定年延長と米国防総省の“ヨーダ”

安倍政権の政策のなかにも時々はまともな政策もあります。現政権が、国家公務員の定年を60歳から65歳に延長する法律案を準備しているとの報道がありました。まともな政策だと思います。60歳以後の給与を減らすといった点は気になりますが、方向性はおおむね正しいと思います。

日本では定年の年齢は、1970年代までは55歳が主流で、1980年代に60歳に引き上げられました。平均寿命と健康寿命が伸びている現在では、定年を65歳とか70歳に引き上げるのは当然だと思います。

国会では45歳の私でも「若手議員」と呼ばれることがあります。60歳代の国会議員はざらにいて、70歳代でも大臣や幹事長の激務をこなしている人がたくさんいます。

年齢差別が法律で禁止されている米国では、高齢議員がけっこういます。故ストロム・サーモンド上院議員は100歳を超えても現職議員でした。引退して数か月後に亡くなりました。日米友好に尽力してホノルルの国際空港の名前にもなっている日系米国人のダニエル・イノウエ上院議員も88歳で亡くなるまで現職議員でした。

昨年90歳超でマレーシア首相に再び就任したマハティール首相は驚異的です。西ドイツの奇跡の戦後復興を成し遂げたコンラート・アデナウアー首相は年金生活に入った後に復権し、70歳を過ぎてから首相に就任して80歳過ぎまで長期政権を維持しました。

ロンドン・ビジネススクールのリンダ・グラットン教授が「人生100年時代」を主張して話題になりましたが、100歳まで生きる時代に、定年が65歳では早すぎます。

私が小さいころに104歳で亡くなった曾祖父は、当時福岡県で一番の長寿でした。技術系の元官僚でしたが、「お国のために働いた期間より、恩給をもらっている期間の方が長いのは申し訳ない」といって慎ましく暮らし、余ったお金を地元の小学校などに寄付していたそうです。

曾祖父の時代の国家公務員の定年は55歳かそれ以下だと思うので、「公務員としての勤務年数 > 恩給受給年数」という関係が成り立つのは間違いなさそうです。申し訳なく思うのも当然です。曾祖父は100歳を超えても「ボケ防止に」と称して英語の雑誌を原書で読んでいたそうです。亡くなる前日まで散歩をしていたほど元気だったので、80歳くらいまでは現役でバリバリ働けたんじゃないかと思います。

認知科学の本で読んだ記憶がありますが、年をとると記憶力は衰えるけれども、複雑な事象の中から正しい選択をする能力(=洞察力や大局観)は高齢になっても衰えないどころか、人によってはさらに発達するそうです(出典は忘れました、、、)。

本質をつかむ能力というのは、巷に氾濫する大量の情報の中から重要な情報だけを取捨選択して再構成する能力であり、人生経験が短い若者よりも、高齢者の方が優れていても不思議でない気がします。

米国の国防総省の軍事戦略の策定にあたり、「国防総省のヨーダ(映画“スターウォーズ”に出てくる年老いた騎士の指導者)」と呼ばれたアンドリュー・マーシャル氏は、94歳で引退するまで第一線で活躍していました。アメリカの国防戦略を立案する総元締めは94歳まで現役バリバリでした。文字通り「余人をもって代えがたい」人材だったのでしょう。

90代の戦略家を重用する米国国防総省という組織は「能力があれば年齢は関係ない」というプラグマティックな思考なのでしょう。高齢者でも能力がある人材であれば、何歳になっても最大限活用しようとする米国の国防総省の姿勢に超大国の凄味を感じます。日本政府も見習ってよいと思います。

日本も定年延長すべきです。もちろん早く引退したい人の権利は検討する必要がありますが、希望する人はなるべく長く働けるようにした方がよいと思います。人口減少社会・高齢化社会だからこそ、長く働ける制度と環境を整える必要があります。