「子育て罰」と「産み控え」

教育学者の末富芳教授(日本大学)、社会福祉が専門の桜井啓太准教授(立命館大学)の共著の「子育て罰」はとても良い本でした。まず「子育て罰」というタイトルから衝撃的です。

もともと「子育て罰」は英語の“child penalty”の訳語だそうです。原義は、子育てをする保護者はそうでない大人に比べて賃金が低く、貧困に陥りやすいという状況を表す言葉だそうです。

著者は「日本は子どもを持つ世帯に冷たく厳しい国なのです。政治や社会が子どもと親に罰を課していると言うべき状況です」と厳しく指摘し、次のように述べます。

もともと日本の子育て層は、年金・社会保険料の負担が高齢者世代より高いうえ、子どもまで育てて国に貢献しているのに、児童手当や授業料無償などの恩恵を十分に受けることができていません。子どもを産み育てるほどに生活が苦しくなっていく、子育てをしながら頑張って働いている中高所得層ほと追い詰められる、「子育て罰」の国なのです。

先日「子どもが中学と高校に通っているが、夫の収入が一定額を超えているので、就学援助の対象にはならない。それでも自分の通院費などを考えると生活が苦しい」という主婦の方から相談を受けました。

調べてみると該当する支援制度が何もなくて、残念ながら何の力にもなれませんでした。政府の定義では「低所得」ではないけれど、「生活が苦しい」という子育て世帯は多いと思います。日本は子育てをしている中間層に厳しい社会だと実感します。

そもそも自助と自己責任を強調して、公教育費や子育て支援の支出を抑制し、子育ての費用を親だけに押しつけてきたのは、歴代の自民党政権です。「小さな政府」路線の結果が、「子育て罰」社会です。しかし、最近の自民党は「こども庁」構想などには熱心です。それについて著者は次のように糾弾します。

自民党と官邸によって2021年4月から始まった「こども庁」構想による総理官邸、一部の自民党幹部の子どもの政治利用にも、怒りを禁じえません。ヒトもカネも増やさずに作る「こども庁」は、子どもを票取りの道具に使っているようにしか見えないからです。

著者は「こども庁」の創設よりも、子どもと子育てする親のための財源確保が最優先であると指摘します。まったく同感です。単に「こども庁」を作って、文部科学省や厚生労働省の職員を出向させたり転籍させたりして、形だけ整えても意味はありません。組織いじりより、予算の確保が重要です。

内閣府の「子どもを産み育てやすい国かどうか」というアンケート調査(2015年)の結果は、日本では「そう思わない」が52.0%であるのに対して、スウェーデンは1.4%です。なお、イギリスは23.8%、フランス25.0%です。

日本の親の過半数は「子どもを産み育てにくい国」だと感じています。一方で、スウェーデンの1.4%は驚異的です。北欧の福祉国家はさすがです。日本がめざすべきは北欧型の教育・子育て政策だとあらためて思います。

私はこの本で「産み控え」という言葉があるのを知りました。教育費の負担が重く、子育て支援の給付が少ない状況では、親にとっては産む子どもの数を制限することが合理的な判断になってしまいます。

本当は3人目の子どもが欲しかったけれど、教育費の負担を考えて2人であきらめているといったご夫婦は多いです。もちろん子どもは1人だけであきらめている夫婦、あるいは、子どもを持つこと自体をあきらめた夫婦も多いことでしょう。

少子化が問題になっている日本で「産み控え」が起きているのは深刻な問題です。国家が「もっと子どもを産め」と推奨するのは間違いですが、子どもを持ちたいと考えている人たちが経済的理由で断念しているのは失政です。

経済的な理由で「産み控え」が起きているのであれば、解決策はある意味でシンプルです。政府が本気になり、財源を確保すれば、解決可能です。子育て支援の充実に向けてあらゆる政策手段を総動員すべきです。

たとえば、第二子、第三子ときょうだいが増えるほど、児童手当の金額を増やしていくといった給付のやり方も検討すべきです。もちろん保育サービスの拡充や多様化も重要です。

立憲民主党の選挙公約にもなっていますが、小中学校の給食無償化、大学の授業料の低減、給付型奨学金の拡充等の教育費の負担軽減策も重要です。

著者の言う教育費の「親負担ルール」を見直し、社会全体で教育や保育にかかる費用を支えていくことが重要です。それが「支え合う社会」の少子化対策です。

子どもの貧困も深刻です。著者は「貧困問題の多くは政治の不作為と社会の責任による」と述べます。まったく同感です。

そして今の日本では「子育てをすること自体が貧困につながるような不利な社会構造がある」と指摘し、次の例を示します。

例をあげて考えてみましょう。大人1人で子育てをしているひとり親世帯(Aさん家庭)があったとします。Aさんの住む国では、無償・低価格で公的に提供される保育サービスがあり、お金の心配なく子どもを預けることができます。仕事は生活賃金が保障されたディーセント(まとも)なもので残業はほとんどありません。男女差別や育児していることで待遇や昇進上の差別をすることは厳しく禁止されています。

さらに、家族手当(子どもに対する現金給付制度)が充実していて、子育てに必要な費用の多くを補うことができます。安価で良質な公営住宅が整備されていて、民間アパートに住む家庭には住宅手当が支給されます。義務教育は本当の意味での無償で、給食費やら副教材費やらこまごま請求されたりしません。希望すれば大学や専門学校だって無償で進学することができます。子どもの医療費は当然ながら無料です。

Aさん世帯の住むような社会では、大人1人で子育てすることは珍しいことでもなく、Aさん自身、これまでの暮らしの中で格段の不利を感じたこともありません。人びとが生活する中で生じるリスクを社会で分かち合う(社会化する)ことに成功している社会では、「ひとり親」は貧困リスクではなくなるのです。

これは架空の国の例というより、北欧の福祉国家の例といってよいでしょう。子育て世帯の桃源郷ではなく、すでに北欧諸国で実現している制度のことを説明しているだけです。

日本では、高額で待機児童が多い保育サービス、残業と長時間労働が当たり前で女性差別の著しい職場環境、重たい教育費の負担、公営住宅は少なく住宅手当(家賃補助制度)はありません。ひとり親世界の貧困率が先進国で一番高いのは当然です。

ここでのポイントは「リスクを社会で分かち合う(社会化する)」ことです。立憲民主党が「支え合う社会」と訴えているのは、そういうことです。みんなで支え合ってリスクを分かち合うことで、貧困や格差の少ない社会をつくることは可能です。

それは政治の判断、国民の選択です。「小さな政府」で税金は安いけれど、リスクを個人で引き受け、セーフティーネットが弱くて、将来不安の大きな社会を選ぶのか。それともリスクを社会で分かち合う「支え合う社会」をつくって、誰一人取り残さない社会をめざすのか。その選択です。

政治が変われば、社会は変わります。「子育て罰」社会から、子どもと子育て中の親にやさしい社会へ変えたいと思います。教育や子育てにかかる費用を親だけに押し付ける社会から、みんなで教育や子育てを支える社会へのシフトが必要です。

*参考文献:末富芳、桜井啓太 2021年「子育て罰」光文社新書