらず、ヨーロッパの学識ある神学者たちはイスラームを、剣でしか広めることのできなかった、もともと暴力的で不寛容な信仰だと決めつけた。イスラームを狂信的なまでに不寛容だとする作り話は、西洋では常識として広く受け入れられていった。

11世紀末、十字軍はエルサレムでユダヤ教徒とムスリムを合わせて約3万人虐殺しました。客観的には、侵略者は十字軍であり、侵略されたのはエルサレムに住んでいたユダヤ教徒やムスリムです。しかし、西洋では逆にイスラム教徒が残虐であるとされてきました。日本人の多くも西洋的なイスラム観に影響を受けているのではないでしょうか。

最後にアームストロング女史は、9・11テロ事件の直後に書かれた「あとがき」で次のように述べます。

西洋の人々がイスラームの正しい知識と理解を得ることが今ほど重要だった時代はない。9月11日を境に世界は変わった。(中略) 目下アメリカが進めているテロとの戦いでは、正確な情報と知識が何より重要となる。もしもイスラームのゆがんだイメージを広め、イスラームを本質的に民主主義と正しい価値観の敵だと見なし、中世の十字軍のような偏狭な見方に逆戻りすれば、結果は悲惨なことになるだろう。そうしたやり方は、私たちと同じ地球に住む12億のムスリムたちの反感を買うばかりか、イスラームと西洋社会の双方に共通の特徴である、真理に対する真摯な愛と、侵すことのできない他者の権利を尊重する態度とを踏みにじることになるのだから。